218 供養塔
夜の暗闇からわずかに日が差し、空が白み始めた頃アッシュたちは暗部山に来ていた。
太陽の光に徐々に照らされる山には彼らの他に人の姿はない。昨日来た時よりも肌に当たる空気が冷たく、澄んでいるように感じた。
ミノルが勧めてくれた通り朝早くに来てみたのだが、正解だったようだ。
昨日と同じ道を歩いているのに先ほど通った門も厳かな雰囲気が増したように思えたりと目に映る景色が全て違って見える。大変なはずの山道も楽しくなるのだから不思議だ。
軽やかな足取りで順調に先に進んでいるとあの地蔵が鎮座された建物まで来ていた。上を向くと石の塔があるのが見える。あの少年と会った時にはそれがなかったのでやはりここではない場所に飛ばされたのだとアッシュは確信した。
ヒルデも覚えていたのか建物を指さし、上目遣いでこちらを見て来る。
「あ、確かここだよ。アッシュ君がいなくなったの」
「…俺が迷子になったみたいだな。その言い方だと」
ヒルデにその時のことを聞いたのだが、彼女曰く気が付いたら消えていたらしい。探そうと辺りを見回すとすぐにアッシュの姿を見つけることが出来たのだそうだ。
アッシュがどこかへと飛ばされたのは、この山にいると言われている天狗のいたずらなのかはわからないが、あの少年ともう一度だけ会いたいと思った。
また手合わせをすると約束したからと言うのもあるが、彼と話すことで何かが変わる予感がするのだ。
方法はわからないがこの建物の前で立ち止まっていれば昨日のように飛ばされ、彼に会えるのではないかと期待していたのだが、いくら待っても景色は変わらない。
やはり幻だったのかもしれないと諦め、残念に思いながらふと見上げると静かに佇む石の塔が気になった。誘われるように階段を上り、そこへと向かった。
上りきった先には石の塔だけがあった。地蔵がある建物のように綺麗に手入れされているが、一つだけポツンと立つその姿が何故か寂しそうに見えた。
何故か目を逸らせずにじっとアッシュが眺めていると後ろから声が聞こえた。
「あの」
ヒルデとは違う聞き覚えのある声に振り返るといつの間にかあの少年が階段下にいた。アッシュの顔を見ると彼は嬉しそうに顔をほころばせて話しかけてきた。
「後ろ姿を見てそうだと思ったんです。またお会いできましたね」
答えるようにアッシュは微笑み、彼の近くに行こうと木の葉同士が擦れる音を聞きながらゆっくりと階段を下りながら辺りを見る。
しかし、そこには彼の姿しかなかった。
「他に誰か見かけませんでしたか」
階段を下りたあと周囲を見回しながらアッシュは尋ねたのだが、彼は首を横に振った。
「いいえ。私がここに来るまで会ったのは貴方だけです」
「そうですか」
また自分だけがどこかへと飛ばされたのかと思ったが、地蔵が鎮座する建物の扉も開かれたままで何も変化はない。見上げると石の塔が佇んでおり、今回は消えていない。
どうやら、あの時とは違ってヒルデの方が別の場所に移動させられたようだ。
アッシュが石の塔へ視線を向けて彼女のことを考えていると少年が問いかける。
「気になるのですか」
返事をするために彼の方を見ると眉間にシワを寄せ、悲痛な表情をしていた。何故そんな顔をするのか尋ねられる雰囲気ではなく、アッシュは頷くしかなかった。
「は、はい。一つだけ置かれているので何かなと思いまして」
彼は上を向き、石の塔を見てしばらく黙っていた。目線を外し、気持ちを落ち着けるためか深くため息を吐くとようやく口を開いた。
「あれは兄に疎まれ、死を遂げた英雄の魂を鎮めるために作られた供養塔です」
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