(3)
雪代の住んでいるマンションは、まぁまぁのところだった。友達の家と似たようなものだ。
「先生って独身?」
俺にソファを勧めてからキッチンに立っていた雪代は、振り返りながら答えた。
「そうだけど?――コーヒーでいいか?」
後半の問いに対して頷くと、俺は部屋を見まわした。
3LDKのこの部屋は、独り身には広すぎるんじゃないのか?
俺の行動がおかしかったのか、雪代は笑いながらコーヒーを持って来た。
「何だよ」
「……別に俺、一人暮らしってわけでもないけど?」
見透かされたような気がして、腹が立った。
「誰と住んでんの? 彼女?」
雪代はまた笑う。つくづくカンに障るヤツだ。
「……黒猫――いや、黒豹かな」
何をわけのわからないことを、と言い返そうとした時、ふいにリビングの扉が開いた。
「恭ちゃんっ! また私の部屋に入ったでしょう」
人がいたのに気づかなかった。……なんて言ってる場合じゃない。入って来たのは、平野瑞希だった。
「……瑞希。来客中なんだが……」
そこでようやく気づいたかのように、平野がこちらを向いた。
一瞬、俺は息を飲んだ。
彼女の視線が怖かったわけではない。ただ……底が見えなかった。
「勝手に入らないでって言ってるでしょう」
平野は俺の動揺など構わずに、俺に一瞥しただけですぐに話を戻していた。
「そんなこと言ったって、掃除しないわけにはいかないだろう」
雪代の、のんびりした声。
「頼んでない」
「……瑞希」
きっぱりとした平野の声と、溜め息交じりの雪代の声。
――我慢の限界だ。
「いいかげんにしろよ! 俺は痴話喧嘩を聞きに来たわけじゃない。――帰る」
雪代は驚いてこっちを見た。
「ちょっと待てよ、駿河」
「……何を勘違いしてんの」
落ち着いた声が響いた。俺はイラだったまま、半ば八つ当たりのように答えていた。
「何が勘違いだって言うんだ」
「恭ちゃんと私のこと。誤解しているんでしょう」
「別に関係ないから。先生が何してても、関係ねぇよ」
二人のやり取りについていけていなかった雪代は、自分の名前が出てきたことに驚いているようだった。
「は? 俺?」
平野は無表情のまま、雪代に説明するように言った。
「恭ちゃんと私が、特別な関係だと思っている。――そうでしょ?」
「違うって言うのか?」
そこでようやく事態を飲み込んだ雪代が、会話に入ってきた。それも、溜め息交じりで。
「……駿河。瑞希は俺の姪だ」
は? 姪?……嘘だろ。
――俺はようやくすべてが俺の思い込みだったことに気づいた。情けないことに。
「マジかよ……」
すると、雪代が先程言っていた黒豹というのが彼女なのだろう。しかし、なぜ――?
その時の俺はまだ、黒豹と呼ばれる彼女のことを、何も知らなかった。