第五話 主人公補正(微)
私たち家族は、都市部から少し離れたところに住んでいる。新築一戸建ての一軒家。都会とも言えず、田舎とも言えず。ほどほどに賑やかで、ほどほどに静か。そんな住宅街の一角は信号も少なく、早朝ランニングにはうってつけだ。
ねむい。けど、ちゃんと起きた。三日坊主は回避できた。このままランニングを朝の日課にしようね。
ジャージに着替えて外に出る。4月上旬になると、朝5時でもうっすら明るい。もう30分もしたら日の出の時間だ。
――うちの敷地にある道路に面したフェンスに血まみれのおじさんがもたれている。
ちょっと意味が分からなくて固まってしまった。うずくまるようにフェンスにもたれている血まみれのおじさん。足元にえげつない量の血だまりができている。
き、救急車っ! 通報!! 119番!!! いちいちきゅー!!!!
「アハ、アハハハハハ! その程度ォ?」
パニックになりながらスマホを取り出そうとした私の耳に、少年の高笑いが届いた。そんなに遠くない場所からゆったりとした足音が聞こえる。これゼッタイ追われてるやつじゃん。
自分でもなんでそんなことをしたのか分からない。
火事場の馬鹿力を発揮し、おじさんの体を引きずる。もつれるようにフェンスの陰にしゃがみ込んだ。や、やってしまった。思わず助けてしまった。
足音が近づいてくる。これはバレる。ぜったいバレる。血だまりあるもん。ちょっと覗けばフェンスの奥にいるの見えるもん。
「フゥン、まだそんな小細工ができる余裕が残ってたんだァ。クスクス……」
少年は近くをゆっくりと見まわした後、フェンスの前を通り過ぎて行った。足音が遠ざかっていく。……は? うそやろ君ガバすぎへん?? 早朝で暗いと言ってもそこそこ見えるやろ????
瞬間、私の脳裏に閃くものがあった。閃いてほしくなかった。
――主人公補正。
いやでも、そんな、都合が良すぎる……ことが起きるのが主人公補正ですよねーーー!! 知ってる!!!
やめてよね! 私が”女主人公”である可能性を高めるのは!! やるだけやって何にもなくて徒労に終わって、心配し過ぎだったな~ははは~で済ませたいんですよ本当は!!!!
ていうか、ついつい助けちゃったけど、どうしよう。
改めて、血まみれおじさんを見る。ヨレヨレのコート、型崩れしたスーツ。くたびれたおじさん(精神年齢的には同い年)にしか見えない。けど、引きずった時に触った体は驚くほど引き締まっていた。このキャラ設定、どう考えても裏家業の人だ。だっての黒の革手袋してるもん。ついでに顔もいい。
――このおじさんが相手なら、後腐れ無く処女を捨てられるのでは?
処女をもらってくれそうな相手が、恩を売れそうな状態で、手元に転がり込んできた。別の方法を考えていたけど、こっちの方が手っ取り早く済ませられそうだ。
だから、助けてもいい。うん。そういうことにしよう。
控えめに言って罠では?? と喚き叫ぶ心の声には、耳を貸さないことにした。
「立てますか」
薄目を開けたおじさんに肩を貸す。私の部屋に連れていくことを伝えると、おじさんは眉をしかめつつ頷いた。怪訝そうな顔だ。そりゃそうだな。得体が知れなすぎるもんな、私。
手が震える。両親に見つかりたい気持ちと、見つかりたくない気持ちがせめぎ合う。もし、本当に主人公補正が私に備わっているのなら――




