194 迷いなき刃
思い返せば、敵を前にして構え直すにしては、やけにゆっくりした動作で、まるでアッシュに見せつけるかのような仕草だった。
刃はすぐそこまで迫って来ていることから罠だったと気づいても、もう遅い。今から躱したとしても完全に避けきれずに怪我を負うことになるだろう。そうなれば、先ほどのような腕の切り傷だけで済むはずがない。
アッシュは焦る気持ちを抑えて重力に従って落ちて来る刃を観察するようにじっと見つめる。体に当たる直前、刀を相手の刃に当て滑らせるようにして、いなすことで攻撃の軌道を逸らせると薙刀は地面に突き刺さった。
相手が動揺して深く刺さった薙刀を抜こうとしている間に距離を詰め、刀を振る。
最初は寸止めにするつもりだったが、おそらく、それでは相手は止まらない。殺すまではしないが、動けないほどの怪我は覚悟してもらう。
人を斬ることに躊躇することはあるが、自分を殺そうとしてきた相手だ。
アッシュに向けてきた殺意が次はヒルデに襲い掛かるかもしれないと思うと、その刃に迷いはなかった。
刀が相手を斬る瞬間、誰かがこちらに近づいて来る気配と話し声が聞こえてきてアッシュは思わず止まってしまった。
このまま斬ることは簡単だが、倒れた相手と血に染まった刀を持ったアッシュを通行人に見たら厄介なことになると考えてしまったからだ。
自分を斬ろうとしないアッシュに早々に気づいた相手は薙刀を引き抜くとそれを手に背を向けて逃げ出した。向こうも誰かに戦っている様子を見られると都合が悪いと思ったのだろう。
「っ、待て!!」
急いで刀を鞘に納めて追いかけようとするアッシュの手をヒルデは掴んだ。追いかけるのを止めるように言われるのかと振り向くと彼女はポーションを出していた。そのまま彼に使うと血が流れ続けていた左腕の傷が癒える。驚いた顔をする彼にヒルデは優しく笑った。
「キョウガ島の時みたいなのは御免だから。ちょっとの怪我でも治さなきゃね」
ヒルデはアオイに襲われた時のことを言っているのだろう。
確かに、あの時は足の怪我を無視していたために動けなくなって窮地に陥った。今回も相手に追いつけば、再び戦うことになるのはわかっているので、出来るだけ全快で挑んだ方がいい。
「…悪い」
「謝るのは後。ほら、早く追いかけよ」
彼女が指さす方を見るともうずいぶん遠くまで逃げられている。
だが、姿は見えるのでまだ追いつけるはずだ。彼女に向かって頷くとアッシュはすぐに走り始めた。
薙刀を持って逃げる相手を追いかけているのだが、なかなか距離を詰めることが出来ない。それというのも、真っすぐに走っていたと思えば、急に横の小道に入るなどウエノ都の土地勘のないアッシュたちからすると予想も出来ないところを通るからだ。
「何か、アイツ、ここ慣れてるみたいだね」
「ウエノ都の人間なんだろうな」
ゲンが言うにはここ、ウエノ都の中央は碁盤の目になってそれほど入り組んでないためにあまり迷うことはないそうだ。
だが、迷いにくいとはいえ、初めて来た土地で不慣れなアッシュたちでは、二手に分かれて挟み撃ちで捕らえるという方法も取ることが出来ない。
「あ、見て。右に曲がったよ」
ヒルデの言う通り右の道に入っていくのをアッシュも確認して曲がった。
しかし、その道には誰もおらず、追いかけていた相手は煙のように消えてしまった。
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