214 ハヅキ
アッシュは少女に背を向けてしゃがみ込むと声を掛けた。
「一緒に山を下りよう。俺の背中に乗って」
後ろから彼女が息を呑んで戸惑っているのが伝わる。
子供だけでここに来たのならきっと疲れているだろう。そんな体ではすぐに足を動かすこともままならなくなると思っての行動だったのだが、彼女を驚かせてしまったようだ。
失敗だったのかとアッシュが後悔していると頭の上からヒルデの声が聞こえた。
「大丈夫だよ。アッシュ君、怖くないよ。
あ、僕はヒルデ」
それを聞いて自分たちの名前を言っていなかったことに気が付いた。だから、余計に少女が警戒していたのかもしれないと自分の迂闊さを恥じていると幼い声が聞こえた。
「私、ハヅキです。あの、よろしくお願いします」
彼女の小さな腕がアッシュの首に巻き付いたのを確認すると落とさないように手を後ろに回してゆっくりと立ち上がる。そのまま振り返り、ヒルデと並んで道を引き返して歩き始めた。しばらくするとハヅキの可愛らしい寝息が聞こえてきた。
おそらく、怪我をした痛みと心細さで不安になっていたが、家に帰れるとわかって安心したのだろう。起こさないように注意しながら、二人は山を下りるのだった。
下り坂から平らな道になったところで辺りが暗くなってきた。ハヅキをこのまま寝かしといてやりたいが、彼女の家を知らないのでアッシュたちではどこに行けばいいのかわからない。
「ハヅキちゃん、申し訳ないけど起きてくれるかな」
アッシュが声を掛けると彼女はようやく目を覚ました。寝てしまったのが恥ずかしかったのかアッシュの背中に顔を押し付けているようだ。どうやら、内気な子のようなのでそっとしておくのがいいかもしれないが、このままではどうしようもない。
「家まで送るから道を教えてくれるかな」
彼の言葉を聞いて頷くとハヅキは指を差す。その案内に従いながら茜色に染まる太陽を背に歩いていると彼女の顔を覗き込みながらヒルデが尋ねた。
「でも、何で山なんかに一人で来たの」
ヒルデの問いかけに彼女は言い難そうにしていたが、やがて拙いながらも懸命に説明した。
「お父さん、最近悲しい顔しててね。それで、お母さんも悲しそうにしてたの。
だから、私が何かしてあげたらなって思ってたら、あそこに行ったらいいよって言われたの」
「ふ~ん、なるほどねぇ」
まだ子供のためかよくわからないところはあったが、疲れているハヅキを気遣ってかそれ以上深く聞くことはなくヒルデは相槌を打った。
そのまま安心させるために何気ない会話を続けながら歩いていると彼女が声を上げた。
「あ、ここ。私の家」
「ここ?」
彼女が指差す場所は門構えからして立派だった。そこから見える屋敷も道中に見た建物と比べものにならないほどに大きかった。
「お家、大きいんだねぇ」
豪邸ともいえる家の雰囲気に圧倒されて思わずといったようにヒルデが尋ねる。その言葉を聞くとハヅキは首を横に振って否定した。
「ううん。剣の道場があるからそう見えるだけ」
彼女はそういうが、道場があるにしても他の屋敷よりも十分大きいと思った。
しかし、口には出さずに呆けた顔で見ていると門柱に掛けてある表札がアッシュの目に映った。
「…イスルギ」
確か、シゲルの苗字がイスルギだったはずだ。もしかして、ここは彼の生家なのか。
そうなのだとするとまさかハヅキは。
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