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異世界にきたようでそうでないような……4

 扉を閉めるその時まで、いろ葉は背後の警戒を怠らなかった。何度も後ろを振り返り、信号を渡る時は、ぎりぎりを狙い、走った。あんな意味の分からないような者に付けられて、家を特定されたら、あのカツアゲの連中なんかよりもずっと危険だからだ。扉を閉めて、鍵を閉める。息をつくと、いろ葉はそのまま腰が砕けてしまった。


 なんだったのだろう。さっきのカツアゲの奴らは、あの辺りにたむろしている不良たちだろう。いろ葉も何度かすれ違ったことがある。何度か被害に遭っている同じ予備校生も見たことがある。彼らのねらいは、ただ単に『お金』だった。遊びたいがためのお金。冷静に考えれば、異常者でもなんでもない。理由があって結果を望む。どちらかと言えば、あの後ろにいた同級生の男子、空木春陽(うつぎはるひ)の方がずっと異常者だ。彼は裕福なくせにあぁいう奴らとつるむようになった。きっと、あいつらを嗾けたのも、空木春陽のせいだ。


しかし、それでもまだあれよりはましだ。厄介極まりないし、怖いし、遭遇したくない厄災の一つとしか考えられない。あのワカバという女の子と僅かに紫を含む煙に映った黒い影。人間ではない感じだった。同じ危険でも別次元の危険。


 彼女の逆鱗に触れれば、即座に消滅させられてしまうような、生命的な危機。そんな有無なき恐怖。


 いろ葉はカバンを抱きしめながら、少しずつ確かめるようにして体を動かしていく。電池が切れたかのように動かなくなってしまった体だったが、『ここは自宅の玄関だ』『鍵は閉めた』と安全と認識するとちゃんと動き始めてくれた。そろりそろりと立ち上がると、奥から声が聞こえてきた。


「おかえり。なにしてるの? 早くご飯食べてくれないと、片付かないじゃない。電話にも出ないし」


いつも通りのお母さんだ。体の次に動き出したのがいろ葉の心だった。心が動くと、その声に涙が溢れてきた。怖かった。それだけが事実として圧し掛かる。スリッパの音が近づいてきた。


「どうしたの? いろは?」


見慣れた顔がいろ葉の視界に映り、堪らなくなって涙が流れた。声を漏らさないように努めれば、嗚咽となって体が何かを伝えようとする。


「なにがあったの?」


いろ葉は答えられなかった。怖かった。全部。それを言葉にすれば、母が心配してしまう。なんでもない。なんでもないんだ。いろ葉は一生懸命に涙をこらえ、慌てて靴を脱ぎ、そのまま階段を上って行った。自室の扉を開くと、音を立てないように閉める。なんでもないんだ。いろ葉は真っ暗な部屋で落ち着くように自分に呪いをかける。なんでもない。なんでもないんだ。


 何分くらいそうしていただろう。こういう時、母は何も言わない。実は、母もいろ葉と同じように色々気を使いすぎる節があるのだ。いろ葉はそれを十分によく知っている。そして、いろ葉が下りて来た時に尋ねるつもりなのだろう。母はきっとそうする。だけど、なんて答えよう。いろ葉は目を擦りながら、洗面所へと向かう。先にお風呂に入れば落ち着くかもしれない。いろ葉は顔を洗いながら考えた。うん、そうしよう。そして、踵を返して、部屋に戻る。部屋は暗いまま。電気をつける。とにかく落ち着こう。そうじゃないと、なんでもなくならない。


 いろ葉は手早く入浴準備をして、風呂場へと向かった。




 さっきの音はなんだったのだろう。そう思い、ワカバは町を歩いていた。夜なのに結構な人が歩いている。しかし、ワカバのようなマントを着た人は一人もいない。町の雰囲気としては、温泉街のシラクに似ているが、もっと騒がしい。夜空を飾るのは提灯ではなく、窓から零れる光だったり、自らの存在を派手立たせる看板だったりした。そして、その喧噪はどこまでも続くように感じさせるのに、一歩路地裏に入れば、住宅街に続いて行き、閑かな道が続いて行く。いろ葉の走っていった先もその閑かな住宅街だった。


 その住宅街で、同じ音を聞いた。一日使い切ってよれ始めた背広を着たおじさんだ。少し酔っているのか、微妙にふらついて、酒臭い。


「あ、もしもし、あぁ、もう。だから。分からないかなぁ」


ワカバはじっとその人を眺めていた。男の人は明らかな敵意をワカバに見せたが、襲いかかってくることもなく音の出た四角い板を耳に当てたまままた謝りだした。そして、その時にはワカバという存在はすっかり彼の中から消えているようだった。もしかしたら、その板が彼の使役者なのかもしれない。ということは、この世界の人間のほとんどはその板に使役されているということになるのかもしれない。


 そうは思うが、ワカバは使い魔を持っていないから、使い魔がどんな気持ちなのかよく分からない。


 ワカバは考えていた。あれ自体に敵意は感じられない。大きな音が鳴るけれど、別に悲鳴というわけでもない。それぞれ違う音を出す時もあるし、同じ音を出すこともある。音のない時もあって、それを眺めている時は青白い光が板から放たれている。そして、全ての人はその青白い光をその顔に映しながら、画面一点に視線を固定し、歩いている。さっき見た人は、「あぁ、ちょっとまって、これじゃない?」と友だち同士で板を覗き込んでいた。ということは、きっと使役者ではなく、あれはただ勝手に光る魔法の板なのだろう。しかも、誰でも使える魔法。あの板自身がどんなことをしているのかは分からないのだけれど。最初はその青白さとそこにある視線から呪いの類かともワカバは思ったのだが。


 なんて不思議な世界なんだろう。それなのに、どうしてこの世界を滅ぼそうとする人がいるのだろう。さっきから感じる気配は一つではない。複数。こんな世界いらないという思い。めんどくさいと思う気持ちたち。誰かに傷つけられたという恨みや傷つけてやろうとする悪意。どうして上手くいかないんだろう。きっと、取り巻く世界が悪いんだ。いろ葉を襲ったものに比べればかなり小さい物だけれど、こんなにも複数がこの世界を呪っているなんて。


 もしかしたら、何かがそうなるように仕向けているんじゃないだろうかと思うくらい。


 ワカバはいろ葉と別れてからも、数匹の妖魔と呼ぶには未熟なものに出会い、葬っていた。時に路地に連れ込む黒い手になり、時に、誰かを車道に突き飛ばす手となり、現れる。小さいものだった。まぁ、このくらいなら人間だって気を付ければなんとかなるだろうくらいの存在。


 いろ葉に襲いかかったあいつに比べれば全然小物。妖魔に成り得るかといえば、まだまだ先だろう。しかし、それでも不思議極まりない。ワカバは思う。魔獣は人間を餌として食べるものだった。しかし、魔獣は人間の領域にほとんど入ってこなかった。人間と魔獣は確実に棲み分けていたのに、ここの世界はごちゃ混ぜなのだ。いくら、小さいと言っても、いくら妖魔が直接的に人間を食べないと言っても、この世界を望んだ神さま的な存在は一体どんな世界を望んだのだろう。一体どんなことを望んだのだろう。


 会ってみたいとも思った。


 何をする物なのかまだ判別していないが、あんな素敵な魔法の板を作っておきながら、どうして、人間達は妖魔に対する防御法をしっかりと確立していないのだろう。


 ワカバが立ち止まったのは、もちろん鈴木さんのお家。白い平べったい石に黒い文字で『鈴木』と書かれていて、小さな門の先に扉がついていた。さっきのいろ葉の感じを思い出したワカバは、その扉が開く可能性の低さを見出していた。そして、見上げる。窓からなら、中に入れるかな。

 それが不法侵入という犯罪であるということに、ワカバはもちろん気づいていない。そして、このワカバの考えを否定するわけではないが、おそらく、ワカバの信頼する同じ世界に住むラルーもキラもそれが犯罪であるということはよく知っている。あちらの世界でも、不法侵入は犯罪なのだから。

 要するに、ワカバはどこの世界にいても箱入り娘の常識知らずなのだ。ラルーがいたのなら、「全く、頭が痛いですわ」といろ葉に謝罪するのだろうし、キラが傍にいれば、いの一番にそんな夜中の侵入をするワカバを止めただろう。しかし、そんなことは露知らずのワカバは今灯りの灯った部屋めがけて、体を宙に浮かせた。



 お風呂から上がって自室の扉を開けた瞬間に、いろ葉は思った。

とんでもないものに憑りつかれてしまったと。


 体が温まり、パジャマに着替えて、柔軟剤の匂いのするバスタオルに埋めていた顔をやっと上げた時に、ほっとして出て来た涙がびっくりして引っ込んでしまったくらいには、いろ葉は驚いていた。


 いろ葉の視線の先にある外へと続く窓に人影があるのだ。その人影が窓をノックしている。いろ葉はそれがさっきのあの危険人物であることに瞬時に気付いた。


 窓の外にはベランダもないしおしゃれなバルコニーなんてものもない。そこに、立っている。そんな能力のありそうな知り合いは、さっきの危険人物しかない。だから、いろ葉は自分に絶望する前に意識を現実に向けることが出来た、とも言える。


 ノックは続く。暗闇の向こうから続くノック。もう心霊現象でしかない。いや、とりあえずノックなのだから、強行突破はないかもしれない。


 もしかしたら、眠って起きたらいなくなっているかもしれない。


 そう「無」だ。無になればきっと気にならない。いろ葉は無理矢理に意識を夕食に向けた。いろ葉は彼女を無視というか、なかったことにするため、とりあえず、夕飯を食べに階下へと向かった。


 


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