186 その刀の名は
確かに、シゲルからは色々なことを教えてもらったが、刀の名前は聞いたことがなかった。そもそも、この刀に名前がついていることなど今、初めて知った。
アッシュの反応から自分の想像していた通りだとわかったゲンは姿勢を正し、刀の名を告げる。
「名は『イザナミ』。このオノコロノ国を作ったっていう女神の名前だ」
ゲンが名を言うと、アッシュの腰にある『イザナミ』から鼓動を感じた。まるで自分の名前を聞いて答えたかのようだ。彼が暫し、刀の方を向いて呆けているとゲンは続けて口を開いた。
「ちなみに、シゲが持ってんのが『イザナギ』。同じくこの国を作った神でイザナミの夫の名だ。」
そのとき、刀、いや、『イザナギ』を持ち、自分の手足のように自在に刃を扱い、戦うシゲルの姿が鮮やかに蘇った。戦いの中だけに見せる彼の静かな激情を体現するような雄々しさと美しさを持つ刀だった。
「もう一つ言っておくと、俺はこの刀を作ってない」
「え、作っていない?」
ゲンの衝撃的な発言にアッシュは目を丸くさせる。
シゲルからは彼が作ったと聞いているし、刀を狙って来た男も散々そう言っていた。それなのに作っていないとはどういうことなのか。
「ああ、正確にはこの形になりたいと希われて、手助けさせてもらったってところか」
それを聞いてもどういうことなのか理解ができないアッシュたちのためにゲンはできるだけわかりやすく話し始めた。
ある時、シゲルの父親が二人の息子のために刀を打ってほしいと玉鋼を持って来た。それを見た瞬間、彼は玉鋼から声が聞こえたのだそうだ。
その声にただひたすら従い、他の職人と力を合わせて作ったのが『イザナギ』と『イザナミ』だったのだ。
「名前もな、声がそういってたから付けたってだけだ。だから、俺が作ったっていくら言われても俺自身はそう思っちゃいない」
物作りを生業とする者は、ある種の領域に達すると物の声が聞こえて来ることがあるそうだ。それが比喩なのかはわからないが、そうして作ったものは後に歴史に名を遺す作品になるものが多いことだけは確かだ。
おそらく、真剣に作品に向き合うことで起きるのだろうが、聞こえたとしても腕がなければ話にならないだろう。刀を狙ってきた男がゲンのことを歴代一の腕と言っていたが、それは本当のことのようだ。
しかし、ゲンの話を聞くと色々と疑問が出てきた。
「先生からはゲンさんに餞別と言って貰い受けたのだと聞いたのですが」
それを聞いてアッシュはてっきり国を出る友に贈るためにゲンが個人的に作ったのだと思っていた。だからこそ、フクハラでシゲルの話を聞いたとき、教えと異なる彼の行動に驚愕し、父親や兄という彼の口から出てきたことのない言葉に混乱したのだ。
アッシュが問いかけるとゲンは言いにくそうにしながらも口を開いた。
「アイツの父親がな、自分から渡しても受け取ってもらえないからって頼まれた。だから代わりに親父さんからの餞別だって言って渡しただけなんだがな」
答えを聞いてもアッシュは納得できなかった。何故シゲルが実の父にそう思われているのか理解できなかったからだ。ここまでの話を聞く限りは息子想いの良い父親という印象しかない。何かまだ自分たちが知らないことがありそうだ。
「…フクハラからここに来るまで先生のことを色々聞きました。
教えてください。どこまでが嘘で、何が真実なのか、俺は知りたいんです」
アッシュが頭を下げるとゲンは考え込むように口を閉じた。しばらくしてもその体勢のままの彼を見て、ゲンはため息を吐いた。
「シゲが自分のことを話すとは思えないからな。わかった。俺のわかる範囲でいいなら話してやるよ。顔上げな」
「っ!! ありがとうございます」
礼を言うとアッシュはもう一度頭を下げる。彼の姿が思い出の中のシゲルと重なる。
「…教え子ってのは似るものなのかね。」
だから、初めて会ったのに彼を邪険に出来ないのだろうか。
「それもわかってやってるなら、恨むぞ、シゲ」
面倒ごとを全て押し付けたにも関わらず、笑っている彼の顔が浮かび、二人に聞こえないほどの声でゲンは呟いた。
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