-初めてのお財布-
みんなは幼少期の記憶があるだろうか。私は並よりはある方。なのではないかと思う。大人になるにつれ様々な価値観が変わってくる。私だってそうだ。例えばアルバイト。家庭教師を学生でやっていると、やはり生徒に好かれることが目的になってくる。叱ることは大事だと思うが、アルバイトの分際で生徒に嫌われることになるのはごめんである。契約を切られたら…なんて考えると、めんどくさいからいいや。となんだか放任してしまうのだが、生徒からは優しい先生だななんて思われるものだ。所詮人間はエゴで動いている。自分がミスをしている間はミスをしている人にこんな態度を取るなんてやりすぎだと思えど、できる立場になってくると、なんだか相手のミスが目についてたまらなくなってくるようなものだ。
もちろん人間完璧であるわけではないのでそんな自分も存在していいんだとは思いつつ、なんだか自分が得をするようにと気を張ると苦しくなる時があるだろう。
そんな人に読んでほしい。小さい時にどんなことを考えていたのか。純粋で素直で少し魔女っ子だった「まぁちゃん」という名前の少女の幼少期について話そう。
小さい時の記憶がどれくらいあるかって?例えば、ある日「…違う?!」お母さんとお父さんがなにか言い争っている様子であった。我が家のメニューはカレーだ。まだぎこちないあぐらでお座りしながら、立方体の中に⚪︎、△、□を入れていくような知育玩具で遊んでいるのは最古の記憶のまぁちゃんだ。お座りの様子や知育玩具の年齢をみると1歳前後だろう。話しかけられて育ったからか昔の記憶でも聞き取れる単語はある。まぁちゃんはあー。なんか言ってる。平穏ではなさそうだなと思いながらなるべく怒りから遠ざかるように⚪︎に⚪︎、△に△。□に□を夢中で入れていた。天才児ではないのでそんなものである。ただ自分が親になって子供の前で喧嘩をしないと決めている出来事であった。大人になった今では守れるかどうかなんてわかんないけど。
まぁちゃんがお財布デビューをしたのは3歳の頃だった。いつも行くショッピングセンターのサンリオでビニール生地のウサハナちゃんのがま口を買ってもらった。紐が通り、ポチッと首の後ろで止めるところがあったのでまるでまぁちゃんの姿はいえなき子のようである。お釣りがどれだけ返ってくるかもわからなかったが、なんだか売場にたくさんがま口がぶら下がっているのが可愛くて買ってもらった。その中には500円や100円玉など、3歳児とは思えない大金を持ち歩き、これはこのお金を出したら帰るんだよと家族に教えてもらいながら買い物をしていた。スーパーは混むので、上の売り場のちょっとした文房具やおもちゃなどでお金の使い方を勉強していた。
まぁちゃんの行っていた英会話教室にはももちゃんという子がいて、たまにおしゃべりをしていた。幼少期はあまり同年代と話すことがなかったまぁちゃんにとってももちゃんは気の合うお友達であった。
英会話教室はがま口を買ったショッピングセンターに併設していたので、まぁちゃんとおかあさん、ももちゃんとももちゃんのお母さんでショッピングに行くことにした。まぁちゃんはももちゃんと、お揃いのものを一生懸命選んだ。リラックマのスティックノリ、メモ帳を手に取り、レジに向かった。まぁちゃんは買ってもらったがま口を得意げに見せ、ももちゃんの分と自分の分を735円くらい出して買った。
子供がお友達に奢るなんて考えられない。でも、まぁちゃんはお母さんの真似をしただけなのだ。子供の欲しいものは大人が買ってくれるから。他人にはものを買ってあげるのが親切だと思っていたのだ。735円の買い物で750円を出すところも見て欲しかったし。
ももちゃんのおかあさんはすみません。と何度も謝っていた。その場では言われなかったものの帰りにまぁちゃんはお母さんからの大目玉を食らうことになる。なんか買ってあげるってダメなことなんだなって思って反省した。そしてそれがお母さんが働いたお金だということを知るとなんだか買ってあげたことを惜しくなってしまった。子供でも返して。なんていうのは恥ずかしかったから何も言わなかったけど。だけど金輪際私は人には奢るまいと固く決めた瞬間であった。
まぁちゃんの覚書-普段は人に物を買ってあげない-