219 悲劇の英雄
少年が言うにはその英雄は天才的な軍師であり、誰もが考えつかない方法を用いて兄が率いる自軍を勝利へと導いたのだそうだ。
しかし、戦のたびに存在感を増し、なおかつ価値観の合わない弟を兄は次第に疎ましく思うようになっていった。その微妙な関係に付け込まれるような出来事が起き、それが決定打となって二人は完全に決別した。最後には兄の放った兵に追い詰められ、英雄は自ら死を選んだのだという。
「なんで、そんなことに」
余りにも痛ましい出来事にアッシュは息を呑むのに対し、少年は表情を変えることなく淡々と話す。
「二人は年も育ちも何もかもが異なるので血を分けた兄弟といえども相容れなかったんです。それが悲劇を生み出すことになった」
少年はもう一度石の塔の方を向き、腰に携えた刀に触れると小さな声で呟いた。
「…兄というのは弟を疎むものなのだろうか」
アッシュには彼が何を言ったのか聞こえなかった。
だが、先ほど見せたのと同じ辛そうな表情をしていることから何かあるのだろうということはわかった。
「話し合えば結果は違ったのでしょうか」
英雄とその兄は仲違いしたとはいえ共に戦うに相応しいと認め、信頼し合っていたはずだ。詳しいことはわからないが、英雄は兄を慕っていたようなので話すことさえ出来ればもう一度手を取り合えたのではないか。
そう思い、つい口から出たアッシュの疑問に少年は力なく首を横に振った。
「どんなに言葉を尽くしたとしてもわかり合えない人というのは必ずいます」
大人びた口調で忘れそうになるが、彼はまだ幼い子供だ。ならば、同じ年ほどの友達とたわいないことで喧嘩をして素直に謝れなくてそのようなことを言うのかと思った。
しかし、視線を下に向ける暗い瞳から察するに彼の悩みはそんな可愛らしいものではないのだろう。まるで、亡き英雄に自分を重ねているような彼の姿を見てアッシュは優しく尋ねる。
「そのような経験をしたことがあるのですか」
少しだけ顔を上げてアッシュを見るが、話すのを躊躇うようにまた目を伏せた。しばらく待っているとようやく決意したかのように口をゆっくりと開いた。
「あの人はいつも私と比べられてきました。そして、いつの間にか萎縮してしまったのです」
抽象的な言い方なのでハッキリしたことはわからないが、彼がいうあの人と少年は常に周囲から剣の腕を比べられているようだ。彼らの意志など関係なく。
おそらく、あの人というのは目の前の彼と変わらないほどの子供なのだろう。
だとすれば、大人でさえ勝てないほどの強さを持つ彼とその子を比べる周りの環境が間違っているとしか思えない。
「…私など剣しか取り柄がない。
そんなものしかない私に比べてあの人は素晴らしいものをたくさん持っている。そう言っても私の言葉はもうあの人には伝わらないんです」
声を震わせて鬱屈をした表情をする彼は見ているこちらも苦しくなって来る。そんな顔をするほどにあの人というのは彼にとって思い悩むほど大切な人ということなのだ。
その人を守るために、また高潔な志を持つ彼としても誰かを貶めて自分が優位に立つなど許せるものではなく、当然大人たちに抗議の声を上げたのだろう。
しかし、先ほど発した言葉から考えると彼が何を言っても大人たちはもちろん、その大事な人の耳には何も届かないのだろう。
もしかすると彼だけではなく、その人もこの状況をどうにかしようと今も藻掻いているのかもしれない。
だが、話を聞いているといずれどちらも潰れてしまいそうだ。
「一度、離れた方がいいのかもしれませんね」




