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部屋の外に出て初めて触れた物は、素足で踏みしめた、冷たく湿気た土だった。

背後で扉が閉まり、警告音も消えた。

それと同時に部屋から吐き出されていた強風も治まり、一瞬で静けさに包まれた。

そしてリナは、一歩も動けなくなった。

闇の中にいた。

部屋の外にいた。

初めて感じる恐怖だった。

絶大な恐怖だった。

恐怖だ。

恐怖だ。

恐怖だ。

純粋な恐怖だ。

逃げ場のない恐怖だ。

得体のしれない恐怖だ。

恐怖を呼吸している。

それは胸の中にある。

恐怖が肺を動かしている。

呼吸の音が聞こえる。

肺を絞り、緩め、絞り、緩め、絞り、緩め、絞り、緩め……。

鼓動が聞こえる。

心臓を握り、放し、握り、放し、握り、放し、握り、放し……。

恐怖に囚われ、思考が中断した。

尿意を催したが、それはうまく意識に伝わらず、失禁した。

一歩も動いてはならない。

気配を悟られてはならない。

ほんの少しでも物音を立てれば、それは静かに走り寄り、リナに襲い掛かってくるはずだった。

身体の感覚を失っていた。

自分の脚で立っている感覚がない。

どうすれば……、どうすれば……、どうすれば……。

部屋に戻りたい、けれど、首を動かして振り返ることすらできない。

駄目だ、戻れないんだ。

もう、もう、もう……。

涙が頬を伝った。

なんてことをしてしまったんだろう……。

「リナ、落ち着いて」ソフィの声だった。

リナは何かにすがるようにその小さな体を抱きしめた。

脚の力が抜け、その場に崩れ落ちた。

そして声を上げて泣いた。


夜が明けるまで、ソフィの小さな体に顔を埋めていた。

眠った気もするし、一晩中泣いていたような気もした。

夢を見たような気もするし、ただ閉じた瞼の裏側を見つめていただけのような気もした。

「リナ、夜が明けるわ」

リナはその声に顔を上げた。

薄闇の中に、いつもの見慣れた森の風景が浮かび上がっていた。

身体がじっとりと濡れていた。

一晩中泣いたせいかも知れなかった。

少し暑かったので、汗もかいたかも知れない。

漏らした尿の臭いもした。

座り込んだ土からもまた、濡れた感触がした。

朝の濃密な空気もまた、湿気を帯びていた。

酷く喉が渇いた。

けれど、どうやって飲料を手に入れればよいかわからなかった。

手をついた地面から、枯れ葉交じりの土を掴んで目の前に持ってきた。

手の平に乗せた土の中に、蠢く昆虫を見つけてリナは慌ててそれを投げ捨てた。

そして立ち上がり、身体に着いた土を払った。

素足で踏みしめる土の下にも何かがいるかも知れないと想像し、気味が悪かった。

リナは足元を見ながらゆっくりと歩いた。

途中、張り出した木の根に足を取られて躓いたが、抱いたソフィを地面に落とさないよう、片手をついて体重を支えた。その手を見ると、血が滲んでいた。

振り返ると部屋が見えた。

昨日の夜までそこにいた。

もうそこには誰もいなかった。

温かく、清潔な場所だった。

もう戻ることはできない。

戻ることは……、できないのだろうか。

リナはそこからまた動けなくなった。

木の根元にしゃがみこみ、またソフィに顔を埋めて泣いた。

今度は恐怖ではなく、孤独、心細さを感じた。

どれくらいの時間がたったのかわからなかった。

けれど今度は確実に眠っていた。

空を見上げると木々の間に太陽が見えた。

酷く眩しかった。

部屋にいる時は、ガラスの調光があったせいで、太陽はそれほど眩しくはなかった。

けれど今、直接見るそれは、酷く眩しかった。

喉が渇いた。それに空腹だった。

朝食がまだだった。

けれどもう部屋には戻れない。

ジェネレーターに用意された朝食は食べることができない。

ジェネレーターの2994番だ。

リナはふと目を上げた。

部屋に気配を感じたからだ。

部屋からは十メートルほどしか離れていない。

部屋の中にターシャがいた。

動揺しているようだ。

動揺して、何かを探し回っている。

部屋に私がいないからだと思った。

部屋に私がいないから、探し回っているんだ。

そんなとこにはいない……。

私は……、私はここにいるの。

やがてターシャは森の中に座り込むリナを見つけた。

驚いた様子で、ゆっくりと、部屋の壁に歩み寄った。

両手をガラスの壁につき、じっと座り込むリナを見つめた。

その顔は、今にも泣き出しそうなほど悲しく見えた。

アンドロイドは泣くことはない。

目を潤す必要がないから、涙腺を持っていない。

けれど、リナはターシャが泣いているように見えた。

静かに涙を流しているように見えた。

「では、ターシャはいったい、どんな心を持っているのかしら」ソフィに尋ねたそんな無邪気な質問が、今は懐かしく感じられた。

「それは、ターシャにしかわからない」

リナはその答えがとても知りたかった。

今すぐターシャに尋ねてみたかった。

どうしてそうしなかったのだろう。

ターシャは今、きっと涙を流したいに違いない。

そう考えると、リナはターシャの心が乗り移ったように、またとめどなく涙を流した。

悲しかった。

悲しかった。

これがそうなんだ。

これが悲しいってことなんだ。

リナはそれ以上ターシャの顔を見ていられなかった。

自分は酷いことをした。

自分を責める気持ちでいっぱいだった。

リナは立ち上がり、ターシャの視界から逃げるように背中を向け、歩き出した。






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