210 手合わせ
ここがどこなのかわかったので早くヒルデと合流しなければと思うのだが、少年の真っすぐな瞳を見ていると体が勝手に動いて気が付くと木刀を受け取っていた。
それを見届けると彼は距離を取り、アッシュに礼をしてもう一本の木刀を持って構える。
彼はこの山で鵺と修行し、鬼と化した女性を前にしても慌てることなく堂々としていた。そして、まだ幼さが残る十代とは思えないほどの威圧を今もアッシュに向け続けていることからも彼が強いのだということは疑いようもない。子供だからと手を抜けばすぐに負けるだろう。
見た目だけでなく、放つ気配も似ていることからシゲルを相手にしているかのように思ってしまいそうになる。
つい萎縮してしまいそうになる心を大きく呼吸をすることで鎮め、礼をすると渡された木刀を手にゆっくりと構え、少年を見据える。
そのまま相手の出方を見ながらしばらく睨み合う。少しすると彼の雰囲気が変わった。仕掛けて来るつもりだと気づき、アッシュはより一層警戒する。
少年は上半身を前に傾け、踏み込むとアッシュの視界から急に消えた。一瞬驚くが、即時に落ち着けと自分に言い聞かせる。わずかに感じる彼の気配を探り、背後へと木刀を振ると相手の木刀を受け止めることができた。
自分の攻撃が防がれたのだとわかった彼は目を見開くのだが、すぐに口角を上げて嬉しそうな顔をする。その表情の意味が理解できないことに困惑しつつ、アッシュは彼の木刀を押し返して距離を取る。
体が小さくて速いということもあり、目で追えなくなってしまったので消えたと錯覚したのだ。おそらく、彼自身もそれをわかっており、アッシュの死角を狙って突いて来ているはずだ。
手にした木刀を握り直し、少年と向かい合っているとまた姿が見えなくなった。
しかし、同じ手は二度も通じない。気配がする方向に素早く木刀を振ると彼は攻撃しようと伸ばした手を慌てて引っ込め、再び姿を消す。
隙を見て後ろや左右などに彼は木刀を何度も打つのだが、全てアッシュに軽々と受け止められる。
普通ならば焦りが生まれるところだが、アッシュに自分の攻撃が通用しないという劣勢な状況なのにも関わらず少年は楽しそうに笑っている。つられてアッシュも笑みを浮かべて彼と打ち合う。
永遠とも思える打ち合いだったが、終わりが訪れた。
少年が腕を振り上げたのが目に映ったので素早く木刀で受け止めて弾く。するとアッシュの力が強かったようで相手の木刀が空を舞った。何度も打ち合ったことで手がしびれて握力が無くなってしまったのだろう。
少年は木刀がなくなった手を暫し見つめた後、アッシュの方へ体を向けると深々と礼をした。
「ありがとうございました」
彼の行動に一瞬呆けてしまったが、すぐに正気に戻ると同じように礼をする。
「ありがとうございました」
挨拶をして頭を上げると少年は急に地面に倒れ込んでしまった。アッシュは擦り傷すらしてないので気づかなかったが、知らないうちに彼に怪我を負わせてしまったのだろうか。または、体調が悪くなり、立っていられなくなってしまったのかという考えが頭を過ぎると急いで駆け寄り、顔を覗き込む。
すると彼はアッシュを見て満足そうに微笑んだ。
「負けたのに清々しい気持ちです。とても楽しかった」
その表情から一先ず大丈夫そうだと胸を撫で下ろすと少年の隣に座り、尋ねた。
「誰かとこうして打ち合ったりとかは?」
よく考えれば、こんな山で彼ほどの年の子供が稽古をしているなど違和感しかない。ましてや、その相手が妖怪など普通ではない。何か理由があるのだろうか。
それはアッシュとしてはただの純粋な疑問だったのだが、彼にとっては違うようで深いため息を吐きながら首を横に振った。
「大人としても一撃で倒してしまうのでこうして打ち合えたのは久しぶりです」
色々な魔物と戦って来たアッシュでさえも彼に苦戦したのだ。並みの大人では相手にすらならないだろう。
しかし、その答えを聞いてようやく納得した。あの笑顔は自分と同等強さの人間と戦えることへの喜びだったのだ。
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