奇術師探偵
書き直したよ、二回も。
事件解決後、黄昏ている自分がいる。
そもそも殺人事件の解決とは、犯人を逮捕する事なのだろうか。
それとも犯罪を未然に防ぐ事なのだろうか。
私はグラスを呷り、アルコール成分を補充する。
カランとか、コロンとか。氷がガラス容器にぶつかる音も今は虚しいだけだった。
さて話を戻すか、真の殺人事件の解決という命題だ。
前者は人が死んでいる、或いは犠牲者が出ているという時点で失敗しているのだろう。
後者はまだ事件が起こっていないのだから空回りしていると言えなくもない。
ここに事前と事後の価値観という矛盾が生じる。人名、尊厳、名誉、どれ一つとして決して損なわれてはいけないものだ。稀に例外はあるが。
ふふ、実にミステリー的ではないか。
傍観者として拍手喝采を送ろう。
さても英知の結晶を尽くしたところで正義は為されないのがこの世界の現実だ。
世のデッキチェア・ディティクブを信奉する皆さまには聞こえの悪い話だろうが。
そして私はグラスに残った琥珀色の液体を飲み尽くす。
恥ずかしい話だが酔いが回ってタダでさえも足りない語彙のせいで言葉が足りなくなってきた。
己の怠惰と無恥を呪うばかりだ。
私は新聞紙を布団代わりにしてソファに寝そべりながら一人反省会を開いている。
世の中はつくづくままならない。だが自分はもっと情けない。
もっと効率的な方法が、適任な人間がいたのではないか。止めよう、時間の無駄だ。
しばらくして頭の芯にズキリと痛みを感じている。
嫌な事を思い出さない為に飲んだウィスキーが原因だろうか。無責任にもほどがあるというものだ。
私は新聞紙をたたんでテーブルに戻し、起き上がってミネラルウォーターをグラスに注いだ。
こうすればアルコール成分を薄められるのではないかという淡い期待を抱いて。
最初から希望など抱いてはいなかったが結果はそれ以下という他ない。
そもそも氷も入っていない冷蔵庫に入れていないものを飲んでいても気持ちが悪いだけだ。
アルコールで焼けた喉の感触にある種の不快さを感じさせる。
その脳を蝕む微睡にも似た痛みは記憶を過去に退行させて記憶と意識を発条仕掛けの玩具のように過去を追体験させる。いやはや実に数時間前の話だ。
依頼人の送ってきたメールを開封すると「ある場所で大量殺人事件が発生する」みたいな事が書いてあった。他の人間なら即ゴミ箱行きの話だが、私を専属の探偵として雇ってくれている貴重なスポンサー様なので無下にするわけにも行かない。
私はホームレスと見紛うようなトレンチコートを羽織って現場となるファミレスに向かった。
丁度夕食をどこで食べようかと迷っていたというのも現場に向かう動機の一つでもある。
ファミレスに到着してからチキンソテーにトマトソースがかかった料理をセットで一つ注文してから、デザートにパフェを頼むかどうかを考えながらトイレに向かう。
私は用を足して手を洗い、果たしてこのような平穏な場所で大量殺人などという事件が起こるのかと自分自身に問うていたのもつかの間、扉の外は全て事後と化していた。
現場には健常者が二人、異常者が一人。そのうち二人はカップルで、もう一人は気狂いの道化者だろうか。
道化はケースから出したばかりの包丁の切っ先を女に向けている。女は涙を流しながら自分の下腹部をおさえている男に何かを訴えていた。
男は目を血走らせて、荒い息を吐きながら獣のようにじっとしている。
心の霧が晴れて事態が動き出せば、二人は死人の仲間入りだ。
依頼人の予知が正しければ、私が事件に干渉すれば私も死ぬらしい。結構、結構。こちらは夢破れて死に場所を探している最中の旅人だ。
好きにやらせてもらうさ。
私は心の中で運命のダイスを振るう者たちを嘲笑いながら仕掛けを念入りに施していった。
このつまらない事件の経緯といえば正気を失った男がナイフを片手にファミレスのボックス席に乗り込みカップルの男の方を切りつけた、それだけの話だった。
「俺は不幸なんだ。いつだって、これからもずっと不幸なんだ。お前らが、幸運を独占するから俺だけがいつも不幸なんだ。だから奪ってやった。教えてやった。幸運なんて所詮、か弱い物なんだと思い知らせてやったんだ」
彷徨える獣が吼えた。薬のせいで何か別の物が見えているのかもしれない。
群れから外れ死を待つだけの存在が最後の最後に己の存在を誇示しようとしているのだ。
個人的には”空気を読め”と言いたいところだが、ソファに背を預け死神の持ってきた契約書を読んでいるで憐れな被害者の前では止めておこう。
人は黙っていても死ぬというのに何て無駄な事をしているのだろうか。
私は凍えるような思いでテーブルの下に身を潜ませる。コートの内側に潜ませた兵器を携えながら定位置まで移動した。
たしか何と言ったか。あのテレビアニメでは”獲物を前に舌を舐めずる獣は三流以下だ”と。
そうならない事を今だけは祈ろう。
「‼‼‼」
犯人の男はわけのわからない事を喚き散らしてナイフを振り回して凶暴性をアピールする。
人質は必死に助けを求めるが、誰も何も出来ない。これが現実だ。
そして奇術師は舞台の袖に到着する。準備万端、懐に忍ばせたカードは今か今かと出番を待っている。私は銃ならぬ手鏡を向こうの大きな鏡に向かって反射させる。ここがどこかのホールの舞台の上ならヒンシュク物だが、照明のよく聞いたファミレスの中ならばどうなるか?
さて皆さま、お立合い‼
私は彼以外の誰にも見えない拳銃の照準を備品の鏡に向けた。
その直後、ファミレスの内部に銃声が響いて逆上した犯人が人質の首をナイフで切り裂く。
人質は糸が切れた操り人形のように動きを止め、犯人の男は殺す予定の無かったはずの人間を殺して身勝手にも自我喪失となってしまった。
かくして幕引きの後。
場外の警官隊はすぐに犯人のもとに殺到し、事件はどうなったか?。
カップルのうち男性の方は幸いにして命に別状は無し。ただ刃物には当分近寄れないそうだとか。女性は男性に寄り添い病院に向かったそうだ。
リア充爆発しろとは思いつつも、終わり良ければすべて良しとも思う。
種明かしになるが、今回の事件のトリックは至極単純なものだ。
拳銃の写真を鏡に映して犯人に見せた後、銃の発射音と鏡が割れた音を携帯電話から再生するだけ。
状況が状況だけに普段ならば絶対に間違えない物を錯覚してしまう。
つまるところ犯人は川の水面に映った自分の姿に怯えていただけの話だ。
結果として全てが上手くいったかのように思えたが、奇術師にして探偵である私は警察に余計な嫌疑をかけられて深夜まで事情徴収。全く正義の味方も楽じゃない。
最初の問いかけに戻るが、事件を解決した方が良かったのか事件が始まるのを防いだ方が良かったのかは私ごときにはわからない。
ただ依頼人の言う”私自身の不幸”にぶち当たらないだけマシだったということだろう。
奇術師という経歴を知られたせいで、取調室でトランプの手品をやらされたが。
トホホ。
だから今こうしてアルコール度数の強いウィスキーを飲んで一刻も早く事件の事を忘れようとしている。
依頼人から報酬を受け取るのは明日以降の話なので安価なウィスキーだが。
それさえも、もうどうでもいい。
こうして時間を潰している間にも忌まわしい携帯電話には次の依頼が舞い込んでいるのだ。
これが私の仕事。
未来を予知出来る不思議な依頼人と、探偵気取りの落ちぶれた奇術師のお話だ。
ああ、こんな話は忘れてくれても構わない。
人が死ぬ事件なんてのはそれこそこの世界では秒単位で起こっているのだ。地球の裏側で起こっている事に義務感を覚えるなんて馬鹿げているだろう?
私はまたヨレヨレのコートを羽織り、事件現場に向かった。
少しリハビリになったような気がする。
この話で「サイゼリア」の料理っぽいのが出ているけどよ。俺は「サイゼリア」に入った事も食った事もねえよ。近くにないから。「とんでん」と「ガスト」はあるんだけど「ガスト」って何かハイカラで若者空間って雰囲気で入れない。せいぜい「びっくりドンキー」くらいしかない。しかもファミレス十年くらい入っていないという状況だ。