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195 紫の誘い

「え、嘘」


 近くにある脇道を覗いてみるが、それらしい人影はなかった。


「完璧に撒かれたな。しょうがない、諦めるか」


「え、探さないの?」


「いや、もう絶対に見つけられないだろう、これ」


 探したとしても、あの特徴的な恰好を解かれたとしたら、相手の顔も知らないアッシュたちにはどうしようもない。


「アイツ、また襲ってこない?」


「少なくとも人目のあるところでは襲ってこないだろうな」


 人の近づく気配を感じて逃げたことからもそれは間違いないので安心してもいいだろう。捕まえて何が目的なのかを聞きたかったのだが、こうなってしまっては諦める他ない。


「それより、どこだろうな、ここ」


 追いかけるのに夢中で走ったために今、自分たちがどこにいるのかさえわからない。ゲンから聞いた道に戻るために話を聞きたくても誰の姿も見えないので、人がいるようなもっと大きい通りに出る必要があるだろう。


 仕方がないとため息を吐くと甘い花に香りが漂って来た。


「何かこっちからいい匂いするねぇ」


 道を指さしながらヒルデがどうするといいたそうな顔でアッシュを見上げて来る。彼は暫し考えると決意したように頷く。


「行ってみるか」


 人に道を聞くためにここを移動しなければいけないのだからそれを見てからでもいいかと思ったのだ。なにより、この香りを放つ花に何か惹かれるものを感じる。甘い香りに導かれながら二人は見知らぬ道を進んだ。




 近づくにつれて辺りを漂っている香りが強くなる。

 しかし、その香りは不愉快ではなく、優雅でどこか懐かしい気持ちにさせるものだった。

 しばらく歩いていると大きな門と屋敷が見えてきた。二人は引き寄せられるように門の中を覗き込むと思わず息を呑んだ。


 屋敷までの道をアーチ状の金属が設置されており、それに這うようにオノコロノ国の女性がしているかんざしのように垂れ下がった薄紫色の花が連なっている。それらが咲き乱れる姿はまるで花のトンネルのようだ。


「うわぁ、すごい」


 夢と見間違うほどの美しい光景にアッシュたちがしばらく見とれていると不意に声を掛けられた。


「うちの藤、綺麗やろ」


 声からして男性なのだが、姿がどこにもない。周囲を見回していると一人の青年が花のトンネルを歩き、こちらに向かって来るのが目に映った。

 風によって舞う花と共に長い髪を揺らしながら彼は微笑む。ずっと見ていると甘い香りが鼻孔をくすぐり、思考を鈍らせるのだが、何故か本能は早鐘を打つように警告し続ける。


 青年は二人の近くまで来ると返事を期待するように小首を傾げた。

 ただ聞かれているだけなのに目の前の彼から何か異様な気配を感じて知らずに緊張し、唾を飲み込むとアッシュは恐る恐る口を開いた。


「や、柳の木じゃ」


 その言葉を聞いて目を丸くする彼を見てアッシュはしまったと思った。

 昔、『黄金のゼーレ』のメンバーで採取専門のカイルから植物の薬効を教えてもらっていた時のことだ。話を聞いていたシゲルがオノコロノ国に植えられているという柳の木には鎮痛作用があると言っていた。


 その際、ついでのように柳は現世(うつしよ)(かく)(りよ)の境界線といわれ、霊を呼び寄せるのだというとシゲルはその場をあとにした。去る背を見ながらそんなことをいうのは珍しいなとその時は思ったが、今まで忘れていた。

 だが、何故かその時の話が不意に蘇ったために彼が幽霊に見えて思わず口をついて出てしまったのだ。


 青年はショックを受けたようにうつむくと手で腹を抑えて震え出した。やはり、失礼なことを言ってしまったのだと焦るアッシュの耳に大きな笑い声が聞こえてきた。誰がと不思議に思っていると彼が顔を上げた。


 目には涙が溜まっているが、それは彼が心を痛めたからではない。笑っているからだ。傷ついているように見えた姿は腹を抱えて笑っているだけだった。


「僕が幽霊にでも見えたん? なんや、それ。初めて言われたわ」


 何がおかしかったのかわからず、困って二人で顔を見合わせる。その間、ずっと彼の笑い声が辺りに響いていた。







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