(2)
夏休みに入り、俺はバイトばかりの日々を送っていた。とても高三とは思えない生活だが、いつもの夏休みとは違って、夕方のみしかバイトを入れていない。
ひさしぶりにバイトが休みだった八月一日の夕方、俺は何の気まぐれかわからないけれど、雪代の家に行った。
俺を迎え入れた雪代は、どうした、とも、何しに、とも言わなかった。――それがありがたかった。
平野は、リビングのソファに座っていた。何をしているのかと思えば、風景の写真集を見ているらしかった。
リビングはクーラーで、適温よりやや低めに冷やされていた。
「寒くねぇか」
リビングのテーブルの方に座った俺に、アイスコーヒーを出しながら、雪代が言った。
「別に寒くはねぇけど……少し冷やしすぎかもな。――何度だ?」
相手は教師だというのに敬語を使わない俺を、雪代は咎めたことがなかった。
「二十四度だ。少し上げるか?」
俺が首を横に振ると、雪代は気まずそうに笑う。
そして、瑞希が、と言って平野の方を見た。――彼女は反応しなかったが。
「暑いの、苦手なんだ。夏には外にも出ない。リビングが冷えていなければ、自分の部屋を冷やすからな。電気代が大変なんだ」
やけに庶民的だ、と俺が笑えば、雪代は「教師は安月給で」と肩をすくめた。
その話を聞いていたのか、いないのか。平野が席を立った。
「瑞希?」
「部屋に戻る」
それを聞いて雪代がついた溜め息が、何に対してなのかはわからなかった。
「進路は決めたのか」
平野がいなくなったあと、まるで世間話のように雪代がそう言った。
またか、と思いながらも、それを疎ましくは思っていない自分がいる。
俺は首を横に振った。
「やりたいこととかはないのか」
どうやら雪代はここで、俺の進路相談を始める気らしい。
「わからない。高校入ってから、ずっとどうしようか考えていたけど、結局見つからないままだし。とりあえず大学に行きたかったけど、そんな理由じゃだめだろう?」
「そうかな。いいんじゃねぇか、それでも」
雪代は案外真剣な顔をして続けた。
「確かに大学に入ってから何もしねぇんじゃ、意味がない。だけどよ、そこから自分がどう動くじゃねぇのか、問題は」
――どう動くか、か……。
雪代は続ける。
「お前さ、世界史の成績良かっただろう。好きなのか?」
「まぁ……」
「それなら、史学科に進んでみたらどうだ?」
「……史学科?」
雪代に聞いたところによると、史学科というのは、歴史を専門的に学ぶところで、中学や高校などとは違い、暗記ばかりではない、ということだった。
「俺が出たのも史学科なんだ。おもしろかったぞ。人数少ないから、友達も結構できたし。そこで学んだことが、将来何かの役に立つ、っていうのは少し難しいけれど、歴史が好きなら、行ってみる価値はあるところだと思う」
「でも……俺、頭悪いぜ?」
そうなんだ。前にも言ったように、俺、勉強なんかそっちのけの生活をしていたから、成績も学力もよくないんだ。学校の成績だって、国語と世界史だけはいいものの、あとはみんな中か、中の下だ。
それを言うと、雪代は少し悩みながらも笑った。――よく笑うヤツだ。
「今から勉強すれば、ギリギリで間に合うんじゃないか。受験科目はだいたい国語、英語、地歴のはずだから、国語と地歴を今よりももっと伸ばせよ」
こうして俺の進路は――半ば強引に――決まった……気がする。
親は説得すればいい。
とりあえず今は、勉強しなきゃな。