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ここは異世界ディアトーラ


 紫色のゆるやかな癖毛を持つ魔女ラルーは、ディアトーラ領主の館の扉を叩いた。ディアトーラは魔女を信仰する国であり、魔女を討伐する大国リディアスとは全く違った魔女意識を持つ国でもある。


 そして、ラルーやワカバを含む魔女が棲むときわの森を背後に持つ館の庭には青い屋根の小さな教会があり、その中には白磁の女神さまが祀られている。


 今の領主はその女神さまに違和感すら覚えないのだろう。もしかしたら、(イコール)魔女だとすら思っているのかもしれない。それほどまでに時間が経った、とも言える。

 まぁ、間違いではありませんけど……。そんなことを考えながら久しぶりに訪れる領主の館の扉が開かれるのをラルーは待っていた。

 人間など三代続けば、当たり前になってしまうものなのだ。


 扉が開くと、小さな男の子が深い青色の目をきらきらさせてラルーを呼んだ。


「まじょさまっ」

「あら、ルディ。お祖父さまはいらっしゃるかしら?」


彼の父母は今、ディアトーラと友好条約を結んでいるリディアスにいる。


「うん、いるよーっ。おじいさま、まじょさまがいらっしゃったよーっ。まじょさま、どうぞ」


ルディと呼ばれたその男の子は自分でも役に立てることを喜びながら、トタトタと足音を立てて、館の奥へと走って行った。ラルーはその後ろ姿を見送りながら、その様子を微笑ましく眺め、領主が現れるのを待った。

 館は何も変わらない。だけど、ディアトーラの人間が魔女を怖がらなくなって久しい。それは、ワカバが誰にも負けずにトーラとして立っているから、とも言え、時の遺児が生まれなくなったからとも言える。時の遺児が生まれないという時点で、今、世界は安定しているのだ。


 ワカバはよく頑張っている。


 長い廊下の先にある正面の扉が開かれると、ここの現領主である男が姿を現した。庭いじりでもしていたのか、麦わら帽子に繋ぎの下履き、綿の手袋という風体だ。そして、そのすぐそばにはいたずらっ子のように笑うルディの姿もある。


「アーシィディカルランディトゥス様、ご無沙汰しております」


領主は苦笑いをして「アースでいいですよ。公でもこちらを使っておりますので」とお辞儀をし、ラルーを館に招き入れた。

 ルディはアースに付き従い一緒に応接室まで入ってきていた。


「まじょさま、今日はどんなことを教えてくれるの?」


好奇に満ちた目を輝かせ、真っ直ぐにラルーを見つめたルディはラルーが座る前に嬉しそうに声を上げた。


「そうですわね。ルディは何が聞きたいの?」

「おもしろい話っ」


まだ(とお)にもならない彼には魔女への恐れはないのかもしれないが、それよりも、好奇心が先に出てきてしまう。もしかしたら、父母も目の前にいるアースも多くは語っていないのかもしれない。ラルーはそんな風に思いながら、手土産として持ってきていた焼き菓子の白い包みをルディに渡した。ルディの鼻が大きく膨らむ。


「では、これでお茶の用意をしてきていただけませんこと?」

「やった!」


白い包みを受け取るや否や飛び跳ねるルディを見て、さすがにアースがそれを咎める。


「これ、ルディ。お客様の前ですよ」


静かな物言いだが、やはり領主の言葉は小さなルディにも重く響くようだ。「はい、ごめんなさい」と肩をすくめると「お茶の用意をしてきます」と素直に出て行った。

 微笑ましいものである。ラルーはその小さな後ろ姿を見守っていた。


「ラルー殿は相変わらず、全くいじわるでいらっしゃいます。まぁ、お座りください」


アースはルディが静かに扉を閉め終わるのを確かめると、ラルーに声を掛けた。

客座である長椅子にラルーを座らせた領主は「失礼」と軽く断りを入れると、土埃を拭うようにして顔を拭き、好々爺そのものの笑顔を見せた。息子たちがリディアスから帰ってきた後、彼は領主の座を息子に譲るそうだ。それも加わり、そのような印象を受けるのかもしれない。


「あら、そうかしら?」

「では、どうしていつもややこしい方の名前で呼ぶんです?」


ラルーはその質問には答えずににこりとした。


 アースの本名が長々しくて覚えにくいものになったのは、彼の母であるイルイダが魔女の呪縛から逃れた彼らをどうしても守りたかったからだった。

 言葉の羅列で何の意味もない。だけど、魔女に覚えにくいものにしたい。だから、ラルーにその気はなくてもどうしても皮肉にしか思えないのだろう。実際、ワカバは彼の名前をよく言い間違えるので、イルイダの思惑はほんの少しだけ功を奏しているとも言えるし、そんなこと何の意味もないとも言える。イルイダももちろんそれを知っていたはずだ。


「まぁ、いいですよ。名前なんて関係ないのですから」


彼はよく分かった上でラルーの皮肉を笑うのだ。


「あんなに名前にこだわった母でしたが、ルディが生まれた時には叔父様に似ていると喜びましてね」


そう、ルディが生まれた時、アースの叔父に当たるルオディックからとって、ルディと名付けられた時、イルイダは涙を流して喜んだそうだ。きっとルオディックはイルイダの中にある永遠のしこりだったのだろう。そして、アースはそんな母の姿を偲び、ラルーに会う度にそう告げる。


「生まれた時はなんとも思いませんでしたが、やはり叔父様に似てきたと思いますよ」


アースはそう言いながら、それをあまりいい気分では受け止められないのだろう。


「そうですわね。よく似ていると思いますわ」

「やはりそう思われますか。私は会ったことがなく、肖像画の祖父に準えるくらいしかできませんのでね」


黄褐色の髪に深い青色の瞳。イルイダにとっては自分の身代わりにしてしまった『ルオディック』という弟。そして、ワカバにとっては『キラ』という人間であり、ワカバを魔女として扱わなかった人間のひとり。

 しかし、ディアトーラ領主クロノプス家においては、悲劇を辿った人物他ならない印象しかないだろう。

 そんな彼に孫が似ているとなれば、喜べるものではない。


「だけど、ルディの方が可愛いと思いますわ」


育ってきた環境のせいかもしれないが、ルオディックは人を信用しない気質の持ち主だった。だけど、ルディは柔らかく素直な性格をしている。そして、人間に対してそんな風な感想を抱くようになった自分自身にラルーは少し驚きもした。やはり、これもワカバのせいだ。ラルーはそんなふうに思い、微笑みを胸に本題へと言葉を繋いだ。


「今日はお願いに上がったのです」

「はて、珍しい」


珍しいと言いながらアースの顔は既にここの領主の顔になっている。そう、魔女が欲しがるものは、必ず与えられなければならない。これがディアトーラでの習わしだ。


「そんなに大したことではありませんのよ。魔女に関わったことのある人間のあなたからルディへ、魔女の話を伝えていただきたいのです。そして、ルディに魔女(トーラ)の遣いを頼まれて欲しいのです」

アースの顔色がみるみる白くなった。当たり前だと思った。先ほどルオディックの話をした後が故に、孫を取られると感じているのはあまりにも自然だった。だから、ラルーは努めて淡々と伝える。まだどのようにワカバが計画するかは分からない。しかし、その頃のラルーにそんな力があるとも思えないのも事実だった。


「驚かしているわけではありませんのよ。ただ、……そうですわ。言葉を変えましょう」


そうだ。未確定のことを頼むのだ。しかし、おそらく最後にはここを、彼によく似たルディのいる場所へと。


「あの子を手伝ってあげて欲しいのです」

「『あの子』ですか……」


ラルーが放った『あの子』という言葉にアースの表情が少し緩んだ。魔女とともに生きているディアトーラの領主でさえ、もうワカバを知る者は彼くらいになる。そして、ラルーとワカバを知る彼はラルーがワカバをどのように思っているのかも知っているつもりだった。


「拒否権はないのですね」


ディアトーラ領主には、元より了承一択しか赦されていなかった。しかし、彼はまだどこかで足掻きたいのだ。


「えぇ」

「命を取られる訳でもないと」

「えぇ」


アースの質問に対して、ラルーは肯定の意味を持つ言葉を短く答えるだけ。おそらく拒否してしまえば最悪の事態を招くのだろう。アースはそんな風に感じたが、ラルーの様子から言い伝えにある魔女の要求とは少し違うのかもしれないとも思った。


「いいでしょう。でも、今日はとっておきの面白い話をルディに聞かせてやって下さいよ」


ラルーは荷物を一つ下ろしたように大きな息を吐き出して「もちろんですわ」と答えた。



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