表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/50

異世界にきたようでそうでないような……5

 ワカバは首を傾げて立っていた。立っている場所がどこかはもういいだろう。問題はどうして首を傾げているか、なのだ。ワカバは考えていた。


 扉を叩くと、その扉は開かれるはずなのだ。だって、キラが言ってたもの。キラは開けて欲しい扉の前に突っ立っているワカバに対して、用があるなら扉を叩け、と言ったんだもの。


 だから、ワカバは首を傾げているのだ。仕方なく、地上に降りたワカバは玄関にもう一度周り、白磁の板にこの世界の文字で書かれた名前を確かめる。


『鈴木』あってるはずなんだけど……。


 ワカバは空を嗅ぐ。大丈夫。ここから匂う。だけど、開けてくれないのなら仕方がない。明日の朝まで待とう。ワカバは待つということが苦にならないタイプだった。それに気になる物があるのだ。


 鈴木いろ葉の住む家には小さな門があり、自転車置き場、玄関と続いて行く。自転車置き場には二台の自転車があり、一台はいろ葉の物、もう一台は母親の物だった。いろ葉の自転車はチョコレート色で、籐の籠が付いたもの。ワカバは何となくその自転車の空っぽの籠の中を見て、ハンドルに触れた。ハンドル部分は白色のゴムで出来たカバーが付いている。きっと、箒みたいなものなのだろう。ワカバはこの世界の人間がこれにまたがり、宙には浮かんでいないが、道を走っている姿を何度も見ていた。箒よりも危険なのは、この乗り物が誰にでも乗れるということだろうか。もしかしたら、ワカバにだって、乗れるかもしれない。そして、ワカバは暇つぶしに、その自転車にまたがってペダルを漕いでみる。スタンドの上でからからと音を立てながら、後輪がくるくる回る。


 うん、乗れるかもしれない。


 ワカバは嬉しくなって、もう一度ペダルを漕ぎだす。漕ぐのをやめると音が鳴る。カラカラカラ。面白い。


 実はワカバは箒の乗り方を知らない。ワカバのいた世界でも、この世界でも魔女は箒に乗るらしい。しかし、ラルーも乗らないし、ワカバの世界では箒に乗っている人なんて見たことがない。こちらの世界でも、ワカバの世界でも箒は汚れを掃くものでしかないと思われる。しかし、ワカバがどんくさいから、ラルーが教えないのかもしれないとも思え、内心傷付いていたのだ。だけど、この自転車なら乗れるかもしれない。まだ、動かないけれど、こうやって、またがってペダルを漕げるのだ。何と言っても、何の力のない人間たちが、あんなに簡単に道を乗り回しているのだ。明日いろ葉に乗り方を教えてもらおうかしら、と考えて、そっと自転車から降りた。タイヤはまだカラカラと音を立てている。


 鈴木いろ葉は見ためとしてワカバとそんなに変わらない年頃の少女だった。確か、高校二年生の16歳。さっき予備校から帰ってきたのだ。おそらく、その道中であの連中に出会った。ワカバにはどうしてあんなに怯えてまでいろ葉が彼らに施しを与えているのかが分からなかったが、それはいろ葉に訊けば分かるだろうと思考を置いておいた。今は……。大きく息を吸い込んだんだワカバが突如として、真剣な表情を浮かべた。息を止めたワカバが見たものは、手だった。煙で象られた手というべきだろうか。


 あの紫煙が現れたのだ。あの紫煙を纏う妖魔が、その爪先に何かを引っ掛けてやろうと夜空をぱっくりと切り裂いて、すんでのところでワカバの喉元を掴み損ねた。自転車の前にいたはずのワカバが既にいろ葉の玄関先から側道へと移動していたのだ。馬鹿にされたように遊ばれたその手が再度ワカバに振るわれた。しかし、ワカバは軽やかにステップを踏む。まるで、蝶が子どもの持つ網から逃れるように。ただ、その手はもうタコの足ではない。触手の先は枝分かれし、人の手のそれに変わっていた。思っていたよりも早い成長らしいが、どうも、ねらいはいろ葉ではないらしい。


「えっと……あなたの狙いはわたし?」


緊張感のないワカバの声が静かに闇夜に落とされた。そして、ワカバは少し後悔していた。自転車で遊ばなければ、こんなに時間を掛けずとも闇を開き呑み込ませたのに、と。そして、誰にも気付かれないだろうが、その実ワカバは焦りに焦っていたのだ。どうしよう、と。とりあえず、時間を止めなくちゃ。それから、効果範囲は、あぁ、もう、この国全部。何と言ってもワカバはここがどこなのかあまり分かっていない。それに、ワカバは小さな範囲よりも大きな範囲の方が制御しやすいのだ。ワカバは竜の形を思わせる、この国の形を思い描いた。とりあえず、効果範囲はこの国にいる人間全員。変に区切って後から辻褄を合わせるよりも、ほんの数分を全ての人間から奪う方がワカバにとっては簡単だった。


 風が止まる。角を曲がろうとしていた自動車が止まる。人が息を、鼓動を止める。


 ラルーに言わせれば、力任せの穴だらけの魔法。それこそ、蜃気楼のようなもの。しかし、ラルーとは違い、ワカバは不器用に出来ているのだ。ワカバは色々なイメージをしながら言葉を落としていく。そして、トーラの一端を紡ぐ。


「いろ葉とは関係ないの?」


言葉を返さない相手に、それは最早独り言にも聞こえるだろう。そして、ちょんと首を傾げながらもワカバは相手の出方を読み取り、するりとその掴みかかる手を避ける。避けたその場所が抉られ、アスファルトが盛り上がる。それを横目にワカバがそっと紫煙に近付く。


「えっと……とりあえず」


そう呟いたワカバが嫋やかにその手の先を掴んだ。いろ葉に関係ないのなら、血判はいいだろう。ワカバはそんなことを考えていた。そして、消滅をイメージする。彼の者が生まれ出ることのなかった時間を探す。僅かに振れる金糸を辿り、見つけた。揺蕩う蒼い水の中、金糸が泡を突き抜ける。泡が弾けた。すると掴んだ指先が灰のように崩れ、瞬く間に紫煙が風に溶けてしまう。


 それが吐き出す断末魔のように、風が頬に触れて消える。


 なんの思念なのかは分からなかった。だけど、切なく寂しい何かの思念。ワカバが消してきた魔女全てに共通するものだった。


 静かになった暗闇の中。


ワカバは何でもなかったかのように、時間を止めた夜空を眺めた後、地面に掘られた巨大な穴を覗き込んだ。あぁ、なんかいけない感じがする。こんな硬い道の下に管があったなんて。割れた傷跡から水が覗いている。


 もっとちゃんとしなくちゃ、ラルーに叱られる。


「とりあえず、この辺りの探索から……かな…」


 一端と言えど、トーラだ。しかもこの世界のものではないトーラ。ワカバが大きく溜め息をつく。アスファルトの事後処理の前に一度解除しておいた方がいいだろう。ワカバがそっと視線を流す。すると沈黙を保っていた町が息を吹き返したかのように、動き出した。ワカバが漕いでいた自転車がカラカラという音を鳴らし始め、先ほどの管の傷跡から水が零れ始める。それら全ての音が今に馴染み、自転車の音が惜しむようにしてその音を鳴りやませた。それを見届けたワカバは、静かに目を閉じて、何があったのか、何を消し去りたいのかをしっかりと脳裏に浮かびあがらせ、それらの中にある記憶を探る。無機物の記憶は淡々と、有機物の記憶は風のように、そして、生き物の記憶は水のようにして脳裏に染み渡る。


 この世界の記憶。指先に絡めたそれらの記憶を持つ光の糸をたぐり寄せ、大きく息を吐く。


 イメージは人の声。アスファルトに染みこんだ声を頼りに、この世界で一番記憶の媒体として役に立つ『ヒト』の声を聞く。朝のイメージ、昼のイメージ、夜のイメージ。騒がしくなる世界。


 空を赤く染めていただけの太陽が、ご来光とばかりに金色の光を世界に満たす。目を覚ました人の記憶を辿る光が、一瞬にして糸の形を取り大地に広がった。


 大地をえぐった穴が元に戻っていく。


 静寂の中アスファルトだけが意志を持った生き物のように蠢いて、元のように戻っていく。それはジグソーパズルを仕上げていくような感覚だった。集中して、元あった絵を思い出しながら。そっと、そぉっと。


 ラルーなら瞬き一つくらいの時間で元に戻してしまうのだろう。しかし、ワカバはこういう細かい作業が苦手なのだ。例えば、どちらかと言えば、沈んでしまった大陸を一つ浮かびあがらせる方が得意だ。もちろん、内部の細かい社会情勢となると、やっぱり苦手なのだが……。人口何人、大陸面積、後はそれぞれの記憶をつなぎ合わせる。とりあえず、記憶欠如が出てしまう人がいても、うっかり忘れていたレベルまでにはしておかなければならない。ワカバはそれでも五秒くらいでそこを創りなおした。


 そして、五秒前に時を戻す。当たり前の今が再生された。


 無生物の過去なら、あまり関係ない。トーラの力は過去の創生。あまり使いたくないし、使いすぎると過去が崩壊してしまう。それに、この世界の過去はワカバのあずかり知らぬところ。ここには綻びを直してくれるラルーはいない。


 気をつけなくちゃ。


 ワカバは自分を戒めながら、鈴木いろ葉の玄関先にある門の前で腰を落とした。世界を創生し直したわけではないが、見知らぬ土地においてのトーラ使用は結構疲れる。町の探索は回復とともにしようと、ワカバはそのまま門にもたれながら仮眠を取ることにした。


 もし、キラがワカバのこんな姿を見ていたら何と言っていただろう。「だから、言っただろっ。夜中は……あぁ、もういいよ」


 きっと、もう諦めていることだろう。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ