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【短編】婚約破棄された悪役令嬢ですがリスクを回避できて幸せです

 毎年学園で行われる創立記念パーティは、学園行事の中で最も人気があるイベントだった。

 ペアだとわかる正装をした婚約者にエスコートされながら会場に入り、二人でダンスを踊る。

 それが王道パターン。

 だというのに――。

 

 私ではない女性とペアのタキシードを身に纏った、私の婚約者であり第一王子であるライナスの姿に、シェリルは溜息をついた。


「シェリル・アークライト! おまえとの婚約を破棄する!」

 突然の婚約破棄に驚く人々を横目に、シェリルは公爵令嬢らしい美しいお辞儀を返す。


「殿下のご意向に従います」

 シェリルがゆっくりと顔を上げると、ライナスにベッタリとくっついている伯爵令嬢のカリナは勝ち誇ったように口の端を上げた。


「おまえがカリナにしたことは全部聞いている!」

「私に嫉妬して嫌がらせしたのでしょう? 街でも学園でも」

「本当にイヤな女だな!」

 この茶番はなんだろうか?


「早くここにサインしろ!」

 ライナスが見せたのは婚約破棄の同意書。

 すでにライナスの名前は記載済みだ。

 ペンの準備までありがとうございます。


「身に覚えはございませんが、どうぞお幸せに」

 シェリルはサラリとサインすると、カリナの頭の上のリスク『93』、ライナスの『89』を確認する。

 この二人とはもう関わりたくない。

 ごきげんようとシェリルは笑顔でパーティ会場を後にした。

 

    ◇


「……それで、大人しく帰ってきたと?」

 創立記念パーティという大きなイベントで王子に婚約破棄を告げられた娘に、アークライト公爵は盛大な溜息をついた。

 

「あんなにリスクが高い男なんて、こっちからお断りよ」

「だが、王子に婚約破棄されたとなれば、もう嫁の貰い手はないかもしれない」

 どうしてこんなことになったのかと額を押さえる父の姿にシェリルは肩をすくめた。


 シェリルは幼い頃から人や物に数字が見えた。

 ずっと何を表しているのかわからず、みんなにも見えていると思い込んでいたが、8歳の時この数字がリスクだとようやく気が付いた。

 数字が大きいものを選ぶと必ず失敗するのだ。

 

 街で買ったリンゴの中心が腐っていたり、オルゴールが不良品だったり。

 だからシェリルは数字が小さい物を選ぶようになった。


 父が新しい事業を始める時も、数字が大きい時は反対した。

 父が功績を称えられ、国王から絵か壺のどちらかをもらえることになった時は、迷わずリスクが『12』の壺を選んだ。

 それから5年後、選ばなかった絵が偽物だったと公表され、王宮は大騒ぎになったが。

 父が迷った時には私に相談するようになり、そのウワサが国王まで届き、いつの間にか第一王子の婚約者に選ばれてしまっただけ。

 だから私と第一王子ライナスの間に愛は一切なかった。


「ということで、お父様。婚約破棄された娘は傷心旅行に行ってきますね」

「おい、待て。そんな話は聞いていない」

「はい。だって婚約破棄してもらえるなんて思っていませんでしたから」

 もうこれで王子妃教育も終了。

 王宮のあらゆる相談事も受けなくていいのだ。

 ありがとう、ライナス殿下。ありがとう、カリナ。

 どうぞ、お幸せに。

 

 シェリルはすぐに荷造りをした。

 簡素なワンピース、長い髪は三つ編みに、旅行者には見えない小さなカバンを持ったシェリルは屋敷の扉の前で周りをぐるっと見渡す。

 右『72』、左『55』、まっすぐ『23』、後ろ『44』。

「まっすぐね」

 シェリルは躊躇うことなく屋敷から出ていく。

 書斎からシェリルの姿を見つけた父は頭を押さえながら溜息をついた。


 乗合い馬車は『17』のルルカス街行きを迷わず選んだ。

 食事もおいしい店、宿ももちろんリスクの低い宿だ。

 

「好きな時間に好きなことをしていいなんて最高!」

 もう『王子妃らしく』『笑顔を絶やさず』『みんなのお手本になるように』なんて面倒なことはしなくていい。

 国の利益も外交も気にしなくていい。

 行ってはいけない、やってはいけないこともない。

 婚約破棄バンザイ!

 

「これが海……!」

 自由気ままな旅を続けたシェリルは初めて見た海に感動した。

 少しべたつくような潮風、キラキラと輝く青い海、調理される前の魚を見るのも初めてだ。


「ぴちぴち動くのね」

 大きさも形も色もバラバラな魚たちをシェリルは興味深く眺める。


「おやじ、この魚は?」

「にーちゃんお目が高いねぇ。珍しいフーグってやつよ」

 黒髪の青年の目の前にある魚はリスクが『97』だけれど、もしかして食べられない魚なのだろうか?

 

「フーグ? 聞いたこともないな」

「だろ、一年に一匹上がるかどうかのレア中のレアさ」

 がははとおじさんは豪快に笑いながら、青年に値段を告げる。


 うわ、高っ。

 値段が高いからリスクの数字が大きいのだろうか?

 値段ほどの価値はないよってこと?

 でも、あのおじさん自身もリスクが『89』だから、もしかして青年を騙そうとしているの?

 

 どうせ二度と会うことがない人だし、教える必要もないけれど……。

 この黒髪の青年のリスクは『18』。

 きっといい人なのだろう。

 

「あの、その魚、やめたほうがいいですよ?」

 高額な魚を前にして手を口元に当てて悩んでいる青年に、シェリルは遠慮なく話しかけた。


「君、この魚を食べたことある?」

「食べたことはないですけど、リスクが高いので」

「リスク?」

「私がもし買うのなら、こっちにします」

 シェリルはリスク『97』のフーグではなく、『22』の不細工な魚を指差す。


「おっと、ねぇちゃんも目が肥えてるねぇ。これはアンコーウ。肝がうまくってなぁ」

 見た目は悪いが味はいいと語りながら、おじさんは「チッ」と舌打ちする。

 ……やっぱり騙そうとしていたのかな?


「では、こっちのアンコーウを」

「あざっす」

 青年がおじさんにアンコーウの調理方法を尋ねている間に、シェリルは静かにその場を離れ、にぎやかな店が並ぶ道へ向かった。


 多くの観光客でにぎわう活気あふれる街には、たくさんの店が所狭しと並んでいた。

 服、装飾品、小物。

 王都では見たことがないものがたくさんある。

 きっと船で異国の商品が搬入されるのだろう。


「わ! キレイ」

 カラフルな布で作られたラフな服は、ボタンもなく被るだけ。

 今着ているワンピースよりも涼しそうだ。

 シェリルは白から青、そして紺へと綺麗なグラデーションになっているワンピースを広げ、自分の胸の前に当ててみる。

 

「この青はね、この街でしか出せない青なんだよ」

 おばさんが真ん中のあたりの真っ青を指差す。

 確かに王都のドレスでこんなに鮮やかな青は見たことがないとシェリルは納得してしまった。

 長すぎるかと思ったが、下に引きずるほどでもなく、布はフワッと軽い。

 リスク『2』なんて買うしかないよね!

 

「これ貰うわ。着替える場所はあるかしら?」

 コルセットも必要ない服を着ていたなんてお父様にバレたらきっと叱られるけれど、もう王子妃ではないのだから好きにさせてもらおう。

 どうせ嫁の貰い手もないだろうし、顔色をうかがい合う貴族の暮らしに未練なんてないし、市井で生活でも構わない。

 期待はずれな娘でごめんなさい、お父様。

 シェリルは着替え、ついでに髪型も三つ編みからハーフアップに変え、薄暗い店から明るい道に出た。


「くっそぉ、あの女さえいなけりゃ、丸儲けだったのに!」

 さっき魚を売っていたおじさんがシェリルの横を通過していく。

 服も髪型も違うから私に気づいていない……?

 さすがリスク『2』の服!


「にしても毒があるフーグを売ろうなんて、お頭も大胆っすねぇ」

「魚を見たことねぇ観光客が運悪く死んだところで誰も気にしねぇっての」

 がははと笑いながら歩いていくおじさんと手下の会話にシェリルは目を見開いた。


 毒があるのにあんな高い金額で売りつけようとしていたなんて!

 知らない人だったけれど話しかけてよかった。

 あんないい人そうな青年がお金を騙し取られて死ぬなんて絶対ダメ!

 シェリルは街にはあんな商売人もいるのかと肩をすくめると、次の店に向かった。


    ◇

 

「なぜ婚約破棄をした!」

 国王は馬鹿な息子ライナスに思わず声を荒げた。


「父上! 俺はカリナ・ダグラス伯爵令嬢が運命の相手だとビビッと来たんです!」

 自信満々に意味がわからないことを言うライナスに国王も宰相も苦笑する。


「明日の会談にシェリルがいないとは」

「アークライト公爵に連絡してシェリルを呼んでもらいますか?」

「応じてくれるだろうか?」

 学園の創立記念パーティで恥をかかせたんだぞと頭を抱える国王と、今からできる最善策は何だろうかと悩む宰相を見たライナスは胸にドーンと手を当てた。


「大丈夫です、父上! 俺とカリナが会談に出ます!」

「お前では輸入の話は……」

 国王は無理だろうと首を横に振る。


「任せてください! シェリルなんていなくったって平気です」

 俺だって前回出席していると鼻息荒く食らいつくライナスでは無理だと思った国王は、大きな溜息をついた。

 

「お前は出なくていい」

「なぜですか!」

「今まではシェリルがいたから同席させていただけだ」

 シェリルがいないのであれば出る必要はないと言われたライナスはグッと下唇を噛んだ。


    ◇

 

 翌日、クトウ国の使者はシェリルがいないことに首を傾げた。

「アークライト公爵令嬢はご病気ですか?」

「え、えぇ」

 経済大臣は言葉を濁したが、その気遣いはすぐに打ち砕かれることになった。


「お待たせして申し訳ない」

「ライナス殿下? 本日は出席されないと陛下から……」

 ライナスと腕を組んで入室してきた派手な女性は、他国の使者にも挨拶すらせず椅子に座る。

 驚く経済大臣と農業大臣を横目に、ライナスは会談をはじめた。

 

「前回は輸入量と品目を明確にするという話で終わっていましたね」

「そうです。ではこちらのリストを」

 クトウ国の使者が品目と量を記載した紙をライナスに差し出す。

 ライナスは内容を見ずにそのまま農業大臣へ回した。

 

「さすがにこのオレンジの量は困ります。我が国も栽培をしておりますので」

「しかし、こちらも利益が出やすいものを入れないと割に合わないので」

「オレンジはこの半分、小麦の量を倍に増やしてもらうというのは……」

「さすがにそれは……」

 いつもはシェリルが主導権を握っていたが、今日はお互いに譲らないようだ。

 ほら、シェリルなんていない方がいいだろう?

 その方が意見を言い合えるじゃないか。

 ライナスは使者と農業大臣のやり取りを満足そうに見つめる。


「あぁ、折衷案がないですな。アークライト公爵令嬢の回復を待った方が良さそうですな」

 クトウ国の使者が溜息をつくと、カリナが「はぁ?」と失礼な声を出した。


「ライナスが決めればいいのよ。なんであの女が決めるの? おかしいじゃない」

 カリナは勝手に立ち上がり農業大臣からリストの紙を奪う。

 ライナスに「はいっ!」と手渡すと期待に満ちた目で眺めた。


「……全部このままで」

「殿下!」

「ありがとうございます! ライナス殿下!」

 うれしそうなクトウ国の使者と対照的に絶望的な表情をする自国の大臣たち。

 ライナスはリストの下に同意のサインをすると「俺だってできるんだ」とでも言いたそうなドヤ顔でカリナの肩を抱き寄せた。


    ◇

 

「次はどこへ行こうかしら」

 宿を出発したシェリルは船と馬車のリスクを確認した。

 船が二隻『48』と『13』、馬車『45』、全然関係ない方向が『18』だ。

 でもどう見たってあの豪華な『13』の船は一般人が乗れるようなものではない。

 そんな船にまで数字はつけないで。


「まさかの徒歩?」

 シェリルは肩をすくめると、リスクの数字に従い船でも馬車でもない方向に歩き出した。

 こちらには何もないと思っていたが、綺麗な噴水と花が咲き乱れる広場が現れる。

「ここを見た方がいいよって事だったのかしら?」

 シェリルは広場のベンチに腰を下ろした。

 時々風で運ばれてくる噴水の水しぶきが気持ちいい。

 こんなにゆっくりできるのは婚約破棄されたおかげだ。

 

 そういえば、昨日クトウ国と会談の予定だったがどうなっただろうか?

 小麦をできるだけ多く仕入れ、他のものはできるだけ控えたいけれど、なかなかクトウ国は納得しないだろう。

 我が国で採れすぎてしまうトマトをうまく加工して、小麦とトレードできると一番効率が良いのだけれど……って、もうそんなことを考えなくてもいいんだった。

 シェリルは大きく伸びをする。

 綺麗な青空と光る水しぶきが眩しくて、シェリルは微笑みながら目を細めた。


「……君、もしかして昨日魚を教えてくれた……?」

「えっ?」

 気を抜きすぎて人が近づいたことに気が付かなかったシェリルは慌てて伸ばしていた腕を戻し、声の主を確認する。

「あ、昨日の。アンコーウ? のお味はどうでしたか?」

「なかなか良かったよ」

 さすがリスク『22』の魚。

 そっか、あの魚おいしいんだ。覚えておこう。


「あの時、止めてくれなかったら大変なことになるところだった」

 あ! フーグには毒があるから……?

「お礼をしたいんだ」

「お礼をいただくほどのことは」

 シェリルは全力で手を横に振ったが、青年はニッコリ微笑みながらシェリルの手を止める。

「このあと用事は?」

「特にないです」

「家はこの辺り?」

「いえ、旅行中です」

 今日の宿も、行先さえ決めていないことを話すと、青年はよかったと笑った。


「俺はディー。君は?」

「シェリルです」

 自己紹介はたったそれだけ。

 ディーはシェリルの手を握ると、歩き始めた。

 ディーのリスクは今日も『18』。

 ついて行っても騙されることはなさそうだ。


「女性一人で旅行なんて危なくないか?」

「危ない方には行かないので大丈夫です」

 シェリルの珍回答にディーはそうかと笑う。

 馬車が横を通るときには、さりげなく馬車から遠い方にシェリルを誘導したり、人とぶつからないように守ってくれたり、ただ歩いているだけなのにディーの気遣いはすごかった。

「船は平気?」

「乗ったことがなくて」

「大きいから船酔いはしないと思うけれど」

 そう言われながら案内されたのは、先ほど見たリスク『13』の豪華すぎる船だ。

「……こちらではなく?」

 シェリルがリスク『48』の方のシンプルな船を指差すと、ディーはこっちとリスク『13』の船を指差しながら桟橋の前へ。

「おかえりなさいませ、ディートリヒ殿下」

 桟橋の前の騎士の挨拶に、ディートリヒはしまったという顔をする。

 ……殿下?

 桟橋の騎士の腕についた紋章はクトウ国。

 そしてクトウ国の王太子の名前はたしか――。

「クトウ国のディートリヒ王太子殿下……?」

「……あれ? なんでクトウって」

 シェリルは急いでディートリヒから手を離すと、昨日街で買った青いワンピースのスカートを持ちながら今できる精いっぱいの礼をした。


「ご無礼をお許しください。シェリル・アークライトと申します」

「アークライトってライナス王子の婚約者の……?」

「いえ、婚約破棄されておりますので」

「は? 婚約破棄?」

 桟橋の前でするような話ではないと気づいたディートリヒはシェリルの手を引き、船の中へ。

 外だけではなく、ここが船の中だと忘れてしまいそうなくらい豪華な船にシェリルは圧倒された。


 用意された紅茶は、クトウ国名産のオレンジティー。

 お菓子もオレンジが練り込まれたパウンドケーキだ。

「すまない。オレンジばかりで」

「以前いただいたオレンジティーがとても美味しくて、また飲みたいと思っておりました」

 パウンドケーキもおいしそうだとシェリルが微笑む。

「うちの大臣がそちらの王宮へ輸入についての会談に行っているはずなんだが……」

「はい。昨日ですね」

 スムーズに終わるといいですねと他人事のように答えるシェリルに、ディートリヒは一瞬驚いた表情を見せたが、そのあとこの話題を持ち出されることはなかった。

 

「フーグには毒があるのだと別の商人から聞いた。本当にありがとう」

 もしあの魚をクトウ国の王太子であるディートリヒが食べていたらとんでもないことに!

 よかった、あのとき話しかけて!


 甘くシロップ漬けされたオレンジがおいしいパウンドケーキはバターもふんだんに使われており、国の豊かさがうかがえる。

 自国よりも倍以上も大きく文化も進んでいるクトウ国は、ティーカップでさえ軽くておしゃれだとシェリルは感心した。


「失礼します。ディートリヒ様、急ぎの連絡が届いております」

 侍従が手渡した小さな紙を確認したディートリヒは、苦笑しながらその紙をシェリルに。

「……私も見てよろしいのですか?」

 小さく折り目がついた紙はおそらく鳥の足につけられたもの。

 メッセージは最低限。

 

『希望通り。R承認』

 

 ディートリヒと私は国が違うのに、急ぎの連絡を私に見せてくれた。

 私たちの共通点は輸入品の会談くらいしかない。

 ここに書かれたRはライナス殿下だ。

 

「……クトウ国が希望された交易品は何でしょうか?」

「さすがアークライト公爵令嬢とでもいうべきか?」

「え?」

「うちの大臣たちがとても褒めていた。こんな女性がうちの国にもいたらと」

 ディートリヒは侍従に指示し、今回の会談で提示したリストをシェリルに見せる。

 あまりにもクトウ国に有利すぎる条件に、シェリルは顔面蒼白になった。

 

「……これをライナス殿下が承認……」

 国王陛下の代理で出席した国同士の会談で王子が承認した内容はもう覆せない。

 どれだけ馬鹿なの、あの男!

 今回一番必要だった小麦は希望の半分にも満たない、そして自国でも十分獲れているオレンジとレモンは供給過多で価格が下がってしまう。

 このままでは国民の主食は不足し、生産品の価格は下がり貧富の差が激しくなるだけ。

 どうして農業大臣が止めなかったのか。

 いや、きっと止めてくださったけれど、あのバカ王子が承認したのだろう。

 シェリルは心を落ち着かせるため、大きく息を吐いた。


「……ありがとうございます」

 シェリルはリストをディートリヒに戻すと、何事もなかったかのようにオレンジティーを味わった。

 何も交渉してこないシェリルをディートリヒはジッと見つめる。

 目が合ったシェリルは、公爵令嬢らしい余所行きの顔で微笑んだ。


「街で会った時の笑顔の方が好きだ」

「申し訳ありません。少し、動揺しております」

 動揺したところで、私にできることは何もない。

 私はライナス殿下の婚約者でもなく、無力なただの公爵令嬢だ。


「礼をするつもりが、気分を下げてしまったな」

「そんなことはないです。教えていただかなければ、知る機会もなかったですから」

 せめて父の領地の人たちだけでも、できるだけ影響がないようにしなくては。

 シェリルは解決策を考えなくてはと思ったが、すぐには何も思いつかなかった。


「今日はここに泊まっていってくれ。おそらく夜には王宮へ行った大臣たちが帰ってくる」

「……それは」

 私に交渉する機会をくれるということ?

「それで礼になるだろうか?」

「ありがとうございます。ディートリヒ王太子殿下」

「ディーだ。街で会った時のように接してくれ」

 優しく笑うディートリヒに、シェリルは屈託のない笑顔で「はい」と答えた。


 ディートリヒとの会話はとても楽しかった。

 こちらを飽きさせず、無理に聞き出そうとすることもなく、テンポも良いため思ったよりも話し込んでしまった。

 そして時々見せる笑顔は反則級。

 比べるなんて不敬だが、同じ王子なのにどうしてこんなに違うのだろうと心の中でシェリルは思ってしまった。

 

 案内された客室も船の中とは思えない豪華な部屋。

 ただ、窓から見える景色は遮るものがない海。

 夕食はクトウ国の料理で馴染みのないものばかりだったが、とても美味しかった。

 

「アークライト公爵令嬢? なぜここに?」

「ご無沙汰しております。ハンネス農業大臣様、ユークリッド貿易大臣様」

 ドレスではない簡素な服装のシェリルは「このような姿で申し訳ありません」と謝罪した。

「報告は受け取った。戻った早々で悪いが報告を聞かせてもらってもいいか?」

 ディートリヒの言葉に大臣たちはもちろんですと答え、シェリルも同席する中、会談の報告が行われる。


「……やはりライナス殿下が」

 自国の大臣たちは交渉をしてくれたが、元婚約者のライナスと新恋人がぶち壊したのだと知ったシェリルは大きく息を吐いた。

 本当に残念な男だ。

 婚約破棄できてよかったけれど、このままでは第一王子のライナス殿下ではなく、第二王子のレイアス殿下が王位を継ぐことになりそうだ。

 

「それで、シェリルの望みは? もう一度協議をやり直そうか?」

 国の代表が決めたことを、たかが公爵令嬢が覆すわけにはいかない。

 だが、このままではオレンジの栽培をしている父の領地の人々が苦しんでしまう。

「可能であれば、小麦栽培に詳しい人を1年間だけアークライト領に派遣していただけないでしょうか?」

 アークライト公爵令嬢としての最善策はこれだと思ったシェリルは、ダメ元でお願いすることにした。

 

「……なるほど。モノではなく技術か」

「いやはや、さすがですな」

「それならあちらの王子の面子も保たれる」

 ディートリヒだけでなく大臣たちも唸っているけれど、やっぱり欲張りすぎた?

「わかった。まだ誰を行かせるという約束まではできないけれど、そうしよう」

「ありがとう、ディー」

 嬉しそうに笑ったシェリルにディートリヒも優しく微笑む。

 その二人の雰囲気に、大臣たちはニヤニヤとしながら顔を見合わせた。


 翌朝はディートリヒだけでなく大臣たちも一緒にクトウ国の朝食を食べた。

 会談も無事に終わったので、今日この港を出発し、クトウ国に戻るそうだ。

「行き先が決まっていないなら、クトウ国はどうだ?」

「いきなり海を渡ったら、父が驚きそう」

 でも楽しそうだとシェリルが笑うと、ディートリヒは「本気で誘っているんだけど」と微笑む。

 その笑顔も反則ですよ。

 ご自身の容姿が見目麗しいという自覚を持った方がいいとアドバイスしたいくらいだ。

 シェリルがおいしそうなオレンジゼリーに手を伸ばすと、扉の向こうがざわっと騒がしくなった。

 

「失礼します。ロイド国のライナス殿下が農業大臣にお会いしたいとお越しになっています」

 真面目な顔で「追い返しますか?」と普通に尋ねる侍従に、思わずシェリルは笑ってしまった。

「怒られたのだろうね」

「まぁ、そうだろうね」

 ハンネス農業大臣とユークリッド貿易大臣は、「撤回させないけれどね」と笑う。

「俺が行こう」

 ディートリヒは侍従に上着を持ってくるように指示すると、扉から出て行ってしまった。

 

「さて、我々は隣の部屋からのぞくとしよう」

「そんな面白い仕掛けがあるのですか?」

 この船はクトウ国の技術を詰め込んだ自慢の船なのだと貿易大臣が教えてくれた。

 確かに何もなさそうな場所にリスク『85』と表示されている。

 あれは罠ということ?

 シェリルはあそこは絶対に触らないようにしようと決意しながら、大臣たちについて行った。


「……なんでこんな大事な話し合いに彼女同伴なのかしら」

 シェリルはさすがに自分でもこの場は遠慮すると肩をすくめた。

 隣の部屋でディートリヒに必死で頼み込んでいるのは第一王子のライナス。

 そしてうっとりとした目でディートリヒを見ているのは伯爵令嬢のカリナだ。

 

「あれは前回打ち合わせに出ていたシェリル・アークライトがそうしろと言ったから仕方なく同意したんだ。だが、考え直させてほしい」

「あの会談にはアークライト公爵令嬢は参加していなかったと聞いたが?」

「体調不良で欠席だったが、貴国に従えと脅されて」

 いつ私が脅したのだろうか。

 それ以前に、たかが公爵令嬢が第一王子を脅せるのだろうか。

 誰だっておかしいと思うことに気づいていないのだろうか?

 本当に残念な男だ。

 

「こ、これが脅された証拠だ」

 ライナスは胸元から一枚の紙を取り出し、ディートリヒに見せる。

 署名された日付は、ディートリヒがフーグを買おうとした日。

 あの日、この街にいたシェリルが署名などできるはずがない。

 ディートリヒは日付を確認すると、書類を適当にテーブルに放り投げた。

 

「この書類は偽造だな」

「な、な、なんで」

「あの女は本当に最低で。いつもライナスが可哀想で」

 泣きまねをしながら豊満な胸をグッと強調するカリナに、ディートリヒは苦笑する。

 こんな品のない女のために聡明なシェリルを捨てるだなんて、やはり納得がいかない。

「本当に本人の署名か?」

「も、もちろんだ」

「当然よ」

「……そうか」

 ディートリヒは今のやり取りを日時と共に記録させる。

 ディートリヒが髪をかき上げながら立ち上がると、カリナはうっとりと見つめながら姿を目で追いかけた。


「その日に署名は無理だ」

 ディートリヒが壁にそっと触れると、ただの壁だと思っていた部分が扉のように開く。

 そしてその向こう側にいるのは――。


「……シェリル? おまえなんでここに!」

「まさかライナスに嫌がらせするため? ホントに最低な女ね、あんたって!」

 立ち上がったライナスとカリナはシェリルをいっきに責め立てる。

 自分たちが失敗したくせに、全部私のせいにしようとしている二人にはもう呆れるしかなかった。


「ライナス殿下、国の代表として会談に臨まれ、ご自身でサインした内容には責任を持つべきです」

「うるさい! おまえはいつも俺に説教ばかり。だから捨てられるんだよ」

 カリナの方が俺のことを思っていてイイ女だとライナスはカリナの肩を抱き寄せる。

 

「個人的な問題は関係ありません。撤回は認められなかったと国王陛下にご報告ください」

 そして廃嫡されてください。

 とまでは言わないけれど。

 だが、今回のこの失敗は国王陛下でも庇いきれない。

 おそらくライナスは廃嫡となるだろう。

 

「おまえな! 少しはカリナみたいに可愛らしくできないのかよ」

「その可愛らしいお相手は、先ほどからずっとディートリヒ殿下の方を見つめているけれど?」

「……は?」

 肩を抱いているカリナの視線はシェリルが言った通りクトウ国の王太子に。

「カリナ!」

「しかたないじゃない! カッコよすぎるのよ。背も高いし、顔も彫刻みたいだわ。あんなに色気を出されたら見るに決まってるじゃない!」

 欲望に忠実すぎるカリナの発言を聞いた大臣たちがシェリルの隣で笑いをこらえている。


「この二人を捕えろ! 詐称罪で訴える」

「私は関係ないわ、ついてきただけだもの!」

「さ、詐称罪!? シ、シェリル! なんとかしてくれ! 婚約者だろ!」

 ライナスのリスクは『89』、ディートリヒは『18』。

 ライナスを助けるなんて嫌だ。

 こんな男に救いの手を差し伸べる気なんてさらさらない。

「婚約破棄しております」

「そ、そうか。ショックだったんだな! 大丈夫だ、もう一度婚約できるように父上に……」

「リスクの高い男とは婚約をお断りします」

 騎士たちは抵抗するライナスとカリナをあっさりと拘束する。


「彼らにはしかるべき措置を取るが、この国にシェリルを残していくのは心配だな」

 ディートリヒはシェリルの右手をそっと握ると、その場に跪いた。

 

「シェリル・アークライト公爵令嬢。どうか俺の妃に」

「ディー!? 急に何を……!」

「初めて街で会った日から、フーグを止めてくれた時からクトウ国に連れて行きたいと思っていた」

 指先に口づけされたシェリルの顔は真っ赤に染まる。

 ディートリヒが私を?

 ディートリヒのリスクは『18』。

 だから騙されているわけではない。

 本当に、私を……?

「アークライト公爵に挨拶しに行ってもいいだろうか?」

 微笑みながらシェリルの手を握るディートリヒに、シェリルは魂が抜けそうだった。


 ディートリヒはシェリルと一緒にロイド国の王都へ。

 国王にライナスとカリナの偽造書類を提出し、シェリルに責任を擦り付けようとしていたと告発した。

 ライナスはその場で廃嫡、カリナは修道院へ。

 だが、締結された会談の内容が覆ることはなかった。

 

 ディートリヒはシェリルの父アークライト公爵へ挨拶し、その場でシェリルと婚約。

 シェリルはそのままクトウ国に行き、一年後に盛大な結婚式を挙げた――。

 

    ◇

 

「シェリル、オレンジティーの入れ物はどちらが女性に好まれるだろうか?」

 目の前に差し出されたシンプルな陶器の入れ物はリスクが『35』、美しい細工の入れ物は『79』。

「こちらのシンプルな方で」

「そうか。高価なら良いというわけではないのだな」

「あ、ベルドラド国に輸出するよりも、ルストリア国の方がいいと思う」

 地図に表示されたリスクは『66』と『34』。

「そういえばこちらは最近山賊が出ると報告があったな」

 すごいなと微笑んでくれるディートリヒのリスクは『9』。

 初めて出会った日でさえ『18』だったのに、こんなにリスクのない完璧な旦那様を手に入れてしまった。


『婚約破棄された悪役令嬢ですがリスクを回避できて幸せです』


 リスクが高いライナスに婚約破棄されて本当によかった。

 

「シェリル、海風は冷えるよ」

 上着をかけてくれる優しい旦那様のディートリヒ。

「かあさま、絵本を読んで」

 お気に入りの絵本を差し出す5歳の息子のフリードリヒ。

 そしてお腹の中の子は、男の子だろうか女の子だろうか。

 

 シェリルはリスクを回避しながら、家族とずっと幸せに暮らしました——。


    END

多くの作品の中から見つけてくださってありがとうございます。

珍しくタイトルから決めてしまった作品なのですが、サバサバした性格のシェリルを気に入っています。

でもヒロインがしっかりしていると、ヒーローのディートリヒがあまり目立たないなと反省(´;ω;`)

なかなか難しいですね。


追記:2024/10/11

いいね、評価、感想ありがとうございます(*'▽'*)

リスクはシェリルから見たリスクで、全世界共通数字ではありません(汗)

例えば青いワンピースは服装が変わって魚屋のおじさんに気づかれないのでシェリルにとって『2』ですが、シェリルより身長が低い人がリスクを見ることができたら転ぶかもしれないので『40』になるとか。

そんなイメージで読んでいただけると嬉しいです。


追記:2024/10/13

とても面白い感想をいただいたので、SS小説をここで紹介します。

--------------------

◇SS小説:禁断のグルメ


「これはフーグ!」

 ディートリヒは目の前に出されたフーグに驚いた。

「この魚には毒が……」

 今日もこの魚のリスクは『97』。毒がない別の魚というわけではなさそうだ。

「まぁ、任せとけって」

 キョクトー国から来たイタマーエがフーグの調理を始めた途端、フーグのリスクが減っていく。

 切り分けられた切り身のリスクは『21』。

「毒は魚全体ではないのですね」

 シェリルの呟きにイタマーエは頷いた。

 薄く切られた魚は皿の模様が透けて美しい。

 味は淡白だが、フーグはとても美味しかった。

 当然捨てるのだと思っていた毒の部分をなぜかイタマーエは入れ物の中に。

「それは?」

「ヌカに漬けると毒が消えるんだ」

 レシピは秘伝だから教えられないとイタマーエは笑う。

「毒が消える? なぜだ?」

「なんかよくわからんけどそうなる」

「わからない!?」

 この数日後、リスクが『26』になったフーグの卵巣をシェリルは不思議そうに眺めた。

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楽しい感想ありがとうございます!ここで紹介させていただきました。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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― 新着の感想 ―
とても面白いしこんな能力欲しい(とてもうらやましい)なと思う
可能性も含めて数字として表示されるなら相当有能なのでは?フーグの番外編で彼女も努力次第でリスク回避できるものと知ったし、これで視界が広がりましたね。思考次第で数字の変動を調節できるなら国の有事にも対応…
このヒロインの能力、羨ましすぎる!
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