138 王の威厳
静かな廊下に三人の足音だけが響く。
何か言うべきかと思うが言葉が出てこない。そうして黙ったまま歩いているとハリユンが口を開いた。
「本来の王はチルダルの父だったのだが、戦うのが好きな自分は王に向いていないと従兄弟である私の父に王位を譲るという奇特な男だった」
独り言なのかアッシュたちの返事を待つことなくハリユンは続きを話し始めた。
「彼は兵士となり、戦いに赴けば一騎当千の働きをするほど強さを持っていた。
強いだけではなく、人にも慕われるような男だった。そんな男だから王はやはり彼がなるべきだったのではないかという声があった。
だが、それを聞いた彼は笑って否定していたよ。戦いを愛する自分よりも平和を望む王の方が、これからのティーダには必要なのだといってな。そういうこともあって彼は父である前王が一番に信頼する男だった。だが、私は彼が怖かった」
「怖かったとは?」
そこでハリユンは黙り込んでしまい、静寂が辺りを包んだ。しばらくして再び重い口を開けた。
「…彼は戦いの中で死ぬことこそ兵士の誉れだと口癖のように言っていた。いつもは明るく気の良い男がそんなことを言う落差に子供心に何とも言えないものを感じたのだ」
大人の男に小さい子供が恐怖を抱くのはよくあることだろうと思ったが、どうやらそうではないようだ。
「その人はどうなったの?」
ヒルデの疑問に苦しそうに眉間にシワを寄せてハリユンは答えた。
「父を庇って亡くなった。勇敢な最後だったと彼を慕うものたちは言ったが、私はそうは思わなかった。兵士なのだから死と隣り合わせなのは理解している。
だが、もっと自分の命を大切にして欲しいと思った。人の命こそ、何よりも宝だというのに、それほど簡単に手放していいものではないはずだとな」
過去に飛ばされたときに兵士は家族であり、彼らも守りたいとハリユンは言っていたがそういう経験があったからこその言葉だったのだろう。
「彼が亡くなってから前王や私の考えを否定し、ティーダの発展のためには戦いが必要なのだという者が多くなり、それをチルダルが抑えていたのは知っていた」
昔を思い出したのかハリユンは唇を噛みしめ、うつむく。その足はいつの間にか止まっていた。
「リセイン侯爵がティーダを侵略しようとしていると知ったとき、戦うために兵を送るべきかと私も一度は考えた。戦いを望むという者がいるのだから、彼らの不満も解消されるのでいいのではないかとな」
過去を語る彼の拳を見ると後悔なのか震えている。
「だが、ほとんどの兵士が死ぬとわかっていながら、彼らを送り出すなど、私には出来なかったんだ。
…そんな甘いことを考えるようでは、王失格だといわれても無理はないな」
過去を振り払うかのように頭を振ると、ハリユンはすぐに前を向いて歩く。
彼はそういうが、民を守るためにオノコロノ国の一部になるなど相当覚悟のいる決断だっただろう。そして、ティーダ王国に不利な状況でそれを実現させるために、どれほどの交渉を重ねたのか。
振り返ることなく、真っ直ぐに進むその背中に、王の威厳のようなものを感じた。
しばらく歩いていると大きな引き戸の扉が見えてきた。
「ここが訓練所なのだが」
この先からダンジョン特有の強い魔力を感じる。やはり、ここにチルダルがいるのは間違いないようだ。
確認するようにハリユンはアッシュの方に顔を向けたので、答えるように頷いた。
「危険なのでハリユン様はここで待っていてください」
彼の身の安全のためでもあるが、場合によってはチルダルを斬ることになる。いくら裏切ったとはいえ、かつて親しかった人が斬られるところは見たくないだろう。
辛い思いをしてきた彼の心をこれ以上傷つけたくないと思ったからこその提案だった。




