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「それよりリナ、今日は何の日か覚えていますか?」ターシャは尋ねた。
「ええ、もちろん。今日は外へ出るのね。生まれて初めてだわ」外へ出ると言っても、部屋の外の森へ出るわけではない。研究施設に行くだけだ。
「これが二度目です。一度目は……」
「ええ、そうね。私は生まれた瞬間からここにいたわけじゃない。だから、ここに入る前に外にいたことになるわ」
「そういうことです」
「体を綺麗にするわ。少し待ってて」
「もちろんです」
リナは服を脱ぎ、部屋の片隅に行くと、ミストシャワーのスイッチを入れた。
体の汚れを落とすバクテリアの含まれた霧状のシャワーだ。
部屋の中は温度と湿度が適度に保たれ、リナの体温や発汗を感知して自動で調整されるので、体が汚れることはほとんどない。だから体を清潔に保つには、このミストシャワーを三日に一度浴びるだけで十分だった。
リナは両手両足を軽く広げ、目を閉じてミストが体を洗うのを待った。
一分ほどするとミストが止まり、今度はエブァポレイションライトが体表面の水分を蒸発させた。
それが終るとリナは何事もなかったようにベッドに戻り、新しい服を着た。
ベッドと言っても布団や枕があるわけではなく、重力調整によって体を浮かせることのできる装置だ。
グラビティコントロールベッドと呼ばれる。
リナは生まれた時からこのベッドで宙に浮いて眠りにつく。
戦争のあと生き残った人類は、新しく生まれてきた子供たちを隔離した。
戦争につかわれた細菌兵器のせいで、時間がたっても外気は汚染され、地上は住めるような場所ではなかった。
そして致死量には至らなかったものの、身体に入った細菌は消えることなく、何世代にもわたって子に引き継がれた。その結果、人間の平均寿命は十四歳となり、十八歳以上生きられる者は8%にも満たなかった。
生まれた子供たちはみな、細菌の症状を抑える治療を施された。その結果、平均寿命は十七歳にまで伸ばすことができたものの、逆に他の病気に対する免疫力が急激に下がり、子供たちは他の人間と生活することができなくなった。それは親でさえ、例外ではなかった。
リナは服を着ると時計を見た。
午前八時ちょうどだった。
「ターシャ、施設にはどうやって行くの?」
「ベッドを使います」
「これを?」リナはそう言ってベッドの上下に設置された重力コントロールの装置を見た。
「はい。簡単なワープ転送を行います。ワープの理論は反重力のそれとよく似ています。つまり、ベッドに使われている反重力装置が、そのままワープ転送の装置にも流用されます」
「そういうことね」
「ご理解いただけてなにより」
リナはふと思い出して、部屋の片隅に置かれた古くて小さな壊れたアンドロイドを手に取った。
「これも持っていくわ。もしかしたら、直してくれるかも知れない」
「ご自由に」
「で、どうすればいいの? いつものように、ベッドに横になればいいのかしら」
「姿勢は重要ではありませんが、それで大丈夫です」
そう言われてリナはベッドに横になった。
ふと横を見ると、メスの若い鹿が、大きな目で不安そうにリナを見つめていた。
「だいじょうぶよ? 少し出かけてくるわ」リナはそう言うと目を閉じた。
雨が降り出したようだ。
リナはその音を聞いた。