1-22
気を失っていたようだった。
横向きになって、川の流れの中に目を覚ました。
寒かった。
凍えるように寒かった。
日は沈んでいた。
西の空がかろうじて赤く染まっていた。
水に浸かっていた方の耳が聞こえなかった。
左足がひどく痛み、怪我をしていたのを思い出した。確かめてみると、血は止まっていたものの、傷は思いのほか深かった。暗くてよく見えなかったが、顔を近づけ、足の指を動かすと、傷口の中に指を動かしていると思われる筋肉が動くのが見えた。
リナはうめき声をあげた。
どうすればいいのかわからなかった。
昼間の暑さが嘘のように寒かった。
寒い……。
寒さは気温だけではなく、身体の中からも感じられた。
寒い……。
けれどなんだか、暑いような気もした。
身体の中が、熱くて寒かった。
眩暈もした。
暗さのせいだと思ったが、そうではなく、目の前に靄がかかったように視界が悪かった。
「水から出た方がいいわ」ソフィにそう言われてなんとか立ち上がった。
けれど、どこに向かえばいいのかわからなかった。
鹿の親子が休んでいた木陰が見えた。
鹿の親子はもういなかった。
そこは酷く心地の良い場所に見えた。
リナは足を引きづり、そこに向かった。
左足に思うように力が入らず、足場を選んで進んだので、目の前に見えるその場所が果てしなく遠かった。
やがてその場所にたどり着くと、リナは再び気を失った。
次に目を覚ますと、もう夜になっていた。
熱にうなされて目を覚ました。
冷たい汗をかいていた。
辺りは暗くて何も見えなかった。
ただ川の流れる音が耳障りなほどうるさかった。
虫の鳴き声も聞こえた。
カエルの声も聞こえた。
けれど右耳からは何も聞こえなかった。
昼間に気を失っていた時、水に浸かっていた方の耳だ。
片耳しか聞こえないのに、すべての音が頭の中で地響きを立てるようにうるさかった。
やがて右耳が痛むことに気が付いた。
聞こえないだけではない。
痛い……。
右耳から血が流れているのではないかと疑った。
右耳を押さえていた手のひらを確かめたが、血は流れてはいなかった。
ただ痛い……。
とてもとても痛い。
何かでふさがれたような感じがした。
水がまだ溜まっているのだと思った。それで聞こえないのだ。
けれど、いくら頭を振ってみても、耳に指を入れてみても、水が出てくることはなかった。
ただ、ひどく痛い……。
熱くて、痛い……。
リナはどうすることもできず、ただ右手で右耳を押さえつけるように塞ぎながら、じっと痛みに耐えた。
そうするうちに、やがて吐き気も襲ってきた。
何かを吐こうとしたが、何も吐き出すことはできなかった。
喉の奥に、なにやら冷たいものを感じただけだった。
リナはフィグツリーに、身体の診断機能があることを思い出し、それにアクセスした。
それを使うのは初めてのことだった。
部屋にいる間、病気も怪我も経験したことがなかった。
頭の中にフィグツリーの声が聞こえた。
フィグツリーがまだ使えることに安堵した。
フィグツリーは、右耳の痛みが外耳炎であること。耳の中がひどく腫れて塞がれ、そのせいで聞こえないのだと言った。また食中毒の症状も出始めていると言った。川の水に含まれるカンピロバクター、大腸菌などが原因と思われる。また、左足の傷による感染症を防ぐため、ただちに治療が必要だとも言った。そして単純に風邪もひいており、それらの総合的な原因により、熱が三十九度を超えており、治療は急を要するとのことだった。
「ねえソフィ、またあの話を聞きたいわ」リナは朦朧とする意識の中で、目を閉じたまま、ソフィに話しかけた。
「あの話?」
「ええ、ミルの話、ヴァレンチンの話を」
「旅の話ね」
「ええ。ミルたちも、こんな苦しい思いをしたのかしら。私は生き残ることができるのかしら」ほんとを言うと、リナはどんな話でも良かった。ただ、ソフィの声を聞いていたかった。
「そうね。ミルたちも、苦しい思いをしたわ。こことは違って、とてもとても寒い場所だったけれど、飲むための水もほとんどなく、ただ歩き続けたの」
「水が……、川はなかったの?」リナは顔を起こし、目を開けたつもりだったけれど、うまく瞼を広げることができなかった。
「あったわ。けれど、川の流れは凍り付いていた。手のひらで掬うことはできなかったのよ」
「そう……、そうなのね……。水は……、水はとても冷たくて、美味しかったわ……」そう言ったきり、ソフィの話を聞くこともなく、リナはまた酷い熱に気を失った。