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フィグツリーの交換が終わり、部屋に戻ると外はもう暗くなっていた。
「あら、まだあなた、そこにいたのね。私を待っていてくれたの?」
リナは部屋の外に見えた若いメス鹿にそう話しかけた。
別の鹿だったかも知れないけれど、リナにはそこまでわからなかった。
鹿は物憂げな目でリナを見つめた。
リナはもし自分があそこにいる鹿だったらと、部屋の向こうからガラスを通して自分を見ているところを想像してみた。
鹿はしばしリナの想像に付き合った後、森の向こうに姿を消した。
雨はもう止んでいた。
けれど空を見上げても星は見えない。
「ねえターシャ、明かりを消してくれない?」
「まだ寝る時間には早いですよ?」
「ええいいの。空が見たいだけ」
そう言われてターシャは部屋の中から空を見上げた。
「何か見えますか?」
「いいえ、何も見えないわ。何も見えない空を見たいの」
ターシャは無表情のまま、部屋の明かりを消した。
何も見えなくなった。
暗闇。
ここは森の中だ。
何かの気配を感じる。
さっきの鹿だろうか。
それとも気づかないだけで、もっと多くの動物に囲まれているのだろうか。
暗闇。
空を見上げた。
目が慣れてくる。
ぼんやりとそこに月があるのがわかる。
空を薄い雲が流れていた。
さっきまで雨を降らせていた雲の残滓かも知れない。
はぐれ、逃げ惑うように流れて行く。
「研究施設の者からメッセージが届いています」そう言ってターシャはホログラムを部屋の中心に映し出した。
「やあリナ。気分はどうだい?」
「ラリーね。何ともないわ。」
「フィグツリーの交換は無事に終わったよ。眠っているようじゃったから、そのまま部屋に送り届けた。預かった人形を見ている。動けるようにするのは難しいが、しゃべるようにするくらいならできるかも知れない。どうするね?」
「ええ、お願いするわ」
「わかった。三日ほど預かるよ」
「ありがとう」
リナはベッドではなく、部屋の真ん中の床に寝転んだ。
さっきまでラリーのホログラムがいた場所だ。
「どうしてそんなところに寝るのです?」ターシャが聞いた。
「ここの方が、空を見れるでしょ?」
ターシャは空を見上げた。
「何か見えますか?」
「雲が見えるわ。ぼんやりと、月明かりも」
「何分間、見る予定ですか?」
「わからないわ。このまま眠ってしまうかも」
「お食事がまだです」
「ええそうね。けれどなんだか、お腹が減らないの」
「では、お食事はしばらく後にします」
「ええそうね、ありがとう」
リナは研究施設でのラリーとの会話を思い出していた。
フィグツリーを取り外していたせいで、身体の感覚が何一つなかった。
自分の体がそこにあると言う感覚がなかった。
だからラリーとの会話は、まるで夢の中で交わされたもののようだった。
「しかもそれは、だいぶ古いものだね」
「だいぶ古い? どれくらいかしら」
「明治時代のもんじゃよ」
「メイジ時代?」
「七百年以上前のもんじゃ。フランス人形と呼ばれていたものだ」
「フランス?」
「フランスだ。当時、地球はいくつかの土地に区切られていて、そのそれぞれの土地に名前を付けて国と呼んだんじゃ。その名前の一つだよ」
「土地の名前なのね?」
「そうさ」
「で、そのフランスと言う場所で、七百年以上も前に作られた人形と言うものなのね」
「その通り」
「面白いわ」
「そうだとも。実に面白い」
「なぜそんなものが私の部屋に?」
「さあ。そこまではわからんね。そのうちお母さんに聞いてみるといい」
「お母さん。ええ、そうね。聞いてみるわ」




