211 気恥ずかしくも
少年への疑問も解消したところで改めて彼の体を見る。見たところ外傷はないようだと安心するとアッシュは立ち上がり、彼へと手を差し出した。彼はそれを見てしばらくぼけっとした顔をしていたが、やがて伸ばされた手の意味が理解できたのか嬉しそうに笑むとその手を掴んだ。
「時間があれば、またこうして手合わせしてくれませんか」
そのまま引っ張って起き上がらせると少年は急に不安そうな表情をしながら尋ねた。
鵺と修行していると言っていたことから、彼にとって自分と対等に手合わせできる人間というのはいないのだろう。
だが、こうして刃を合わせることでしか得られないものがあると彼は気づいたのだ。その気持ちはアッシュもよくわかる。
――どうした、坊。もう終わりか
アッシュは少年をじっと見つめる。まだ自信のない顔でこちらを見る少年にシゲルと出会った時の自分もこのようだったかもしれないと懐かしくなった。
目を閉じればシゲルとの厳しくも楽しかったあの日々が蘇って来る。初めて会った日にパーティーメンバーから彼は物静かで不器用な人だと聞かされていたのでそうなのかと納得して何も思わなかった。
確かにシゲルはメンバーの言う通りあまり語ることはない人だったが、いざ刃を合わせれば刀は雄弁で実に様々なことを教えてくれた。
彼と毎日打ち合うことで自分の知らないことを学べることが嬉しくて仕方なかったことは昨日のことのように覚えている。
しかし、今思えばあの頃の彼の口数はいつもよりも少なかったような気がする。何故なのだろうと長年疑問だった。誰かに教えるのは初めてだと言っていたので戸惑っていたのかもしれないと思っていた。
おそらく、それもあったのだろうが、こうして逆に立場になってようやくわかった。
彼は今の自分のように誰かに頼られるということが気恥ずかしかったのだろう。
だが、それ以上に無限の可能性がある若者の成長の手助けできることに喜びを感じていたのだ。
シゲルは教える立場でアッシュはただ彼に頼られているだけと色々と違うのだが、間違ってはいないだろう。
返事を待つ少年にアッシュは笑むとまだ放してなかった手を握って答えた。
「ええ、ぜひ」
「約束ですよ」
アッシュの言葉を聞き、彼が微笑むと木の葉が舞うほどの強い風が吹いた。思わず繋いでいた手を放し、腕で顔を隠して風が止むのを待って目を開けた。すると今度は目の前に広がる光景に思わず固まってしまった。
何故か彼に会う前にいたあの地蔵が鎮座する建物のところに戻って来ていたからだ。
「どうなってるんだ」
困惑しながら状況を確認するために周囲を見回すアッシュの耳にヒルデの声が聞こえてきた。
「あ、アッシュ君いた!!」
声の方を向くと彼女が手を振っているのが見えた。驚いて動けないアッシュの下に慌てた様子で駆け寄って来る。
「急に姿が見えなくなるからびっくりしたよ」
「俺が?」
アッシュからしたら消えたのはヒルデの方なのだが、彼女としては違うようだ。すねたように頬を膨らませる彼女にアッシュは問いかけた。
「ヒルデ、俺の他に誰かいなかったか」
彼の質問にヒルデは目を丸くして首を傾げる。
「? 誰も見てないよ」
彼女の答えを聞いてアッシュは改めて辺りを見るが、少年だけではなく、鵺の姿も見つけることが出来なかった。
あの邂逅は幻だったのかと思ったが、彼と交わした手の感触は気のせいではない。
「なんだったんだろうな」
アッシュの疑問に当然ながら誰も答えてはくれない。
代わりに心地よい風が吹き、葉の隙間から漏れ出た光が地面を照らしていた。




