星読みの間にてさようなら……1
熱風だけが存在する死の大陸。荒廃した大地の上にワカバだけが佇んでいた。
人間にすべてを任せてあるこの世界で、複雑に絡み合った世界の行く末を変えることは難しい。
それこそ、根底からこの世界を変えてしまわなければならないだろう。
だから、ワカバ以外の時間に存在する彼女はいろ葉を使い、この世界を奪い返そうとしたのだ。
初めワカバが思っていたように、こちらに彼女の護る世界、すなわちワカバの世界を望ませ、その未来を変えようとしたのだろう。しかし、トーラである彼女には、未来を変えることが難しかった。だから、寄り添うようにして存在していたワカバの世界が歪み、いろ葉の世界には妖魔が蔓延った。その彼女が紫煙に成り下がったから、ワカバの世界が歪み始め、いろ葉の世界を蝕み始めたのだ。
だけど、誰が世界を背負おうと、この世界はいつかこうなる。トーラがいくら過去を書き換えたとしても、この世界に生きる者たちは、この未来へ行き着くのだろう。
それに、ここにいるワカバが彼女を上回っているかといえば、そうでもないのだ。今回ワカバが彼女に勝つことができたのは、おそらく、彼女が紫煙に成り下がっていたからだ。最早、トーラとしての矜恃すらない、護る者を見失った単なる魔女に。
そう、ワカバがこの世界を背負ったとしても全ての秩序が崩れ去り、全ての記憶が崩壊する。何もない世界になる。彼女の見た未来も、ワカバの見た未来も変わらないのだ。
ならば、いろ葉が未来を選べば良いのだ。この世界においてのトーラとして。彼女の武器は、トーラでありながら人間であること。未来を変えることが出来るのならば、いろ葉しかいない。
この世界をただ存続させるだけなら、ここの理に準えて、いろ葉の創る世界を大切に思う者へトーラを繋でいけば良いだけの話。
もちろん、ここでのトーラの理は準えるつもりだった。元来トーラは巡るもの。その理を大きく改変させる必要はない。何よりもいろ葉にワカバと同じ思いはさせたくなかった。いつか、選んだ世界を手放すことになるなんて、そんなこといろ葉にさせるつもりはない。
万が一ラルーがいろ葉に悪知恵をつけてあちらの世界を望むように仕向けていたとしても、ワカバが今のいろ葉に正面から負けることはない。
いくら自分自身が嫌いで生まれてこない世界を選んだとしても、いろ葉の世界に生きる人々を消せるほど、彼女自身が『彼女』を生きていないのだ。
弱き者は光がなければ、光の灯る方へ歩む。だから、おそらく彼女はこちらを選ぶ。
ワカバは煙る雲を纏う空を見上げ、遠い未来に思いを馳せ、思い出を抱いた。
時が動き出す。
その場所まで遡ったことがあるトーラは初代トーラとワカバだけ。器用にトーラを編むことのできるラルーでさえ、辿れない場所。
始まりのアナの願いは、ここから始められている。
それは、トーラがアナを思い創った世界だから。誰にも触られないように。消されてしまわないように。とても大切な願いだったから。
今のワカバなら見たことのない記憶の中のトーラに伝えることができる。
きっと、それがあなたの分からなかった答えなのだと思うと。
何もない世界。原始の世界。海もなく真っ赤な大地が蠢く世界。時は流れ、繰り返される。
様々な記憶が大地に降り注ぎ、大地に呑まれた光が天に昇る。雷鳴が轟き、そして生まれる未来。時が止まり、冷えた大気が水滴を大地に染みこませる。大地を冷やした豪雨が海を生みだし、命を作る。夜になると星が天空を埋め尽くす。星々は海を見つめ、近づき、覗き込む。荒波が命をかき混ぜ、生と死を繰り返す。いくつもの命が死を迎え、神々への贄となるようにして、その荒ぶりが消えるのを待つ。
そして、大地に静けさがもたらされた。
あぶくがひとつ、生まれる。大切な時を動かすための、風を生み出すために。
長い長い時が、永遠を思わせる時が、再び流れる。穏やかな眠りのような時間が流れ、まるで世界が深い眠りの中にあるようにして、夢を見るのだ。想像を超える力に畏れを抱き、隠されていた生命がそっと世界を窺いながら、動き始める。
世界は自由だったのだと気づき始める。
言葉にもならない声が聞こえる。
風が通り抜けるようにしてワカバの耳をくすぐる声。ワカバはそれに耳を傾ける。
世界が記憶する全てを再生し、人の記憶を辿り始める。
その頃になるとワカバは星読みの間に立っていた。
声の主はかつてのトーラだろう。彼女たちを辿る。ワカバにたどり着く。そして、……。
懐かしい声に手を伸ばしたくなるのをぐっと堪えた。この瞬間、キラが領主として生きる道は完全になくなった。この瞬間、キラが時の遺児として時から完全に吐き出された。
キラは、それに気づいているようだった。キラの時間が刻まれている間に望んでくれれば、時の遺児にならない人生だって叶えることができたのに。
「それでもこのままがいいのね」
静かに肯いたキラは、何を思っていたのだろう。
「それでも、このままがいいんだ」
そして弾ける。花火が打ち上がった後に残される光のように、尾を引いて。
拳を握りしめたワカバはいろ葉を迎えに行くために世界の分岐点までを紡ぎ始めた。
ワカバがいろ葉に出会う前。いろ葉にとっての分岐点。
彼女のを活かすための分岐点だ。
後はここで生きるトーラに任せればいい。ワカバは長く生きたのだ。
忘れ去られても、もう、十分なほど。ワカバと共に、キラもあったのだから、……。
諦めでは決してないが、未熟なトーラが歩む姿をまぶたに浮かべ、ワカバは人知れずそっと微笑んでいた。




