201 その笑みが答え
忘れもしない。あれはフクハラに行く前のことだ。
ユカリの方から言いたいことがあるから屋敷に来るようにと呼び出された。病弱な彼の代わりにまた何か用事を頼まれるのだろうかと思ったが、真面目なアオイは文句ひとつ言わずに時間通りに訪れた。
アオイが普段暮らしている本邸から派遣された使用人がユカリに見とれて仕事を怠るというちょっとした問題はあったが、その彼も追い出して今この空間には兄弟二人だけになった。
邪魔をする人間はいなくなったというのに、一向に本題に入ろうとする様子のない兄にイライラしているとようやく彼が口を開いた。
『黄泉の国から還って来たんが、もうすぐオノコロノ国に来る』
突拍子のないことを言うのは未来が見える能力を持つ彼にはよくあることだが、今回は本当にわからなかった。不思議そうな顔をするアオイを見てユカリは微笑んだまま、じっとこちらの反応を待っている。
『…そいつが何をするというんですか』
このように笑うときの彼はどういうことなのか聞いても決して答えてはくれない。それを誰よりも知るアオイは詳細を聞くのを避ける。
どうやら正解だったようで彼は先ほどのいたずらな笑みではなく、穏やかな顔になった。それを見てよくわからないが、もしかして大した話ではないのだろうかと油断したアオイに彼は予想もしていない言葉を口にした。
『僕の胸に刃を突き立てる』
最初、ユカリの言葉が理解できなかった。自分が殺されるのだという恐ろしいことを言っているのに見たこともないほどの嬉しそうな表情をしている意味がわからない。
あまりの衝撃に呆然としているとアオイを無視して彼は続けた。
『アオイ、フクハラ行くんやろ。その時に見かけると思うわ。
まあ、会ってなんかしたいんやったら、その後キョウガ島に行くことやな』
アオイがフクハラに行くことは関係者にしか知らされておらず、別邸に住むユカリには知る由もない。なのに、当然のようにそのことを話すということに今更驚くこともない。
それよりも重要なのは自分を殺そうとする人物の顔を彼がハッキリとわかっていることだ。
『どういう奴なんですか』
『一目見れば、わかる』
そう断言すると口角を上げたまま黙る。特徴を知ればその人物を見つけ出して何かをする前に対処出来るかもしれない。
しかし、ユカリは何故かそれ以上のことを話そうとしない。睨みつけて喋らそうとするのだが、彼は動じる様子はない。
音もなく部屋に入って来たツグミが湯呑を二人の前に置くのだが、どちらも手を付けずに長い時が流れる。
このまま睨み合っていても何も得るものはないと諦めたアオイは別の疑問を口にする。
『兄上はどうするつもりなんですか。当然、抵抗するのでしょう』
陰陽師としても優秀で尚且つ未来を見ることのできる貴重な能力をも持つユカリは他の陰陽師のみならず帝すら特別視する存在だ。そんな彼が、自分が殺される姿を見たというのだ。
今すぐに中央に連絡して警備を固めなければと思うが、彼の意見も聞かなければと思い、尋ねたアオイに予想も付かない答えが返って来た。
『せえへんよ』
その返事にアオイは目を見開く。驚愕に真っ白になった頭で彼の言葉を何度も反芻してようやく理解すると緊張で乾く喉から何とか声を絞り出す。
『兄上はそいつに大人しく殺されるつもりなん』
問いかけの返事のようにユカリは扇を広げて微笑む。
兄であるユカリは儚いだの繊細だのと言われているが、弟であるアオイは彼が誰よりも豪胆であることを知っている。だからこそ、未来を見たからといって彼が何もせずに殺されるなどありえない。
しかし、彼がそれを受け入れているとしたらどうだろうか。




