161 愛おしくて大切なもの
「もし、その方法で俺たちが島に行けて渦が止められたとしても、それは人柱を捧げたからだと思われてしまう。
人柱が成功したという実績を残してはいけないんだ」
そうなれば、同じことが起こればまたこの悲劇を繰り返すことになるだろう。未来の犠牲者を出さないためにもそれは一番避けなければいけないことだ。
「むぅ、そっか」
納得したヒルデは目を閉じて頭をゆらゆらと揺らして他に何かないかと思案する。懸命に考えてくれた彼女には申し訳ないが、アッシュたちが人柱になるのを賛成できないのにはもう一つ理由がある。
「まず、人柱は棺に入れられて海に沈められるんだぞ。どうやってその中から脱出して島に行くつもりなんだ?」
「あっ、ダメじゃん」
おそらく、逃げ出さないように人柱を縛ったり、棺も出られないように何かされるはずだ。いくらアッシュたちといえど、そんな状態ではどうすることも出来ない。
そして、それが上手くいったとしても渦に巻き込まれて島にたどり着くことが叶わないことは考えなくともわかる。
アッシュの言ったことを理解し、ヒルデはがっくりと肩を落とす。
何か方法はないかと悩む二人の耳に子供の声を聞こえてきた。ここに来るときに広場のようなところがあったのが見えたのでそこで遊んでいるのだろう。
アッシュが他の事に気を取られているといつの間にかヒルデは顔を上げ、じっとこちらを見ていた。
「? 何だ」
目が合うとヒルデは微笑んだ。それはいつもの明るいものではなく、どこか寂しそうで静かな笑みだった。
「僕ね、アッシュ君に会うまで人の命のことなんて気にしたこともなかったんだよね。あ、違うな。会った後だって戦ってるときにアッシュ君が言うから、みたいに深く考えたことなかった。
今回のことだって前の僕なら理不尽なことに怒ってたかもしれないけど、それだけだったと思う」
「いや、俺だって先生が教えてくれたからこそ、そう思うようになったってだけなんだが」
魔物の命でさえ尊ぶというのがシゲルの教えがあり、共感したからこそ今のアッシュがあるのだ。彼に出会わなければ、彼もヒルデのように命のことを気にすることなどなかっただろう。
「それが、こんなにも愛おしくて大切なものになるなんて思ってもみなかった」
「…ヒルデ?」
いつもと雰囲気の違うヒルデの様子に、何故か初めて会ったあの時を思い出した。会ったことがあるのかと聞くアッシュを見て、嬉しそうに笑う彼女を。
「本当にね、考えなしだったって今は後悔してる」
どちらも口を開かず長い沈黙が支配する。遠くにいるはずの子供の声だけがやけに大きく聞こえて来る。
アッシュが何か言おうとすると、ヒルデはいつもの笑顔に戻っていた。
「ってことで、僕、あの子たちに何か知らないか聞いてくる。アッシュ君は待ってて」
「え? あ、ちょ」
呆気に取られるアッシュが止める前にヒルデは子供たちの方へと行ってしまった。
「何だったんだ」
おそらく、アッシュの考えやティーダでのことでヒルデは何か思うところがあったのだろう。詳しく聞きたいような気もするが、きっと彼女は話してくれない。
感情と同じように気持ちも素直に出す彼女だが、本当に大切なことだけは心に秘めてしまう。それはアッシュを信頼していないからという訳ではない。自分でもどうしていいかわからず独りで葛藤しているのだろう。
「…一人で悩むくらいなら、話してくれてもいいと思うんだがな」
無理に聞き出すつもりはない。
しかし、アッシュはヒルデの行動に、言葉に何度も救われてきた。恩に報いたいなど大層なことではないが。
「力になりたいだけなんだがな」
アッシュはため息を吐き、天を仰いだ。
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