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Ephemeral note~夢を見る世界  作者: 瑞月風花
学校編

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36/50

友達と思って欲しいだけなのに……1


 ワカバがいなくなっていたのはたった二日間。そう、たった二日間だった。あれだけやきもきしたり、不安になったり、後悔したいろ葉なんて顧みることもなく、ワカバはふらっと学校に現れた。本当に、ふらっと。

 何事もなかったようにいろ葉の目の前に現われ、「おはよう」と声を掛けて、そのままいろ葉の隣に立つ。そして、当たり前のようにして、カバンの中から教科書と筆箱を出していた。

 ワカバが学校へやってきた時以来の驚きだった。

「お、はよ」

驚きのあまりいろ葉の時間は一瞬止まってしまったかのようだった。聞きたいことは山ほどあった。それなのに、いろ葉はそのまま口を閉ざし、横目でワカバの様子を探ってしまう。


 最初はただ気まずさからの行動だった。しかし、ワカバの雰囲気がすっかり変わってしまったように、いろ葉には感じられたのだ。どこが変わったのかは、分からない。だけど、どこか冷たいと感じられた。だから、余計に距離を保ってしまう。

 ワカバはそのいろ葉の気持ちを知ってか知らずか、いろ葉に話しかけることなく、カバンから出した教科書を机の中に仕舞っていく。いつもなら、話しかけてきてもおかしくないのに……。

 1時間目はなんだったっけ? えっと、いろ葉? あのね、……。

全くいろ葉を気に留めようともしないワカバにいろ葉は不安を掻き立てられた。チクリと疼く胸がずんと沈み込んでしまう。言葉が出てこなかった。

 謝らなければならない。だけど、ワカバは怒っているのかな? あんなこと言ってしまったわけだし。

 果穂のことも気になる。リレーの選手になったことも不安だ。そして、不安に溺れそうな時にあなたはどうして私のそばにいてくれなかったの?

 どうして、今、話しかけてくれないの?

「帰って」と言ったのはいろ葉で、ワカバに冷たく当たったのもいろ葉だった。だけど、なんだかどこか自分の中に棘が生まれる。

 謝ってきたら許してあげなくもない。それは、おおよそ、自己防衛に過ぎないのだ。しかし、そんな気持ちが先に立つ。どうしてワカバから話しかけてくれないのだろう? 

 その後すぐにいつもと違うワカバの様子にいろ葉は不安を増幅させる。まるでコップいっぱいに入れてしまった水のよう。穏やかに運んでいきたいのに、少しの揺れで水は滴りそうになる。動かなければ、波立たないが、運びたい場所には持って行けない。


 零したくない。だけど、運びたい。

 それでも、……と口を開いた時に予鈴が鳴った。朝のホームルームが始まるのだ。


 扉の開く音でワカバも着席する。まだ一言も喋っていない。担任が扉から現れて教壇に立つ。日直が「起立」「礼」を合図して、それに合わせて動く生徒。いろ葉は慌てていた。

声を掛けられなかった。その代わり、担任が声を発する。

「出席を確認するよ」

五十音順で名前が呼ばれ、呼応する声が淡々といろ葉の耳に届き、自分の名前が呼ばれたら無意識に返事を返していた。


「時森わかば」


聞き慣れた担任の声に、聞き馴染んできているその名前。ワカバは真っ直ぐ前を見ている。いろ葉なんてまるで視界に入ることがないように。

「はい」

その声だけがやけに耳に響いた。


 久しぶりに会うワカバなのに、聞きたいことは山ほどあるのに。言いたいこともあったのに。


 担任が欠席の理由を述べる。

 その言葉を一言も逃さないような視線をワカバは担任に向けていた。まるで猫が獲物を狙うようにして。今のいろ葉ならその視線だけでそのまま射竦め、殺されてしまいそうになるような、そんな視線だった。

 春陽の時よりもずっと、恐怖を感じてしまう。

 なんだろう?

 いろ葉は思う。

 痛いとか死ぬとか、怖いとか悔しいとか、そんな物ずっと通り過ぎてしまうような恐怖だ。体が感じる恐怖は同じなのに、心が感じる恐怖の場所が少し違う。

 ワカバを怒らせたのは、私、かもしれない。そんな恐怖。そして、それがとてつもなく大きなことにつながるような……。


 逃がれられない恐怖だった。


いろ葉は自然とワカバから視線を外していた。ワカバが来る前と同じに戻っただけ。逃げたいいろ葉はそう思いながら、机の上に腕を載せてぼんやりと全てをシャットダウンした。


 だから、果穂がどうして休みだったのか、聞き逃してしまっていたのだ。

 だから、担任が「椎野果穂」と呼ばなかったことに気付かなかったのだ。

 誰もそれに違和感を感じなかったことへの変化に気付けなかったのだ。

 ワカバだけがその事に気づいており、もしいろ葉がその疑問をワカバにぶつけていれば、ワカバは惜しみなくその理由をいろ葉に告げただろうに。


 そんないろ葉が果穂のことに気がついたのは1時限目が終わり、みつるがいろ葉に声を掛けてきたからだった。ワカバはすでにいろ葉の隣にはいない。終業のベルとともに席を立ち、別のグループへと話しかけていたのだ。みつると果穂のグループでもなく、以前、駅前のパンケーキ屋さんに誘っていたグループだ。

「あのね、リレーの選手のことなんだけど、ワカバに頼んでくれた?」

視線をいろ葉からワカバへと移しながら、みつるが尋ねる。

「あ、ごめん」

そう言えば、果穂から頼まれていたことを忘れていた。その果穂も今日は休みのようだ。しかし、忘れていたが、積極的に声を掛けようとしていなかったことに申し訳なさと後ろめたさが先に立ち、いろ葉はあやふやに微笑んだ。

「まだ聞けてないの」

みつるは「分かった、じゃあ、声かけてくるね。ありがとう」と何事もなかったかのように去って行く。


 あのワカバに臆せず声を掛けにいけるんだ。


 いろ葉はその様子を呆然と見つめていた。

 にこやかに話をするみつるとワカバ。何を話しているのだろう? リレーの順番だったりするのかな? それとも他の話題だったりするのかな? 想像を巡らせる。

 私だって頑張って走ってるんだよ? あ、でもアンカーとかはできないかも。ワカバ、アンカーするのかな? 

 二人の姿はなんだかきらきらしていて、見つめてられなくなった。


 どうしてだろう。


いろ葉はよく分からなくなった感情を、ただ、悲しいと感じた。それはここに入学してから初めて感じる感情だった。


 ワカバが帰ってきてからも何も変わらない。ワカバはいろ葉と一緒に登校し、いろ葉と一緒に下校する。いろ葉が予備校の時は図書館へ行っているようだし、帰ってくると借りてきた本を読み漁っている。いろ葉に気付くと「おかえり」と言い、本を指さし「いろ葉も見る?」と尋ねてくる。

 いろ葉は「ううん」と首を横に振り、夕飯を食べるのだ。話しかける話題はたくさんあった。結局敬老の日の連休は、父の都合で行けなくなったのにさらに次の休みに雨マークがついていることや、リレーの話。ワカバが忙しそうに難しそうな本を読み漁るから、話しかけられないだけで。何も変わっていない。

 しかし、同時に変わらない訳ではないのだという感情に押しつぶされる。

 実はいろ葉が変わってしまったのかもしれない、そんな風にさえ思えるのだ。

 

 ワカバは変わらず学校へ行き、出席の返事をする。学校に慣れてきたから、いろ葉に何も尋ねなくなって、自分で行動できるようになっただけで、いろ葉を頼らなくても済むだけなのかもしれない。

 授業が終わり、ワカバは一人で動き出す。誰かがやってくる前に、教室から姿を消していることもあれば、ワカバから友人達に話しかけにいくこともあった。今までは、ワカバが傍にいてあれはなんだ? これはなんだ? と五月蠅いくらいに訊いてきて、……。ごはんを食べる時だって、ずっと傍にいて、今だって……。


 教室がざわめく。そして、それぞれが教室を去って行く。

 いろ葉は教室の前方に貼ってある時間割を見つめた。あ、移動教室……。

いろ葉は沈む胸を抱えながら、移動教室へ一人向かっていた。

 ワカバは選択授業にいろ葉と同じ家庭科を選んでいる。

 みつるは音楽で、果穂は同じく家庭科だったはず。いろ葉が家庭科を選んだ理由は将来的に一番役に立つかもしれないから、だった。ワカバはいろ葉と同じ授業だからの理由だろうけれど、本当は何を選びたかったのだろう。

 そう言えば、いろ葉はワカバ自身の事を何にも知らない。ワカバの性格や変な術を使うことは知っているけれど、ワカバが好きなことや嫌いなこと、そもそもどうしてこの世界にやってきたのかすら、ちゃんと聞いていないのだ。


 やっぱり、友達じゃないから……。


 いろ葉は、裁縫箱を抱きしめて廊下を歩き続ける。

 家庭科室は棟が変わる。普段の授業が行われるのがA棟。家庭科室は調理室と裁縫室の両方とも右隣のC棟になる。ちなみに音楽室もC棟にあり、体育館が講堂も兼ねてB棟一階だった。

 一人で歩くのは慣れているはずだった。家庭科室の扉を一人で開く。教室にはもうすでにワカバがいて、ワカバがワカバの友人とおしゃべりをしている。いろ葉の耳にはそのおしゃべりが五月蠅いほどクリアに届くのだ。

「ワカバちゃんって裁縫得意なんだ」

「わぁ、縫い目すごいね。きちんと並んでるっ。几帳面なんだぁ」

本当は7月から作り始めている浴衣づくり。来年の夏までに仕上げて着付けを習い、高三の文化祭で着るのが恒例。ワカバは9月の授業から作り始めたはずなのに、すでにみんなに追いついている。


 縫い目もきちんと整っていて、真っ直ぐ。運針だって早い。指ぬきの使い方もすぐに覚えて、まち針で指を差してしまう私とは大違い。

 いろ葉はワカバから遠くの席に座りながら、ワカバを気にする。

 ワカバは瑞江先生にも褒められていた。

「海外から来られたというのに、和裁もお上手ね」

いろ葉はずっと日本に住んでいるのに、和裁どころか、運針だって真っ直ぐ出来ない。

「大丈夫だよ。いろ葉もできるようになるから」

ワカバが言ってくれた。


 出来るようになるわけないじゃない。こんなにうねうねした波縫いしか出来ないのに。


 取り巻きに囲まれたワカバが視線をあげて、返事をした。

「そうかなぁ。でも、ラルーはもっと上手にするから」

取り巻き達がワカバの口から出てきた新しい人物に食いついた。ラルーはワカバとの会話の中で時々出てくる女の人。そして、魔女。いろ葉はそんな優越を感じながら、聞き耳を立てた。

「ラルーって誰?」

「わたしの従姉妹のお姉さん」

ワカバの従姉妹だったんだ……。友達か知り合いくらいだと思っていたのに。

 やっぱり、ワカバのこと何にも知らされてない……。

いろ葉はやっとワカバから視線を外し、時計を見た。始業まであと一分。60秒間もあるのだ。いろ葉は忘れ物がないかのチェックをしようと裁縫箱を意味なく広げた。

 それが災いして、ミシンのボビンが一つ転がった。どうも蓋に引っかかっていたようだ。それは赤い糸を引きながら転がり、誰かの上靴の爪先で止まった。


「あ、ごめん……なさ」

ボビン本体を拾いながら、顔を上げると果穂がいた。果穂がいたが、果穂はいろ葉に応えず、そのまま教室から出て行った。

「椎野さん?……もうすぐ……ちょっと、待って」

追いかけなくちゃ……今、果穂を捕まえないと、二度と会えないような気がした。いろ葉は衝動に突き動かされるようにして、その影を追いかけていた。



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