1-6
リナ……。
リナ……。
かわいそうなリナ。
リナ……、起きて……。
リナ……、目を覚まして……。
リナ……。
リナ……。
三日後の朝、まだ日も昇らぬ早朝、誰かに呼ばれてリナは目を覚ました。
森の中はまだ暗闇に静まり返っていた。
何者の気配もない。
夜の生き物は眠りにつき、昼の生き物はまだ目覚めていない。
うすら高い木々の隙間に、ほんの少し深い青を塗った空が見えた。
「あら、もう目覚めましたか?」ターシャが言った。
「ええ、なんだか誰かに呼ばれた気がしたの」リナは答えた。
「誰かに呼ばれて起きたのですか? 私はまだ起こしていません」
「ええ、知ってるわ。あなたじゃないのよ、ターシャ」
「そうですか。私でなければ、誰がリナを呼んだのでしょう」
「きっと誰も呼んでいないわ。ただ、そんな気がしただけよ」
「ですが、それでは……」
「ですが、それでは?」
「新しいフィグツリーにそんな機能はないはずですが……」
「何の話をしているの?」
「研究施設からさっきメッセージが届きました」
「研究施設? きっとラリーね。見せて」
「もちろん」
そう言いながらリナは、眠りの中で私を呼んだのは、ラリーなんかじゃないわ、と考えていた。
「やあ、リナ。お目覚めかい? 早いね」
ターシャが部屋の中央にラリーのホログラムを映し出した。
「ええ、おはよう。あなたも早いのね、ラリー」
「わしにとってこの時間は、まだ夜みたいなもんじゃ」
「あら。じゃあ、なんて言えばいいのかしら? あなたは遅いのね、ラリー」
「あはは、そうじゃな。もっともわしはもうメンテバンクの住人だ。朝も夜も関係ないがね」
「ラリーはもう眠らないの?」
「眠らないとも言えるし、永遠に眠りの中を彷徨っているとも言える」
「難しいわ。夢は見る?」
「夢は見ないね。じゃが、意識が永遠に生き続けると言うのは、ある意味夢を見ているとも言える」
「わからないわ」
「鏡の中に閉じ込められ、鏡の中に映った何百、何千、何万の自分が勝手に動き出すのを見ているような感覚さ」
「私の見る夢とは少し違うみたい」
「ああ、そうだね。わしがまだ人間であるとき見ていた夢とは、やはり少し違うようじゃ」
「懐かしい?」
「なにがだい?」
「夢を見ることが」
日が昇りつつあった。
相変わらず森の中はまだ暗かったが、見上げた空は明るさを増し、鳥たちが飛んでいた。
ターシャが朝食を用意している。
人工的に作られたたんぱく質の塊をスライスし、無菌室で栽培されたレタスの上に盛り付けている。
「ところで今日は、」ラリーが話を続けた。「以前預かった人形ができたので、連絡したんじゃ」
「ええ、そうね。ちょうど三日目だわ」
「やはりオリジナルの外観を維持しつつ体を動けるようにするのは難しかったが、首から上には薄い皮膚を移植した。筋組織もなんとか移植することができた。だから首から上はアンドロイドと同じように動くことができる。自らの意識も持てる。脳の構造についてはもう学んだかね?」
「ええ、大丈夫よ」
「人工脳の培養についての歴史なんかもかい?」
「ええ、昨日全部学んだわ」
「頭痛なんかはなかったかい? 時々あるんじゃ。ナレッジの流入速度に耐え切れないことが」
「大丈夫みたい」
「そうかい、それはよかった。フィグツリーの交換はうまくいったみたいじゃな」
「ええ、感謝するわ」
「ああ、それで、どこまで話したかね……」
「私の人形が、首から上は動くことができる。意識もあるってところまでよ?」
「ああ、ああ、そうだったね。まあ、とにかく人形をそちらに送ることにするよ。見てもらった方が早い」
「ええ、そうね」そう言ってリナはベッドから降りた。
重力コントロール装置のモードが変わり、ワープ転送が始まった。
ヒューーーっと独特の音がする。
それはどこか遠くで笛を吹くような音だった。
リナはどこかでその音を聴いたことがあるような気がした。
もちろん、自分がワープ転送される時に聴いている。
けれどその記憶ではない。
もっともっと昔、リナが経験するはずなどない、もっともっと過去から聴こえてくる音だった。
脳の記憶にあるのではなく、遺伝子に刻まれた、原始的で、根源的で、本能を震わせるような音だった。
草原の真ん中に立っていた。
腰の高さまである、名も知らない植物の只中にいた。
周りを見ても何もない。
見渡す限り、空と、草原。
その真ん中に、リナは立っていた。
太陽は見当たらない。
ただ、薄暗い空と、そこを流れる雲を見ていた。
どちらを向いているのかわからなかった。
たった一つ、遠くに山でも見えればそれを導にすることができたのに。
少しでも方向を変えると、もうさっきまで自分がどこを見ていたのかわからなくなった。
そうだ、空を見れば……。
リナはそう思って空を眺めた。
雲は同じ方向に向かって流れていた。
リナは胸をなでおろした。
私は……。
私は……。