199 思わぬ邂逅
神話なので全てが真実ではないとわかっているが、ヒノカグツチの扱いだけは納得できない。
「産まれた子供に罪はないのに」
自我がない産まれたばかりの子供が意志を持って母親を殺すわけがない。不幸な事故だったのだ。関係のない他人ならばそう思えるが、当事者としては割り切れるものではないのだろう。
とはいっても、愛する妻が命がけで産んだ我が子を殺すほどに憎むなど許されることではない。
アッシュは掛け軸に描かれた龍の姿を思い出す。
産まれてすぐに周囲だけではなく、実の親にまで危険だと判断された子供とはどのような気持ちなのだろう。少なくともまともな精神ではいられないことは間違いない。
あの雄々しいように見えた龍が、今は嘆き悲しんでいるように思えた。
「…そうか、君はそう思てくれるんか」
思わず苦しそうな表情をするアッシュを見てユカリは嬉しそうだが、何故か泣きそうな声を出して呟く。今まで笑顔を見せていた彼との落差にアッシュが戸惑っていると先ほどの表情は見間違えたのかと思うほどに明るい声で謝って来た。
「雰囲気悪ぅしてしもうたな。でも、『イザナミ』に選ばれた君には知っといてもらいたかったんや、かんにんな」
「『イザナミ』に、ですか」
自分が命を懸けて産んだ子どもを心悪しき者と判断した国造りの女神イザナミ。彼女を知れば知るほど、アッシュには理解できない神としての思考に恐ろしさすら感じた。
視線を下に向け、神の名前を冠するこの刀に自分は相応しいのかと考えると初めてその重さを意識してしまう。『イザナミ』の慰めるような鼓動も今のアッシュには届かなかった。
いつまでも黙ったままのアッシュにユカリは申し訳なさそうに口を開いた。
「アッシュ君を無駄に悩ませてしもうたみたいやな。
せや、お詫びにテング山までの道、教えたるわ。ここ出たらガーっと行ってチョイっと曲がれば、すぐ行けんで」
「……え?」
その言葉に色々と考えていたアッシュも思わず顔を上げる。最初は暗い顔をしてしまった自分を笑わせるために冗談を言っているのだろうかと思った。
だが、ユカリはアッシュの反応を見て不思議そうな表情をしていることから、どうやら彼は真面目に言っているようだ。理解できない自分がおかしいのだろうかと思わずヒルデの方を向くが、彼女もわからないと言いたげに首を横に振る。
戸惑う彼らにツグミは素早く地図を取り出すと丁寧に暗部山までの道を教えてくれる。その様子を見てユカリは不満そうな顔をした。
「何や、僕が間違ったこと言ったみたいやんか」
「いえ、ユカリの説明では、ここが初めてのお二人ではわからないかと」
「…やっぱり、本気で教えてくれてたんだ、それ」
思わず呟くヒルデに同調するようにアッシュは頷いた。
この地に住む者の常識なのかは知らないが、少なくともアッシュたちが理解するには難しすぎた。
目的までの道も聞けたし、藤の花も十分堪能することが出来たので礼を言おうとした時、誰からこちらに向かっている気配がした。アッシュたちだけではなく、ユカリたちもそれに気が付いているはずなのに出迎えることをせずツグミが問いかける。
「おや、珍しく裏口から入って来ましたね。ユカリ、彼に何か言ったんですか」
「別に。お客さんが来はるから用がある時は、正面は避けてなぁて言うただけ」
彼らの話からすると顔見知りが訪ねてきたということなのだろう。
そういえば、面倒なのが来るとユカリが言っていたことを思い出した。邪魔になる前に立ち去ろうとアッシュが腰を上げようとした瞬間に障子が開き、一人の男が入って来た。
「来客中すみません、兄上。至急確認してもらいたいこと、が」
部屋に入って来た男とアッシュは顔を見合わせると互いに目を見開いた。それはキョウガ島で彼を殺そうと襲って来たアオイだった。




