#008 『わん公、星海を照らし』
話を今現在に戻そう。
――結論から言うと、俺たちは空を飛べなかった。
俺は日々の記録を取る癖があったが、もう西暦何年の何時かなど、どうでも良くなっていた。
だいたい丸腰で〈犬〉となった今、それらを知るすべがない。
だから、今日がいつか?なんて数えるのは諦めたんだ。
当たり前といえばそうなんだが、勿論、あそこも丸出しだ。
もはや、恥ずかしがっている場合ではなかった。
「だって犬だし、仕方がないよな」そう思うようにした。
〈犬〉になったあれから、いつも常にギリギリだった。それはもう、限りなくアウト寄りのギリギリ。
もしかしたら、ここは死後の世界で、地獄だったりして、既にアウトなのかもしれない。
もし、「今度生まれ変わったら、私、犬になるんだ」なんて思ってる人が万が一居たら、考え直したほうがいい。
後学の為に教えておこう、人間の知能を持って犬になったら文字通り〈地獄〉だ。
普段使ってる手が自由に使えないというのは、きっと想像以上に不便極まりなく困る。
視点が低いのも思ったより不便だ。遠くが見渡せない。
というか、そもそも犬はあまり目が良くない。
何倍もの性能と言われる嗅覚で、匂いは確かによく分かるが、それから得られる情報には偏りがある。
100倍匂いがしようが、1000倍嗅ぎ取れようが、完全に視覚の替わりにはならず、万能ではない。
それが当たり前として生まれて、始めてフル活用出来るのだろう。
生まれつき目が見えない人が、他の五感が発達するアレと同じだ。
後天的に五感が絶たれると、なかなかそうはいかない。
それで、知識としては元々もっていたが、一番困ったのは〈犬は痛みや疲労に疎い〉。
「やっべ、これ死ぬんじゃね?」って痛みを感じたら、もうかなり危険だ。
人間なら、ほんの少し足を擦りむいたら染みるし、大騒ぎして消毒して絆創膏を貼ったりするけれど、犬はその程度では別段痛くも痒くもないし、気づかない。
めちゃくちゃ走ってこれ以上は無理!って人間なら思うところでも、犬の体だと〈まだいけるな〉と感じる。
わりと疲れても鍛錬を積んだマラソンランナーばりに体の疲労度とは関係なく限界ギリギリまで走れる。ある意味危ない。
しかも人間と違って短距離には強いが、犬はずっと長距離は走れない。
すぐ「ハァ、ハァ」としてしまう。息が続かないわけじゃなく、皮膚から熱を逃せないのだ。
それで何度死にかかったか。
しかし、俺が〈普通の犬と違う〉と思われる所があって、それは異常に〈回復〉が早い。
途中足に結構深い怪我をしていたが、数時間でもう完全に治っている。
その時激しく抜けた毛も、もう生えている。謎だ。
その辺を語りだすと長くなるから、もう少し気持ちに余裕ができてからにしよう。
俺は光に包まれて〈犬〉になった後、散々な目にあい、どこかも分からぬ場所から逃げ惑い、最終的に大空へダイブしたのだった。
今までの人生がまるでフラッシュバックして脳みそが焼き切れるのかと怖くなったし、空から落ちていく間、本気で今度こそ死ぬかと思った。
なんとか、まだ生きてはいるが。
ところで、俺の存在【造られし禁断の魔獣】とは何なのか?
あの飛行船は何だったのか?
ここは何処で、どういう世界なのか?
ウサギは何故「ピエン」と鳴くのか?
……ウサギはまぁ、どうでもいいか。
とにかく疑問は尽きない。不安だ。
経験上、情報が無く、知らないという事はとても危険で恐ろしい事である。
仕事だと重大なミスに繋がるし、過去に友人は、無知だったがゆえに儚くも命を落とした。
それくらい、情報とその知識の分析は大事なのだ。
記憶も錯乱してるし、わからない事だらけだったが、ひとつ、確実な事がある。
いやいや、今、過去振り返るのはよそう。
何しろ俺は今――
溺れかけているのだから。
「……ぶぁぐぅ! ハァ、ハァ。…………ハァ……んあ、チクショーーーーー!!」
大空へダイブした後、直下の海へ真っ逆さまに落ち、着水した。
それはとてもきれいな着水とはいえなかったが、上空から落下の割にはダメージも少なかった。
そして一度、海の深いところまで沈み、俺は死にものぐるいで海上に出たのだった。
「ハァ……やろう……バウムの嘘つきーーーー! ……ハァ、ハァ」
あいつに飛べるなんて言われなければ、あの上空から飛び降りる決断は出来なかっただろう。
危機が去った事で一気に怒りが込み上げてきた。
逃げ延びられたので結果オーライといえばそうなのだが、この後も事態はそう〈甘くなかった〉。
(あっ!そうだ!あいつウサギは!?)
そこには一緒に飛び降りたはずのウサギが居なかった。
まずいぞ、あのウサギ沈んだのか?
そもそもウサギって泳げるのか?
残念ながらウサギの事は詳しくない。
俺は兎に角あたりを見渡し探した……が、荒れてないにせよ常に波が押し寄せる海だ。
当然視界は悪い。
陸までどのくらいあるかわからない。
ぐずぐずしてると俺がバテて溺れる。非常にまずい状況だった。
(ああ、そうだ、この光!)
さっきまで全く無駄だった頭のちょうちんだが……
あれは逃げる前に時に聞いた話だ。
あの博識そうな梟が言うには、魔獣にはそれぞれ固有の特殊な能力があるらしい。
それで、その力が兵器として流用される予定だったのだが、俺に融合された通称〈深海の帝王〉と呼ばれる魔獣はその〈固有能力名〉を〈ラジアルレイ〉というらしい。
あの時、詳しい能力の話を聞く時間も、俺に聞く余裕も無かったが、たぶん、放射状の光とか星型の光?とか?そんな所だろう。
ようは、十中八九この頭のちょうちんの光の事だろうが。
まさに今、その〈光〉が必要とされていた。
「どこだーー! ウサギーー! うっぷっ、ああっ! 波が邪魔だ! チクショーーーーーー!」
とにかく俺は海面、海中を見える限り全力で探した。
(この明るさじゃ海の中まで見えない。こんなんじゃ駄目だ。光れ! 輝け! もっと輝けよ!)
「うぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーー!」
頭頂部の提灯先端はまるで、真夏の太陽が頭上にあるが如く、深く広い海を強烈な明かりで照らした。
【次回予告】
星海に沈みゆく黒い影、ウサギは溺れこのまま海の藻屑となってしまうのか。
「次回! ちょうちんわん公がゆく 第9話『絶体絶命の海』 今度も甘くないぜ」