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異世界に来たようでそうでないような……1

紫煙という表現がでてきます。

本来「紫煙」はタバコの煙ですが、本作では字のまま紫色の煙とさせていただきます。


 バベルの塔って、こんな感じだったのかな? そう思いはするが、手を伸ばすその先にあるはずの星や月はリディアスで見ていたものよりも随分と遠く、その代わりに人工的な光が遙か足下で煌めいていた。


 ビルディングというものらしい。ワカバはその天を突くかと思う程に細長い建物の天辺に座り、足を空中に放り出し、ぶらぶらと空を漕いでいた。ワカバは待っているのだ。


 それは何かであり、何でもないもので、希望をつなぐために現れるものなのかもしれず、希望を消し去るかもしれないものでもある。揺らぐ世界に現れた混沌をもたらすそれはワカバの世界にも深く関わるもので。


 『時』を崩す何かであって、何ものでもないものであって。ワカバの知り得ぬ何かであることだけは確か。


 ワカバの新緑色の瞳がその刹那に光る。風を匂えば、風が澱む。あ、来た。ワカバはすくっと立ち上がると目の前で具象化した深い紫色の風に目を凝らした。そして、ワカバを睨み返すようにして現れたのは、切り裂いただけの隙間に出来た瞳。それは、まるでトマトを地面に叩き付けたかのような鮮やかな色でその白目にあたる部分を染めていた。綺麗ではない。ワカバは感覚的にそう感じた。何度も何度も切りつけられて、しぶきを上げるのも止めてしまった傷口だ。その断面は滑らかではないのだ。見ていられない。そんな血走った黒い瞳がワカバを見据えている。それにもかかわらず、ワカバは泰然自若としていた。


「ごめんね。あなたに直接の恨みはないのだけれど」


ワカバの声は淑やかで、その瞳を哀れむものだった。しかし、次の瞬間、夜空に漆黒の穴が開いた。行動としては、ただ夜空を見上げ、首を傾げるというものだった。首を傾げたのは、だいたいこのくらいかな? を確かめたから。ワカバはその瞳に対して、本当に何の恨みもないのだ。だから「ごめんね」と呟いたのだ。


 実際は穴を開けたのではなく、穴を作り出したのだけれど、その辺りは、ワカバに言わせれば大差ないということだ。そして、そこがラルー曰く、網目の荒い魔法になっている。


「生まれる場所が悪かったと思って」


一瞬の出来事だった。ワカバが言い終わると夜空に開いた穴は、それがまとう紫煙もろともを呑み込んでしまった。そして、全てが沈黙する。ワカバはまた何もなかったかのようにして、ビルの天辺で足を漕ぎ、茶色の長い髪を風にそよがせた。時輪の森に存在した一番大きな木なんか比じゃないくらいの高さがある。それでも、ワカバは時輪の森のあの木の方が好ましいと思うのだ。だけど、この世界はこれで見ていて面白い。


 人間にただ全てを任せた世界だ。


 眼下では夕刻を随分回ったにもかかわらず赤や黄色、青色、白色の光が道を作り出していて、夜を騒がしていた。さすがに人々の声までは届かないが、サイレンが聞こえたり、車のクラクションが聞こえたりはする。ワカバにはその全てが真新しい知識に思えて、わくわくさせられてしまう。外の世界というものは、いつでも好奇心を掻きたてるものなのだろう。それに、今のワカバが人間を怖がっていないというのも、好奇心を高まらせる一因になっている。


 いや、少し語弊がある。


 こちらの人間は、ワカバを畏れていない、が正しい。ワカバのいた世界で、ワカバを畏れなかった者は少ない。そんな彼らはとても貴重で、とても大切で、失いたくないものだった。


 ワカバは空を見上げた。


 されど人の寿命は短く儚い。分かっていたことだ。


 ワカバが守護していた世界でも今や『ワカバ』という者を知って、それでも畏れずにいるのはラルーくらいしか残っていない。そして、その世界すらワカバの手から離れようとしている。


 もちろん、『ワカバ』はそれを認めようとはしない。


 奪われたくない。きっとそんな我が儘な気持ちだけが働くのだ。


 認めずにいることは簡単だった。


 ワカバはもう一度眼下を見下ろした。人の営みは見えず、チカチカ光る無機質な光の中に隠れている。これだけたくさんの光を持ちながら、この世界の人間たちは『光』をその身に潜ませるのを怖がっているようにも思える。


 この世界はワカバの世界の平行世界。異世界とも言うのかもしれない。とにかく、この世界で定義されているどこでもない世界でワカバは生きていた。ただ、世界は常にそれ自身の存在を掛けてせめぎ合っているのだ。そこに関わるのが『トーラ』であり、それを持つ『ワカバ』であり、ワカバ以外のどこかに存在した『トーラ』でもある。


 ワカバの世界で共に過ごしたことのあるランドが目指す世界の終着と考えれば、人間の世界としては充分に成り立つのかもしれない。トーラの中にありながら、完全に『トーラ』を無視する世界。そして、トーラを凌ぐ新たな『トーラ』を生み出すかもしれない世界。そして、トーラのいない世界は過去に何度も望まれたものなのだから。


 どこかの時代のトーラがそれを掬い上げないこともない。

もし、そうだとすればこの世界は最初に世界を望んだ『アナ』やラルーの望みに近い。


 トーラという力が生まれる前に存在した『トーラのない世界』と望むアナとラルー。その世界を叶えられるのはもう『ワカバ』しかいないと思っていたから。

 

 だから、負けても……。

 

 だけど、失いたくない。


 ワカバの中ではそんな気持ちがせめぎ合っている。


 ワカバが再び掌を夜空に向けた。

 頭上から現れた靄が消える。


 魔獣に魔女、そして時の遺児。きっとそれに準ずるものがこの世界に現れる『妖魔』なのだろうとは思っている。しかし、ワカバのいた世界に存在していた歪みの呼称である『魔獣』『魔女』もしくは『時の遺児』とは実質的に違い、妖魔とは『念』のようなものらしい。この世界においては、全く非科学的な物として存在するもの。スキュラで出現した水竜のようなもの。要するに、ワカバやラルーにおいては比較的簡単に蹴散らすことのできる存在だった。しかし、まだ実態を持つ魔獣ならこちらの世界の人間でも対処できたのだろうけど、妖魔は多少なりとも解術作業という技術がいる。魔法のないこの世界が太刀打ちできるとは到底思えなかった。


 まぁ、ワカバの場合、力で捻じ伏せている面があるので、ラルーに言わせれば、『解術』ではなく『破術』だろうと言われかねないのだけれど。


 ふとそんなことを脳裏に浮かべ、ワカバは苦笑する。


 それにしても、多い。この小一時間、この狭い範囲だけで、ワカバが捻じ伏せた妖魔は三体。元がどんな形だったかは分からないが、約二〇分に一体現れているのだ。ワカバの世界には『トーラ』を狙うものなどほとんどいなかったが、余程この世界を呪っている人間が多いのか、余程の力の持ち主が世界を滅ぼそうとしているのか。


 どちらにしても、トーラに惹きつけられすぎた何かが、深く関わっているのだろう。


 ワカバはらしからぬ溜め息をついた。


 どうか後者ではありませんように。


 ワカバは願う。もし、後者なら、いつか捻じ伏せるという技量だけじゃどうにもならなくなる。それは、ワカバがラルーに勝てない理由に相当する。


「あっ」


……見つけた。


ワカバはやっと探し物を見つけたのだ。


 この世界でいう『ワカバ』と同じ存在。今のところ彼女のために世界は創られ、彼女を殺せば世界は滅びる。存在としてはワカバと同じような経緯でのトーラなのだろうが、彼女には力がない。これはこの世界の時間からはみ出した『時の遺児』にも共通する。ワカバとの違いは、彼女が暫定のトーラであるということ。どうやら、この世界ではどこかにある主核のトーラが世界を人間である彼女たちに委ね、世界が巡るようなのだ。その理由は分からない。


 力なきトーラが巡るということは、彼女たちの『生』が、巡りの途中で消えれば世界が消えてしまうというもの。


 力あるトーラが守護する世界(じかん)に比べると、この世界は儚く弱い。そして、トーラとしての力を持つワカバがこの世界に負けることは、決してない。


 だけど……と、ワカバは夜空にあった視線を地上へと下げた。不思議な世界だ。


 ワカバの視線は滑らかなビルの側面を辿り、遥か下方へと向かう。見下ろせば、そこには少女がいた。ワカバが探していた対象物。セミロングの黒髪が風に吹かれるワカバと同じくらいの十代後半に差し掛かったばかりの少女だ。青い上着に格子模様の緑のスカート。大きなスポーツバックはタスキに掛けて、背中に回してあった。おそらく、彼女にはまだ見えていないのだろうが、妖魔の狙いは彼女だ。空間が大きく割れて、彼女に向かい、黒いタコの様な触手が何本か伸びていた。彼女が絡め取られれば逃げられないのだろうが、そんなこと力のないトーラである人間の彼女が気付くはずもないだろう。


 そして、ワカバは思った。そもそも彼女が護らなければならないものは、そのバックではなく、自身である。見えない何かからではなく、彼女にも見えている、ガラの悪そうな男子三名。スポーツバックは前へと出すべきであり、いつでも振り回せるように自由にしておかなければならないもの。


 力なきトーラの名前は『鈴木いろ葉』


誰が見ても、鈴木いろ葉は危機真っ只中だった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] ワカバの感情が豊かになった様にも思います。 きっと色々な表情も見せてくれる様になったのでしょう。 ゆるゆると追いかけさせていただきます。 [気になる点] やはり、前作を読んでいない人には敷…
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