147 自嘲の笑み
その瞬間、チルダルは冷静になった。
先ほどはハリユンと彼を任せたはずの兵士がここにいることに混乱していたが、よく見ると彼とは別の兵士だ。おそらく、ハリユンの隣にいる男はリセイン侯爵の息が掛かった者なのだろう。
もし、兵士が老人の味方ならば、チルダルがスイムイ城に火を着けたことを目の前の彼が知らないはずがないからだ。老人のあの驚きと恐怖の表情は演技ではないと間近で見たからわかる。
信頼し、ハリユンを任せた兵士はいつまで経ってもここにくる気配がない。
彼は責任感の強い男だった。そんな彼がチルダルの命令を無視してハリユンの側を離れるはずがない。
チルダルが火を放つと知ってなり替わったのだ。そうなれば、チルダルが信頼した彼は目の前の兵士に捕まるか、殺されたのだろう。
兵士にハリユンを任せると話したのは今朝のことなので、そのような短時間で宝を別の場所に運ぶのは不可能だ。
そのため、チルダルが火を放つと知ってスイムイ城のどこかに宝を移した後、ティーダ侵略の邪魔になる者をここで全て亡き者にしようと考えたのだ。
どうすべきかとチルダルが思案していると老人が声を上げながらハリユンに向かって走った。
「ハリユン様!! 謀反です。チルダル様が裏切りました!!」
老人の言葉の意味がわからずにチルダルは剣を手にしたまま唖然とした。
「チルダルが? そんな訳がないだろう。爺、こんなときに冗談など」
ハリユンはなだめようとするが、老人は彼の話を遮り、大きな声を出した。
「冗談ではございません。そうでなければ、何故、王座の間という尊い場所で剣を抜く必要があるというのです」
ハッとしたような顔でハリユンはチルダルの方を見た。
だが、彼はまだ老人の言うことを信じきれないという顔をしていたので、チルダルは早く弁解して安全な所へ連れて行かなければと思い、口を開こうとする。
そのとき、光る何かがチルダルの目に映った。それは老人がハリユンを殺そうと杖に仕込んだ刃を取り出した光だったのだ。
チルダルは剣を手にしたままハリユンたちの方へと走る。老人はそのチルダルの姿を見て、彼がようやくハリユンを殺そうと決意したのだと考えた。刃を仕舞うと老人はハリユンを庇うように前に出て、芝居がかった声を上げた。
「お逃げください、ハリユン様!!」
大方、ハリユンを油断させて確実に始末するための行動なのだろうが、チルダルの目的は最初から老人だけだ。
剣を振り下ろすと彼の刃は老人の肩から胸に掛けて斬り裂いた。口から血を吐き、驚愕に染まった目で彼はチルダルを見たまま床に倒れる。
突然のことに声も出せずに固まったままの兵士をチルダルは睨み付ける。
すると、恐怖で顔色を悪くした彼はハリユンを置いて逃げるためにチルダルに背を向けた。チルダルは躊躇うことなく彼へ剣を振る。抵抗することなく背中を斬られた彼は膝を突くとうつぶせに倒れた。
床に転がる兵士にチルダルは冷たい目を向ける。
男の顔にチルダルは見覚えがあった。仕事への態度は不真面目で、いつも金に困っているような男だったと記憶している。
そんな男なのでリセイン侯爵側から、金を受け取って行動したのだろうが、仮にも兵士が主を置いて逃げ出すなどもってのほかだ。演技とはいえハリユンを庇おうとした老人の方が従者の役割を全うしたと言えるだろう。
うつむき、兵士を軽蔑したように見ていたチルダルは一度目を閉じると顔を上げた。
そんなことよりも、ハリユンを早く安全な場所に移動させなくてはと振り返ろうとすると、自分に向かって剣が振られる気配を感じた。
反射的に避けて距離を取ると、ハリユンが剣を手にしているのが見えた。彼は見たこともない表情でチルダルを見つめている。
「本当に、本当に裏切ったのか。チルダル!!」
弁解しようと口を開こうとするチルダルの耳に大きな爆発音が聞こえた。何かが焼ける匂い、そして、熱まで感じる。火がそこまで来ているのだ。
思っていたよりも火の回りが早い。
床に転がっている男が何かしたのかと思ったが、もう聞き出すことが出来ない。
自分が火を放ったことでハリユンを危機にさらしていることに後悔するが、頭を振り、切り替える。
今はハリユンを逃がすことだけを考えなければと焦るチルダルに、再び彼は剣を振るった。今度は避けることなく剣を受け止め、チルダルは話しかける。
「ハリユン、様」
「答えろ、チルダル!!」
怒りに染まったハリユンの表情にチルダルは自分の甘さを後悔した。信じていた従者と兵士が目の前で斬られたのだ。民が大切だと常日頃から言っている彼が平然としているはずがない。
今すぐにここから逃げれば助かるかもしれないのにチルダルから目を逸らさず、剣を向けていることからも頭に血が昇ったハリユンに何を言おうと届かないだろう。
無理に連れ出すことも考えるが、彼が素直にチルダルに体を預けるとはとても思えない。
そんなことを考えている間に火の手はそこまで迫っている。
もう、誰も助からない。ハリユンだけは助けたいのに、それができない弱い自分に憤り、チルダルは唇を噛む。
チルダルはハリユンの剣を押し返し、距離を取った。
自分は裏切り者なのだとハリユンに思われたままでいい。せめて、自分を庇った男が裏切り者なのだと彼には知られないまま。
そう思ったチルダルはハリユンに裏切り者だと思われるように振る舞った。心ないことを言ったつもりだった。
だが、これが最後だと思ったら嘘偽りない本心のような愚痴が口を突いて出た。
そんな自分に嫌気が差し、これ以上醜態をさらす前にと持っていた短剣を手に持ち、チルダルは誰にも聞こえないような小さな声で呟く。
「俺に、もっと力があれば」
そうであれば、このような結果にならなかったのだろうか。
意味のない疑問が浮かび、そんな自分を滑稽だと自嘲の笑みが浮かぶ。
その笑みを見てハリユンが何か言っているが、覚悟を決めたチルダルの耳にはもう聞こえない。
躊躇うことなく、彼は首に刃を当て果てた。はずだった。




