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上 旅立ち

上下編の2話のみの短編小説です。

 ある朝、目を覚ますと隣で愛する人が服を血で赤く染めて死んでいた。文字通り死んでいたのだ。ベッドには鮮血が飛び散り、僕が身に付けている衣服にも血がこびりついている。そして、何かを右手に握っている? 握りしめていた手のひらを開くと短い刃物があった。その刃は血で赤く染まっている。しかし、僕には愛する人を殺した記憶などはない。例え何か喧嘩をしたとしても殺しはしないだろう。僕はこの人を愛していたから。この世界でただひとり、愛した人だったから。


 すぐに僕は家を飛び出した。外は相変わらず暗い。街灯もまだ一部しか点いていないようだ。鍵が閉まっていた玄関を開きっぱなしにして走った。感情がぐちゃぐちゃになっていた。感情を整理することなど出来ない。そもそも、これは現実に起こったことなのだろうか。泣きたい。泣き出したい。でも、泣けない。気がつけば僕は、家や集合住宅が建ち並ぶ住宅地区から、会社や店が建ち並ぶ商業地区の、中心部の交差点まで走ってきていた。中心部というだけあって交差点の周りには高層ビルが建ち並んでいる。住宅地区から商業地区はそれなりの距離があったはずだ。少なくとも、歩いて30分で着く距離ではない。走っているうちに感情が少し落ち着いたのか、両目からは涙がこぼれ落ちていた。まるで他人のような例えだが自分の事だと気づけなかったのだ。いや、気づこうとしなかったのだ。


 ざわざわと、なにやら周りが騒がしい。行き交う人々は皆、僕を見ている。なぜ、僕を見ているのだろう。僕は、もうその場から動けなかった。家にも帰りたくなかった。現実を見たくなかった。家に帰ると、愛する人が待っていそうな気がした。しかし、それが間違いだと分かりたくなかった。やがて、僕はその場に座り込んでしまった。もう、動けない。いや、動きたくない。そう思ったからだ。その数時間後、僕は警察署へと連行されていった。そりゃ、そうだ。僕が身に付けている衣服には血がついている。この血はいったい誰の血だというのだろう。分かっているのだが、分かりたくはなかった。


 数日間、警察署に勾留された僕は取り調べを受けた。まるで僕が犯人だと決めつけるような話を聞かされたが言い返す気力も無かった。その後、裁判も開かれたのだが結果としては有罪となった。というより、有罪にするためだけの裁判だったのだから結果としては当然だ。僕の住むこの国では殺人は最も凶悪な犯罪とされており、1人でも人を殺せば無期懲役以上は確定となる。僕も例外なく無期懲役となった。


 ―――――――――――――――


 ここは、罪人収監所。冷たい鉄柵が通路と牢屋内部とを仕切っている。牢屋内部と、廊下ともに明かりは少なく薄暗く、どんよりとした空気がうっとうしく感じる。衛生環境もあまり良くなく、牢屋内部に備え付けの蛇口をひねると赤茶色の水が流れる。流石にお腹を壊しかねないため飲み水としては使えない。

 牢屋内部はシャワールームとそれ以外の場所に分かれている。シャワールームとは言っても、シャワーヘッドからは赤茶色の水が流れるため、使うとむしろ汚れてしまう。トイレもあるのだが、あまり進んで使いたくなるものではない。

 食事は一日に一回、看守が見回りのついでに持ってくるといった感じだ。量は少ない。手錠が掛かっているため食べにくいが、食事が出るだけでもありがたい。

 僕は死ぬまでここで暮らす。それでいいのだ。ここにいれば、何も考えずに済む。そう何も……。そう、思っていた。


「ここに来てからどれくらい経ったかな。もう、分からないや」


 ここに来た時には、短かった髭と髪がかなりの長さになってしまっている。この髭と髪の成長度合いが、ここにいた時間の長さを表しているかのようだ。これだけ長く一人でいるのだから、時々このように一人で何かを呟かなければ、精神がおかしくなってしまいそうだ。


 もうそろそろ、見回りの時間だろう。お腹もすいてきた。今日のメニューは何だろうか。メニューといっても、大体が乾ききったパンとただの水なのだが、それでも美味しいと感じることができるのは不思議だ。食事がこの生活の中での唯一の楽しみといってもいいだろう。少し楽しみにしながら、牢屋の隅に座り込み待っていると、手持ち照明を片手に持ち食事と水を入れたかごを、もう片方の手で持った看守がやってきた。看守は、口元を布のようなもので覆っている。理由は分からないが、いつもそうしているのだ。


「今日の食事だ。囚人番号620番。それと、少し話がある。食器の回収の際にその話をする。食べ終わっても寝たりせずに待っていろ」


「はい」


 話とはなんなのだろう。まさか、死刑になったとかではないだろうか。まあ、それはそれで別に良いのだが。

 とりあえずは、この乾ききって固くなったパンを早く食べてしまおう。もう少し良いものを出してくれてもいいと思うのだが、これはこれでなかなか美味しい。きっと1日に唯一の食事というのが、大きいのだろう。


「でも、やっぱ固いな……」


 パンを食べるというよりかは、噛み千切るというほうが正しいかもしれない。味は特に何もついていないただただシンプルなパン。1度でいいから焼き立てを食べてみたいものだ。焼き立てのパンはきっと美味しいことだろう。その焼き立てのパンに何かしらの果物のジャムなどを塗って食べたらさらに美味しいだろう。そんな想像をすると不思議なことに更にお腹が空いてくる。心は動いていないのに、体は動こうとしているのだ。人体とは不思議なものだ。なんにせよ、僕に希望は無いというのに。


 食事を終え、牢屋の隅で寝そうになりながらも、眠気をこらえながら座っていると。再び看守がやってきた。各牢屋から、空になった木製のコップを回収して回っている。僕の空のコップ以外を1通り回収し終えてから、最後に僕の牢屋にやってきた。


「囚人番号620番、出ろ」


 そう言うと、看守は牢屋の鍵を開けた。


「はい?」


 聞き間違えだろうか。


「出ろと言っている。聞こえていないのか?」


「僕は、死刑になるんですか?」

 

「いいから、出ろ!」


 看守に牢屋から無理やり引きずり出された。牢屋の中には特に私物などはない。牢屋だから、当たり前だろう。私物の持ち込みは禁止されている。もし、持ち込んだ私物で自殺でもされてしまえば、それは全て罪人収監所の責任になるからだ。そうなれば、この施設の閉鎖もありえる。それを回避するために、私物の持ち込みは禁止されているのだ。


 改めて何も置かれていない牢屋を見ると、少し寂しく感じてしまう。長い間そこに居たはずなのに、それがまるで嘘だったかのように思えるのだ。この施設に来たときにも、同じ光景を見た。何も置かれていない牢屋。所々カビが生え、ホコリが舞っている薄汚い牢屋。それをまさか、もういちど外から見ることになるとは思いもしなかった。


 看守の後ろをついて歩く。僕と、看守。どちらも何も話すことなく歩き続ける。気がつけば、薄暗い牢獄棟から明るい看守棟へと来ていた。1つの扉の前で立ち止まると看守はこう言った。


「この部屋の中で待っていろ」


「待ってるって何を?」


「待っていれば分かる」


 そう言うと看守は僕を部屋の中へと入れ、廊下側から鍵を掛けると去っていった。部屋の中をぐるっと見回す。中央に長い机があり両側に椅子が並んでいる。とはいえ、手錠はかかったままなので椅子に座るのは難しいだろう。立ったまま待つことにした。


 ―――――――――――――――


 やがて、ガチャッという音と共に扉が開かれた。そこに居たのは、意外な人物だった。少し控えめな金髪に茶色の瞳。見覚えがある。それも、僕が逮捕される数日前に。その人物とは。


「ライアじゃないか!」


「やあ、久しぶりペース。2年ぶりくらいかな?」


「僕、そんなに牢屋のなかにいたの?」


「ああ、そうだ。ペースが捕まったって聞いたときは驚いたよ」


 彼は、学生時代親友だったライア。だったと過去形なのは、ライアが学校を卒業してから、国を出て他の国へ行ってしまい、しばらく会っていなかったからだ。そんな、ライアだが突然僕たちの目の前に姿を表した。僕の逮捕される数日前、家を訪ねてきたのだ。突然の事だったので驚いたが、久しぶりの再開ということもあり、その日は長い間話をした。あの日は楽しかった。いや、そんなことよりだ。


「なんで、ライアがここにいるの?」


「そうだな、まずはペース。その手錠動きにくいだろ。外してやるよ」


 そう言うと、ライアは鍵を取り出して僕の手錠を外した。長い間、腕に掛かっていて二度と外れることが無いと思っていた手錠が、あっさりと外れてしまったのだ。


「こんな、あっさり……」


「なんだ、驚いたか? 驚くのはここからだ。それでは話そう。俺がなぜここにいるのか。ペースはなぜここにいるのかを」


「頼むよ。できるだけ分かりやすくね」


「まず、この星がなんて呼ばれてるのかは知ってるよな」


「白き星……だよね」


「そうだ。昔は、別の名前で呼ばれてたらしいが、今はそう呼ばれてる。白き星って言われてる理由は、宇宙から見たらこの星が真っ白だからだ。なんで、白いかは分かるか?」


「たしか、昔起きた戦争で、争っていた国の片方が戦争を終わらせるために、天候操作兵器を使ったんだよね。その国は、試作段階の天候操作兵器を試験もせずに使った。天候操作兵器を使えばどうなるか具体的なことは分かっていなかったんだ。結果、戦争は終結した。しかし、この星は分厚い雲に覆われて、陽の光も届かなくなってしまった。たしか、そうだったよね」


「そうだ。その通りだよ。雲に覆われたことによる影響もかなり大きいんだ。ある地域では雪が降り続けてるし、また別の地域では、雨が降り続けている。どこでも、共通なんだが年中気温は低い。だから、人々は活火山の近くに国を築いた。この国もその一つだろ。活火山による地熱に恩恵を受けて、なんとか生活できてるんだ」


「それでいいじゃないか。何がダメなのさ?」


「でもな、このままではこの星は滅びる」


「滅びる? ライア何言って……」


「そうだ。滅びる。学校を卒業した後に俺が住んでいた国は滅んだ。人の力ではどうしようもできないような自然現象でな」


「そもそも、ライアってなんでこの国から出たの?」


「宇宙の研究をしたかったからだ。俺が住んでいた国は宇宙の研究が盛んでね。直接観ることはできない宇宙を知るためにこの国を出たのさ」


「そうだったんだ」


 それだけの理由ならば、少しくらい話してくれれば良かったのにと思う。そうすれば、お見送りくらいは出来ただろう。


「その国から命からがらなんとか逃げ出してきた俺はふたたび、この国に戻った。職を探していたらこの国の宇宙開発機関から声がかかったんだ。我々の機関で研究をしないかってな」


「それで戻ってきたんだね。でも僕が捕まる前に会ったときは、何をしているのか教えてくれなかったじゃないか」


「まあ、秘密にしとけって言われてたからな」


「それで結局、ライアはどうしたの?」


「もちろん、了承したさ。そこで俺はとある星についての研究を再開した」


「再開ってことは、前居た国でもその研究をしてたのか。で、とある星ってなんなの?」


「青く輝く星。俺は、そう呼んでる。白き星から、遥か彼方に位置する星なんだ」


「青く輝く星?」


「言葉通りだよ。青く輝いているんだ。神秘的にね」


「で、その星と僕とがどう関係してくるんだ?」


「研究を進めた結果、その青く輝く星には、この星の滅びを防ぐための物があると予想されることが分かったんだ」


「それは、なんなの?」


「まだ、分からない。でも、青く輝く星にそれがあることは分かってるんだ」


「分からないんだね」


「そう、分からないんだ。正確にはそれの正体がつかめない。だから、俺は宇宙開発機関内で、青く輝く星の調査へと行ってくれる人を募集した」


「それで志願者はいたのかい?」


 ライアは深刻そうな顔をして続けた。


「いや、誰も現れなかった。そこでだ、お前に頼みがあってここに来た」


 なんとなく理解できた気がしてきた。しかし、一体ライアはどこで僕が捕まったことを知ったのだろうか。


「宇宙へ。青く輝く星へ行ってくれないか? ペース!」


「そんなこと急に言われても………」


「ペース。君は無期懲役なんだろ? それなら牢屋で一生過ごしたって宇宙で一生過ごしたって同じじゃないか! それにこの星を離れれば、きっと辛いことはすべて忘れることができる。 辛いことから目を背けったっていいじゃないか」


「でも………」


 どうせなら、暗い牢の中で死ぬまで過ごしたかった。しかし、宇宙へと行くことで全て忘れることができるなら、行ってみてもいいかもしれない。


「もう話は通してある。もし断ったら、君はまた暗い牢の中に戻ることになる」


 どうやらライアは何としてでも僕を宇宙へと行かせたいらしい。


「もう、君だけが頼りなんだ。ペース…」


 決心はついていた。ライアの話を聞くうちに。


「分かった。行くよ」


 そういうと、ライアは安心したかのような素振りを見せたもののすぐに深刻そうな顔に戻った。


「だがな、お前は今の状態のまま宇宙へと行けると思うか?」


「行けるんじゃない?」


 適当に返事をする。


「いや、無理だ。宇宙にはたくさんの危険があるし、未知の場所でもある。そんな所へなにも知らない素人が行ったら死ぬだけだ。俺の所属する宇宙開発機関にはな、宇宙へ行く人のための訓練施設があるんだ。そこで、そうだな……お前にはしばらくの間訓練してもらう」


「しばらくっていつまでさ」


「俺がいいって言うまでだ」


「それは、長いの?」


「さあな。まあ着いてこい」


 さあなって……、せめてどれくらい掛かるのかは教えてくれもいいだろうに。それを教えてくれないということは、僕の頑張り次第ということになのだろう。まあ、実際に行ってみなければ何も分からないのだが。


 ライアは、僕をその場に残したまま部屋から出て行ってしまった。僕も少し迷ってからその後を追いかけて部屋を出る。ライアの姿は廊下には見当たらない。もうすでにこの建物の外にいるのかもしれない。

 迷ったというのは本当に部屋を出てよかったのかということだ。ライアを探して廊下を歩いている今でさえ迷っているぐらいだ。しかし、その迷いは杞憂なのか、廊下を歩いていて収監所の職員に声をかけられるようなことは事はなかった。僕の扱いは今どのようになっているのだろう。疑問ばかりが残る。


 歩きながら考える。このように自由に歩くのはいつぶりだろうと。厳密には僕は自由の身ではないのだが、僕を押さえつける手錠もないのだからそう錯覚してしまう。しかし同時に自由というものの怖さが襲ってくる。僕は自由の中で何をしたい。どうしたい。どこへ行きたい。

 今逃げ出せば本当の意味で自由になれるのかもしれない。そもそも、自由とは何なんだ。僕は、それを考えるのが怖いから、何かに縛られる道を選ぶ。だから今はライアを探さなければならない。そうすれば何も考えなくて済む。僕は自由ではなくなる。


 廊下を歩いているうちにロビーのような場所へとやってきた。罪人収監所にも来客があるのだろうか。椅子に座っている人の姿も確認できる。罪人収監所唯一の出入り口はロビーにあるのだと誰かが言っていた覚えがある。いや、あれは捕まる前に聞いたラジオの情報だろうか。潜入罪人収監所とかいうタイトルで放送していた覚えがある。まあ、僕が潜入する事になってしまったわけだが。


 人感センサーがついているのだろう。自動で両側にゴゴゴと音を立てながら開く鉄製のドアを通る。ドアが鉄製なのは囚人の脱走を防ぐという目的があるのかもしれない。しかし、鉄製というせいでこのドア自体、重苦しく感じてしまう。このドアが内側と外側を分ける、一種の境界線のようなものだろう。


 建物の外へ出ると明るい光に包まれる…なんてことはなく、冷たくて乾いた風が顔に吹き付けてくる。風なんて感じたのは久しぶりだ。それにしても、相変わらず外は暗い。明かりは点々とある街灯くらいだ。今が昼なのか夜なのか分からない。ただ、おそらく昼だろうということは分かる。罪人収監所は街の郊外の丘の上にあるのだが。正面に見える街の明かりが眩しいからだ。街中にはいたるところに街灯が立っており明かりが灯される街灯の数は時間帯によって変わる。昼間は、すべての街灯が点灯するが、夜は一部の街灯のみ点灯するといった感じにだ。街の明るさからして今はほとんどの街灯がついているのだろう。


 収監所に併設された駐車場から僕を呼ぶ声が聞こえる。


「おーい、ペース。こっちだ!」


 声がする方を見るとそこにはライアがいた。どうやら僕が建物の外に出てくるのを待っていてくれたらしい。ライアの横には、赤色のスポーツタイプの自動車が停めてある。その車で宇宙開発機関に向かうらしい。


 自動車に乗り込むと、ライアはすぐに自動車を発進させた。今の時代には珍しく、自動車のエネルギーには自動車用オイルを使っているようで、エンジンのうなりと振動が伝わってくる。自動車用オイルは様々な油種を混ぜ合わせた合成物質のようなものだ。そもそも、油種の値段自体高いのだ。そのうえ、地熱車が普及した現在では入手が困難となっている。そのため、オイル車ではなく地熱車に乗る人が多いというわけだ。地熱だけで本当に動くのかと思ってしまうが動くらしい。熱エネルギーを運動エネルギーに変換した物を車内に入れてそれで動いているらしいが機械系の知識が無い僕にはさっぱりだ。


「ライアの車は、地熱車じゃないんだね」


「なんか悪いか?」


「いや、珍しいなと思ってさ。今の時代にオイルで動く車なんてさ」


「そうか? オイル車ほど良いものは無いと思うけどな。地熱車なんて自動車といえないだろ。それにな......。いや、何でもない」


 ライアは何かを言いかけたものの、その何かを言うのはやめたようだ。いったい何を言おうとしたのだろうか。


 自動車は、進む。昼間とは思えない暗さの街を。収監所があった郊外からだいぶ街中へと入ってきたようだ。この辺りは、商業地区だ。街を行きかう人々は、皆楽しそうな笑顔を浮かべている。僕には、その人々がとても眩しく見えた。そして同時に考えてしまう。心の底からの笑顔を浮かべている人はどれ位いるのだろうかと。


 商業地区を抜け、自動車は都市高速へと乗った。都市高速とは、国の主要な区画同士を結ぶ自動車専用道路であり、高速での移動を可能にするという目的で作られたものだ。都市高速さえ使えば移動を早く終わらせることができる。国といっても、国自体が大きな街のようなものなのだがその国を東西、そして南北に貫くように都市高速は設計されている。今走っているのは、おそらく都市高速南北線だろう。都市高速は自動車の自動運転に対応していると思っていたのだが、ライアは自動運転モードへと切り替えようとする素振りすら見せず手動で運転をしている。


「自動運転モードに切り替えないの?」


「この車には自動運転モードが搭載されてないんだよ。もう、30年くらい前の車だからな。それに、自動運転モードが搭載されてても俺はそれを使わないと思うがな」


「なんで?」


 ライアはニヤッと笑みを浮かべる。


「運転するのが楽しいからだよ。さあ、ここから宇宙開発機関までもっと飛ばすぞ!」


 ブオーンと、エンジンが唸りをあげてスピードがぐんっと上がり、周りの車をどんどんと追い越していく。ライアは、運転するのが楽しいというそれだけの理由だけで自動運転車へ乗り換えないのだろうか。いや、それ以上の理由があるのだろう。楽しいだけでない理由が。


 窓の外を見れば、荒れた大地に建物が点々と建っている。しかし、建物から漏れる明かりは1つもない。どうやら、どこも廃墟となっていて人は誰1人住んでいないようだ。この国にここまで荒れ果てた土地があるというのは知らなかった。宇宙開発機関というのは、いったいどこにあるのだろう。


 やがて、車は都市高速南北線の南端まで来ていたらしい。気がつけば都市高速から一般道路へと降りていたからだ。片側2車線だった道路も片側1車線へとなっていた。都市高速の南端ということは国の端の中でもさらに端といった感じの場所だろう。国の外へ出るための門は東端と西端に1つずつあるのみで南端と北端には何もないと思っていた。少なくとも地図には何も書かれていなかったはずだ。周囲の景色を見る限り荒れ果てた大地が広がっているのみだ。地表に薄っすらと白く積もっているのは雪だろうか。しかし、こんな場所にまで都市高速が続いているということは何かしらの理由があるのだろう。


 道もデコボコになってきたようでガタガタと車が揺れる。少し乗り物酔いをしそうだ。ライアは周囲には何もない場所で路肩に車を寄せて停めた。


「ここで降りるぞペース」


「分かった」


 道中薄っすらと積もっていた雪は、完全に地面を覆いつくしてしまうほどまでになっていた。履いている靴が完全に埋まってしまうくらいには積雪の厚みはあるようだ。ここまでの積雪を街では見たことがなかったため、僕は白色に染まった景色を新鮮に感じた。そもそも雪など降らなかったのだ。せいぜいひょうが降ったくらいだろうか。


「ところで、宇宙開発機関とやらはどこにあるの?」


 僕はライアに尋ねる。どこにも建物らしきものは見当たらないのだ。


「ちょっと待ってな」


 ライアはそう言うと携帯型端末を取り出し。どこかへ連絡を取る。


「俺だ。ライアだ。門を開けてくれ」


 ゴゴゴゴゴと地面がうなりをあげて揺れると同時に少し離れた場所にある地面が口を開けるかのように持ち上がった。その内部は地下へと道が続いている。明かりはついているものの途中でかカーブしているのか先がどうなっているのか見ることはできない。


「ここを下れば宇宙開発機関だ。訓練が始まればもう後戻りはできない。覚悟はできたか? ペース」


「行くしかないんだね……」


 内心行きたくない。しかしここまで来てしまったからにはもう戻れないのだ。もとより、僕にはもう戻れる場所なんてないのだから。


「さて、それじゃあ行くぞ! 着いたら早速訓練開始だ!」


「分かったよ……」


 ライアは一度降りた車にまた乗る。もう一度乗る必要があるのならなぜさっきは降りたのだろうか。


「あれ、また車乗るの?」


「なんだ、乗らないのか? 乗らないのなら先行ってるぞ!」


「待ってライア! 乗るからおいてかないでー!」


 車は唸りを上げ、進んでいくと思ったのだがそんなことはなかった。運転席側の窓から顔を出しライアはニヤッと笑みを浮かべながら言った。


「冗談だ」


「なんだ、冗談か」


 僕はほっと胸を撫で下ろし、車に乗り込んだ。


 ―――――――――――――――


 訓練は、きつく険しいものであった。宇宙へ行くための訓練であるため当然といえば当然だ。長い間牢の中で座って動かずに過ごしていた僕は日々の訓練をこなすので精一杯だった。基礎体力をつけるためのランニングから始まり筋肉量を増やすためのウェイトトレーニング。無重力空間での移動訓練。宇宙船の操縦訓練。緊急時の応急処置。更には宇宙についての知識をライア直々に講義してもらったりもした。毎日これらの訓練をこなして疲れ果て、気づいた時には眠っている。そんな生活が数か月、いや数年続いただろうか。正確な時間は把握できていない。それだけ大変だったのだ。

 その日も午前の訓練が終わり昼休憩を取っていた時だった。突然ライアに呼び出されたのだ。昼休憩とはいっても食堂へ行って適当に昼食をとってから自室に戻って横になり休憩を取るだけなのだが。今の僕には自室ですら居場所といっても怪しい場所なのだ。ただただ言われるままに訓練をする。それだけでいいのだ。そうすれば何も見なくて済むのだから。


「訓練はどうだ? もうだいぶ慣れてきたんじゃないか?」


 指定された部屋に入って早々そんな質問をライアから投げかけられる。その部屋が机が均一に並んだ会議室のような場所だった。


「そんなことないよ」


 現に指定された部屋を見つけるまで施設内をぐるぐるぐるぐると歩き回ってきたばかりだ。施設自体が広すぎるのだ。そのうえ普段は訓練場と自室の往復のみのため迷うのもしかたのないことだろう。訓練自体にも多少は慣れてはきたと思うものの、体力的に限界だったものが少しマシになった程度だ。


「ついていくのがやっとだよ……」


「そうか」


 ライアはその言葉を聞き少し申し訳なさそうな顔をする。


「本当はまだまだ訓練を行う必要があったのだが、宇宙への出発がだいぶ早くなってしまったんだ」


 僕はその言葉にかなり衝撃を受けた。


「ペースには申し訳ないと思ってる。ペースが訓練をしている間研究を進めていたのだがもう時間がわずかしか残されていないことが分かったんだ」


「ずいぶん急なんだね、それに僕は……」


 まだ宇宙に自信を持っていけるほど訓練はできてないよね。そう言いかけたものの、その言葉を言うのはやめた。僕には、選択肢などないのだ。ライアの指示に従っていればそれだけでいいのだ。


「いや、分かった。行くよ宇宙へ」


 ライアは安心したような顔をしてこう続けた。


「ありがとう、ペース。早速だが出発は明日だ、今日はもうゆっくり休んでいてくれ。準備などもあるだろうしな」


 部屋に戻り、ベッドに横になる。何も考えられなかった。いや、考えたくなかったのだ。僕はそのまま眠りについた。特に夢など見ることもなくよく眠れた。そう思うことにしておいた。


 翌日、朝食を取りそそくさと準備を済ませた僕は早速宇宙船の発着場へと向かった。準備といっても宇宙船内に私物は10個ほどまでしか持ち込めないためすぐに終わったのだ。暇つぶしと連絡用にライアから貰った携帯型ゲーム機と携帯型通信端末。この2つだけでいいのだ。着替え等は必要ないらしい。宇宙という特殊な環境ゆえ指定された服のみ着ることと決まっているのだ。

 宇宙船の発着場は施設の中央だ。施設自体が宇宙船の発着場を囲むように作られているため迷うことはなかった。宇宙船を宇宙へと実際に飛ばすというのは頻繁にはないのだろう。すれ違う施設の職員は皆忙しそうにしていた。


「やっと来たか! ペース」


 ライアは発着場へとやってきた僕を見つけるなりそう言った。発着場内部は、宇宙船の発射台を中心に円形の廊下で囲むような作りになっている。発射台側はガラスで覆われており、これから乗り込むであろう宇宙船が見える。


「来るの、遅かった?」


「いや、そんなことは無いさ。そんなことより、荷物は持ってきてないのか?」


 僕はライアにズボンのポケットから携帯型ゲーム機と携帯型通信端末を取り出し見せる。


「この2つだけでいいよ」


「2つだけでいいのか? 10個までだったら持ち込めるが」


「この2つ以外、必要なものなんかないしね」


「君が、それでいいのなら構わないが」


 ライアはそう言うと、ガサゴソと袋に入った何かを取り出した。


「宇宙服だ。着替えてきてくれ」


 渡された服は、一見普通の布でできた服のように見える。しかし、最先端の技術が詰め込まれているらしく、宇宙における有害物質等をはね退けることができるらしい。というのはライアに教えてもらったことだ。実際に触ってみると、布とは思えないほどツルツルとしている。また伸縮性が自在らしく、急激な環境の変化にも耐えることができるらしい。


「分かった」


 服を着替え、戻ってくる。ライアから替えの宇宙服を貰い宇宙船の細かい説明を受ける。ライアは宇宙船の船内図を広げ、一つ一つ説明してくれるようだ。


「食料や、水分は備蓄してある。その備蓄庫がここにあってだな。それで、トイレがここで、シャワー室がここだ。あとは、操縦に関してだが操縦は基本的にやらなくていい。自動操縦で、目的地へと向かってくれる。万が一のことが無ければだけどな」


「なるほど」


 万が一のことなど起きないことを祈るばかりだ。正直、操縦に自信はない。


「万が一のことがあったときは無理に操縦はしなくていい。ここに緊急時用の宇宙服がある。自動案内に従って装着してもらえればいい」


「あとは、これがここで」


 その後も、ライアによる説明は続いた。正直覚えきれる気がしない。きっとなんとかなるだろう。安楽的に考えることにした。


「さて、それではいよいよ宇宙へと旅立ってもらうわけだが覚悟はできたかい?」


「うん、できてるよ」


「それじゃあ、こっちへ来てくれ」


 宇宙船に乗り込んだ。内部はかなり広く、一人では持て余してしまうほどだ。先頭部の操縦席に座る。操縦席とはいっても操縦するつもりは無い。トラブルが起きないことを祈るばかりだ。操縦席の前方は巨大なモニターで覆われている。このモニターには機体の先端に取り付けられたカメラの映像が映し出されるらしい。強度の問題で、ガラスで覆うことができないのだとか。しかし、操縦室以外の部屋には窓が設置されているのが不思議だ。おそらく強度の問題というのは先頭部のみの問題なのだろう。


「しっかり安全ベルト締めたか?」


 ライアの声がする。まるで同じ室内に居るかのようなクリアさだ。


「安全ベルトは、これか」


 ガッチリと上から固定するタイプの安全ベルトだ。遊園地のジェットコースターの安全ベルトを更に丈夫にしたものといったところだろうか。


「締めたよ」


 身動きが取れないほどガッチリと安全ベルトに体が固定されている。少しきついほどだ。


「よし、それじゃあもうじき出発だ。こちらの準備ができ次第発射する」


「了解!」


 着々とライアの準備は進んでゆく。待ったのはほんの数分だけだった。


「準備が完了した。カウントダウンを始める」


「カウントダウン? それって必要なの?」


 僕一人が宇宙へ行くのにわざわざ必要なのだろうか。


「必要だ。決まったタイミングでやらねばならない操作もあるんだ」


「そうなんだね」


「それでは、カウントダウンを始める」


「10・9・8・7・6・5・4」


 燃料に火が付いたのだろうエンジンがゴーッと音を立てうなりを上げ始める。燃料に火が点いてしまいさえすれば補給の必要は無いらしく延々と燃え続けるとのことだ。少なくとも目的地までは確実にだが。


「3・2・1・0!」


 カウントダウンが終了するとともに、体にとてつもない負荷がかかる。上へ上へと宇宙船が上って行っているのだ。宇宙船は発着場の壁に付けられたレールに沿ってスピードを上げて空へと飛び立つのだが、自動車などと比にならない程の加速力を持つのだ。あまりのスピードにモニターに映っていた前部の風景が見えなくなってしまっている。カメラも写せる速さの限界へと達してしまったのだ。地上との通信も途切れてしまっている。一時的ではあるのだろうが外も見えない通信もできないとなると少し怖くなってしまう。5分ほど上がり続けただろうか。機体は発射体勢から飛行体制へと切り替わった。無事に宇宙へと来ることができたらしい。


 飛行体勢になったのならば安全ベルトは外してしまってもいいだろう。安全であることこしたことは無いのだろうが、あまりにもきつすぎるこの安全ベルトを早く外してしまいたかったのだ。


「ようやくか......」


 ベルトを外し、前部のモニターを見る。一面黒色の中に白や黄色の光が点々としている。星だ。本や映像では見たことがあった。星だ。しかし、輝く星々以上に目を引くものがあった。白で一面を覆われた球体。それは僕がこれまで過ごしていた白き星だった。それにしても、真っ白だ。どこまでも真っ白で見ているとなんだか気がおかしくなりそうだ。ひときわ眩しく輝く恒星の光すら吸収してしまい、どこまでも白いそれは少し不気味に思えた。かつて、白き星は何と呼ばれていたのだろうか。


 映像で星を見たことはあったものの、肉眼で見たのは初めてだ。いや、これはまだ肉眼で見たわけではない。あくまでもカメラを通してモニター越しに映し出されたものだ。映像で見るのとなんら変わりはないだろう。肉眼で見てみたいと思い、僕は操縦室を出た。窓を探すためだ。窓越しなら肉眼で見たともいえるだろう。


 操縦室を出て、全ての部屋を探した。窓はそれぞれの部屋に最低一つはあるようだ。その中でも調理設備や娯楽設備が置かれた、休憩室にある窓はひと際大きいものだった。床から天井までが窓で覆われている。改めて肉眼で見る星々は特別なように思えた。


「綺麗だ......。願わくばこの景色を......」


 どこまでも広がる黒一色の世界。その黒色の中で光り輝く星々。強く輝いている星もあれば弱く輝く星もある。まるで星一つ一つに個性があるみたいだ。ただただ、綺麗。そう表すことしかできない。赤色、黄色、白色、緑色、青色。青色に輝く星は目的地の青く輝く星だろうか。青色に輝く星は一つのみのように見える。あの星に何があってたどり着いたときに何が起きるのか。それはその時になってみなければ分からないことなのだ。


 僕はしばらくの間その場所に突っ立っていた。今はただこの美しい景色を何も考えず眺めていたい。そんな気分だったのだ。

下編に続きます。

12月7日12時20分投稿予定。

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