第6話 2
「――奥様、本日の納品リストです」
終業間際で机の上を片付けていると、ノックと共にわたしの研究室にやってきたレイナは、そう告げて書類束を執務机に載せた。
「ありがとう。ちょうどお茶にしようと思っていたところなの。あなたもどう?」
学園を卒業したての彼女は、言わないといつまでも働き続けるから、わたしは折を見てそう声をかけるようにしている。
「ありがとうございます。奥様の淹れてくださるお茶、わたし大好きです!」
クリクリした碧の目を輝かせた彼女は、わたしに促されるまま応接ソファに腰を下ろす。
「夫人としては、自分で淹れるのはあまり褒められたことじゃないんだけどね」
苦笑するわたしに、レイナはふわふわの赤毛を揺らして首を振る。
「いえ! だからこそレアと言いますか、役得なんですよ!」
と、レイナは両手を握り締めて言い募る。
「そうかしら? 王城の侍女が淹れたものの方がよっぽど美味しいと思うけど」
二年前から、王城でわたし達一家の専属のように世話を焼いてくれる、リタさんが淹れてくれたお茶は、季節に合わせて産地別に茶葉から選別していて、すごく美味しいのよ。
「いえいえ、奥様が淹れてくれるっていうのが大事なんです!」
けれど、レイナはそう言って譲らない。
この娘、出会った時からわたしに対する熱量がハンパないのよね……
――レイナ・オールセン。
オールセン子爵家の次女で、今年学園の魔道科を主席で卒業したばかりの才女。
領地を持たない法衣貴族のオールセン家の宮廷位階は第五位下で、下から二番目。
彼女のお父様であるオールセン子爵は農林局の官僚で、お姉様は同じ農林局の官僚の御家に嫁いでいるのよね。
オールセン子爵としては、レイナもまた彼女の姉と同じように同程度の御家に嫁がせようと考えていたようだったのだけれど、当の本人はなにを思ったか学園で魔道科を専攻して、見事にその才能を開花させて見せた。
思わぬ娘の才能に戸惑いつつも、才能があるのなら、そのまま宮廷魔道士になるのも良いと、子爵はそうお考えになったようなのだけど、ここでも子爵の思惑は裏切られる。
レイナは卒業後の進路にルキウス男爵領――わたしの大工房を選んだのよねぇ……
王宮で誰とも知れぬ魔道士の下に就くくらいなら、宮廷魔道士の相談役として活躍するわたしに弟子入りしたい――そう言って、宮廷魔道局のスカウトを蹴ったのだとか。
なにが彼女の琴線に触れたのか、いまだに理解できないのだけれど、ウチはまだまだ人手不足だったから。
本人にやる気があるならと、即採用する事にしたのよ。
魔道科主席だけあって呑み込みも早く、ウチに来てまだ一月だけど、すでにわたしの秘書のように働いてくれているわ。
お茶の用意を終えて、わたしはローテーブルに並べる。
お茶請けは、レグシオが用意してくれた木の実を練り込んだクッキーよ。
「わ、今日もおいしい!」
レイナが一口かじって、表情を綻ばせる。
「レイナが喜んでたって、レグシオに伝えておくわね」
わたしも食べてみると、たっぷり使われたバターの濃厚な香りに、木の実の酸味が調和していて、お世辞抜きで美味しかったわ。
現在、ルキウス男爵家の家令を務めてくれているレグシオは、毎日、こうしてお菓子を用意してくれるのよ。
わたしも前世の記憶やノルドと一緒に暮らすようになってからの経験で、料理自体はできるのだけれど、お菓子作りからは縁遠かったから。
レグシオがやってくるまで、サティのおやつといえば、ホットケーキやふかし芋が主だったのよね。
そもそも開拓村だった頃は砂糖自体が希少だったし。
一方、レグシオは元公爵だというのに、隠居生活をしてた頃にお菓子作りを趣味にしていたとかで、城で雇った料理人顔負けのものを用意してくれるのよ。
サティ達、街の子供達に振る舞うのが日々の楽しみなんだとか。
あのデキた人から、どうしたらリオンのような子供が育ったのか、いまだに謎でならないわ。
サティを喜ばせたくて、わたしもレグシオにお菓子作りを教えてもらっているところよ。
お菓子作りだけじゃなく、領の管理や男爵家としての振る舞いなんかも教えてもらっていて、わたしもノルドも公私共にレグシオには足を向けて寝られないわね。
「――そういえばレイナ。課題の方はどうかしら?」
ひと心地ついたところで、わたしはレイナにそう尋ねる。
一応は直弟子――それも一番弟子になるレイナには、日々、様々な課題を課している。
今出しているのは、洗濯を容易にする魔道器について。
ルキウシアが開拓村の頃から暮らしている奥さん達は、わたしに教わった魔法を使うことで、洗濯の苦労がなくなっているのだけれど、一般庶民の洗濯はまだまだ手間と時間のかかる労働なのよね。
冷蔵庫や魔道コンロの開発が落ち着いた今、次なる商品企画として考えたのが洗濯器というわけ。
わたしの中ではすでにいくつか――前世の家電を参考にして――案があるのだけれど、弟子の思わぬ発想に期待するつもりで、課題として出してみたのよ。
わたしの問いかけに、レイナは上着から手帳を取り出して、わたしの前に広げる。
「一応、いくつか案は考えてみました」
そう言うものの、本人自身が納得が行っていないのか、その声色には彼女持ち前のいつもの元気が足りない。
わたしは広げられたページに目を落とす。
案はふたつあった。
ひとつは洗剤を付けて濡らした洗濯物を箱の中で風精魔法によって打ち付けるもの。
もうひとつは、箱の中で洗濯板を微振動させて濡らした洗濯物に擦り付けるというもので。
「……なるほど」
考えてみれば、レイナは子爵令嬢だものね。
洗濯の様子を見かける事はあっても、自分でした事はないんだと思う。
学園の寮でも普通の生徒は、洗濯や部屋の掃除は料金を払って学園が雇った使用人に任せるものね。
……わたしは学生時代、その出費すら惜しんで、自分でやっていたのだけれど、それは例外も良いところ。
「……やっぱり、ダメ、ですよね……」
自覚があるからこそ、彼女の声は自信なさげで。
「……そうね。残念ながら、これでは合格点はあげられないわ」
大工房の単身寮住まいのレイナは、今も食事や洗濯は専属で雇った使用人任せの生活を送っている。
だから、洗濯というものを根本的に理解できていないのね。
「ねえ、レイナ。大工房の魔道器の開発理念ってなんだったかしら?」
「――はいっ! 『あなたの生活をより快適に!』です!」
消沈していたレイナだったけれど、それだけは意気込んではっきりと答えたわ。
「魔道器といえば、戦闘目的のものが多い中、ルキウス大工房だけは、人々の生活に密着してて、だからわたし……わたしもそんな魔道器を造りたくて、奥様に弟子入りしたんです!」
……それは初耳だわ。
でも、レイナの言葉は事実よ。
宮廷魔道局が生み出す魔道器は、基本的に戦闘を――戦や魔獣、侵災調伏を目的としたものが多いのよ。
わたしが相談役になってから、それらの応用で土地開発に流用できる魔道器の開発にも予算をつけてもらっているのだけれど、魔道局に付けられる予算の大半は今も変わらず軍事目的に使われているわ。
だからこそ、それならとばかりにわたしは生活用魔道器の開発を主目的とした大工房を作ったわけなのだけれどね。
レイナはその理念に共感して、わたしに弟子入りしてくれたという事なのかしら?
それはさておき。
「レイナ、良い? より快適にというなら、なにが不便なのかを知らなければならないと思わない?」
わたしの言葉に、レイナは弾かれたように目を見開く。
「そう。たぶん、あなたお洗濯をしたことないでしょう?
しているのを見かけた事はあるんでしょうね。だから、それを見たままに再現しようとした。
――そうでしょう?」
ルキウシアの街の古参の奥様方は別として、普通、洗濯といえば石鹸を擦りつけて、桶の中でもみ洗いや洗濯板での擦り洗い。丈夫な素材のものだと、石に叩きつけて洗ったりするものね。
「……はい」
しょんぼり肩を落とすレイナに、わたしは苦笑して首を振る。
「責めてるわけじゃないのよ?
あなたの出自を思えば、それも当然だわ。
――でも、大工房で作る魔道器は、その手間を解消する為にあるのはわかるわよね?」
賢い彼女は、わたしの言わんとしている事をすぐに理解してくれたみたい。
「わたしの案には、実際に洗濯をする人の視点が欠けているんですね?」
「そう。あなた自身、そう思っていたから、自信を持てなかったんでしょう?」
レイナは素直にうなずく。
答えを教えてしまうのは簡単だけど、彼女の成長を思えば、もっと経験を詰んで自ら試行錯誤してもらいたい。
だから、わたしはあえてヒントだけに留める。
「あなたの案だと、素材によっては洗濯物の生地がボロボロになってしまうわ。
わたしが目指すのは、どんな生地でも綺麗に、それでいて手軽に洗濯できるものが欲しいの」
庶民向けだけを考えるなら、彼女の案でも悪くないのよ。
彼らの衣服は、元々が長持ちするように丈夫な素材で作られているし、多少のほつれは継ぎを当てて使うもの。
でも、魔道器というのは高価なもので、まず流通するのは貴族向けのものになるのよ。
そこで魔道器として知名度を得て、入手した資金を元に、庶民向けの廉価版を流通させるというのが、ウチのやり方。
そうなると造られる魔道器は、貴族向けの繊細な生地を洗えるものである必要があるの。
「わたし、次のお休みの日に、お洗濯のお手伝いをさせてもらいます!」
切り替えが早いのは、彼女の美点ね。
両手を握り締めて意気込むレイナに、わたしは笑顔で頷いて見せる。
「そうね。何事も経験して見てこそよ」
わたしが宮廷魔道士局で評価される事になった、護身用の結界魔道器だって、自分の身の危険を感じて思いついたものだったもの。
その後も、レイナの求めるままに魔道器開発についてのアドバイスをしていると、ドアがノックされた。
返事をすると、ドアは勢いよく開かれて。
「――お母さん、やっぱりここにいた~。
もうっ! あたし待ってたんだよ?」
そんな声と共に飛び込んできたのは、アシスを両手で抱いたサティだった。
この二年でわたしの腰くらいまで手足の伸びたサティは、飛び込んできた勢いそのままにわたしに抱きつく。
「あら、もうそんな時間だったのね。ごめんなさい」
頭を撫でると、サティはくすぐったそうに目を細め、それからレイナに気づいて、気恥ずかしそうにソファから降りて、スカートを摘む。
「レイナお姉ちゃん、こんにちわ」
「はい、サティちゃん、こんにちわ」
ちゃんとレイナに挨拶を終えたサティは、再びわたしを見上げて両手を腰に添えたわ。
「お父さん達は先に入ってるって。あたしはお母さんと一緒が良いから、迎えに来たの」
褒めてとばかりに胸を張るサティに、わたしは表情が緩むのを自覚する。
「サティちゃん、ごめんなさい。わたしがお母さんを引き止めてしまってたの」
と、レイナがサティ相手にも生真面目に謝罪して、だからサティはわたしとレイナを交互に見上げて、しょんぼりと肩を落とした。
「お仕事中だったんだね。邪魔しちゃってごめんなさい」
「ああ、そうじゃないの――」
慌てるレイナに、わたしは思わず吹き出す。
「お母さんが悪いのよ。サティとの約束があったのに、ついつい話し込んでしまったわ」
そうしてわたしはサティを抱き上げて、レイナに顔を向ける。
「そうだわ。レイナ。せっかくだから、あなたも来なさい」
わたしの言葉に、レイナは首を傾げる。
そうよね。今日はまだ試運転――開拓村だった頃から暮らしている、ごくごく身内向けのお披露目のつもりだったから、レイナが知らないのも無理はないわ。
「えと、どちらへ?」
尋ねるレイナに、わたしは東の方角を指差す。
それはノルドの思いつきで造られた、万人を癒やす憩いの場。
きっと街の観光名所のひとつになるであろうその場の名前を、わたしは声高にレイナに告げる。
「――銭湯よ!」