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重力コントロール装置のすぐ横の床が開き、機械の腕が伸びてきた。
その腕はまるで老人の手先のように動き、リナの首元に露出したフィグツリーのメイン回路を取り外しにかかった。
「あなたのこと、なんて呼べばいいかしら」
「ああ……、そうじゃな。tu ラリーと……puedes llamar……」
「ラリーと呼べと言ってるの? ラリー、また言語機能が混線してるみたいよ?」
しばらくの沈黙があった。体を動かすことができないので見えなかったけれど、きっとラリーはまたさっきのように手のひらをこちらに向け、「ちょっと待ってくれ」とジェスチャーをしているに違いないとリナは思った。
「すまんすまん。思わぬ質問をされると、意識が集中できなくなるようじゃ」
「思わぬ質問?」
「ああ。名前を聞かれたのなんて、二十年ぶりのことでな」
「名前は特に意味がない?」
「ああ。ここで交わされる会話に、名前を知ることになんて、意味がない」
「でも、私は必要だって思ったわ」
「そうじゃな。名前を知る。それは相手個人に興味を持つと言うことじゃ。面白い。とても面白い」
「よくわからないけれど、それは特別なことなのね?」
「ああ、特別だ。特別だとも」
「それでは、そうね、私の名前も教えるわ。リナと言うの。私の名前よ?」
「リナ、そうかリナ。わかった、そう呼ぼう」
「これも特別なこと?」
「ああ、そうだとも。特別だ。とてもとても、特別なことだ」
皮肉なことではあるけれど、戦争は時に、技術進化の起爆剤となる。
2500年代、技術革命が起こり、いくつかの不可能と言われていた技術が現実のものとなった。
反重力、宇宙でのワープ航法、それを利用した瞬間的な移動、人の意識のコンピュータへの完全移植など。
フィグツリーもまた、その一つだった。
「ところでそう、?Donde encontraste……、ソれ……、ミツケタ……、フレンチ Doll of the 明治 era?」
「それをどこで見つけたかって聞いてるの?」
「To attends……、い、いや、ちょっと待ってくれ……、また……、う……、うん。これでいいだろ。どうだ? ちょっとはマシかな?」
「ええ、だいぶましよ」
「で、変わった物を持ってるね」
「アンドロイドのこと? こんな小さいものは珍しいとは思うけれど、そんなに変わった物かしら」
「ああ、変わった物じゃよ。それにそれは、アンドロイドではないんだ」
「アンドロイドではないの? 部屋の片隅に置いてあったのよ。壊れているから、直してもらおうと思ったの」
「壊れているわけではないんじゃよ」
「そうなの? けれど動かないわ。話すこともない」
「もともとそう言うものなんじゃ」
「もともと、動かないって言う意味かしら?」
「ああ、そうだよ」
「動かない物を、作ったって言うこと?」
「ああ、そうだよ」
「わからないわ。なんのために?」
「愛でるためにじゃよ」
「愛でる? 初めて聞くわ」
「可愛がり、愛するってことじゃ」
「それは……、わからない」
「感情の一つなんだが、今はもう存在しないものなんじゃよ」
「そう……、つまり、『嬉しい』や、『悲しい』の、一種なのね?」
「そういうことじゃな」
「そう……。では、その動かないアンドロイドを持っていれば、私にも『愛でる』ってことが理解できるかしら」
「もしかしたら、あるいはな」
「もしかしたら、あるいは……」
フィグツリーからメイン回路が取り外されると、リナは体中の力が抜けるのを感じた。
意識は明瞭であるのに、身体は指一本動かすことができない。
「心配ないよ。フィグツリーは脊髄を介して身体の運動機能にも影響しているから、メイン回路を取り外すと、一時的に身体の感覚が無くなるんだ」ラリーはそう説明した。
「ええ、大丈夫よ。ただちょっと、不思議な感じがしただけ」
子供たちは、大人になるまでほとんどの時間を自分の部屋で過ごすことになる。そのため身体機能が向上せず、心身の発達が望めない。それを助けるため、フィグツリーは定期的に身体の筋肉や神経に刺激を与え、必要な運動量をまかなう役目も果たしていた。
「ところでそれは、アンドロイドではないんじゃよ」
「アンドロイドではない。では、それはいったいなんなの?」
「人形と言うんじゃ」
「ニンギョウ?」
「ああ。だいぶ昔の子供のおもちゃさ。ずいぶん昔のな。アンドロイドができるよりずっとずっと昔のな」
「アンドロイドのできるより昔?」
「ああ、その通り」
「アンドロイドがいなかったってこと?」
「アンドロイドがいなかったってことじゃよ」
リナは少し考えて答えた。「そんなの想像できないわ。それでは、いったい誰が食事を用意してくれるの?」
「お母さんじゃよ」
「お母さん? お母さんが、食事を?」
「ああ、そうさ」
「わからない。お母さんなんて、ホログラムでしか見たことないもの」
「ああ、そうじゃな。お母さんなんぞ、ホログラムの中にしかおらん」




