#005 『わん公に出会う夜』
西暦2029年11月4日 午後9時03分
あれから、けっこう時間が経ったが、まだまだ流星は止みそうにない。
これがワープだとしたら、もう宇宙の果てを超えて別の宇宙とか平行世界に行っている頃だろう。
まぁ、光速は超えられないので、科学的にはありえないが。
冗談はさておき。
現状、どうなっているかというと、みんな疲れたのか歓声が落ち着き、新たなフェーズに移行していた。
願いだ。
みんな各々に夜空へ向かって星に願いを叫びだした。
はじめから叫んでる奴もいたが、もう煩くて訳が分からなかったからな。
それで、今やっとそれが〈疎ら〉になり、ちゃんと空に届いてるんじゃねーかなぁ?って程度になって、各々叫びだしたのである。
迷信を信じて律儀に3回叫んでる奴もいれば、念仏みたいにブツブツ呟いてる奴も居る。
俺は正直恥ずかしいから頭の中で強く思うだけで〈星空に叫ぶ〉なんて〈そんなハズい事するまい〉と思っていたが、こうなっては気が変わってくるというものだ。
どさくさに紛れて叫んでも、みんな自分達の事で精一杯で誰も聞いちゃいねーだろうし。いいかなー(俺も試しに願い言ってみちゃおっかなー)って事だ。
一応、大衆の前で大声を出すのは恥ずかしい事に変りはないから、周りに顔見知りが居ないかは確認しておく。
この無駄な羞恥心が〈パリピ〉とは明らかに違う、俺の小心者具合を如実に表している。
ん?見渡した時に気づいたのだが、すぐそこに居るのはあの時の柴犬だ。
見た感じどうやら首輪はついてないし、飼い主らしき人間もいない、野良犬だろうか。
(……犬か。こいつは何のしがらみもなく、自分の好きに生きてるんだろうな。いつでも気が向いたところへ行って、何のノルマも無いだろうし、お金に困ることも無いだろう。……自由そうでいいな)
そんな風に思った。
(つーか、東京で野良犬なんて珍しいな。しかもこんな公園で。普通、すぐ連れ出されるだろ)
気のせいか、犬も上を向いて星を見ているように見える。
犬でも星に願い事とかするんだろうか?なんてメルヘンな事を考える。
普段なら思いもよらない思考回路に非現実的な現状に影響されているのか、だいぶ頭がバグってきている気がする。
うっかりというか、無意識というかその〈犬〉に近づいて話しかけてしまった。
「おい、わん公。お前もボッチなのか? 人生甘くないのか?」
「クゥ!」
とくに噛み付くような危なそうな雰囲気もないようだし、犬は賢くて好きだし、とりあえず頭を撫でてみる。
(相変わらず超、尻尾ふってる……)
正直、話しかけてはみたものの、意思疎通はできていない気がする。でもまぁ、すごい懐いてるし、この時何か共感めいたものは感じていた――
★ ★ ★ ★ ★
西暦2029年11月4日 午後9時16分
しばらく時間を忘れて可愛い柴犬と戯れていた。
柴犬にしてはちょっと大きめな気もするが、白と灰色の綺麗な毛並みは野良犬にしておくには勿体ない。
「こいつ、オスか……」
ウィーン大学の認知生物学者、ミュラー博士らの研究結果では、犬においてもオスとメスで脳の考え方に違いがあるそうだ。これによって多少なりとも行動パターンに影響が出ると思われ、犬を扱う際にはこれらを踏まえた飼い方や物の教え方等、まだまだ分析の余地を残している。
犬種で行動パターンも違う。犬の情報サイトなんかでは、警察犬に代表されるドイツ原産の犬種シェパード等を引き合いに出し、日本の柴犬は頭が悪いなんて書かれることがあるが、これは誤解である。柴犬という犬種は主人の命令より自分の判断を優先する傾向があるというだけで、決して頭が悪いわけではない。ようは人間と同じで性格が違うのだ。
賢さに関しては個体差は当然あるが――
――こいつは目力も凄いし、その点で、賢そうではある。では、あるんだが……
(家のアパートはペット禁止だしなぁ)
……うーん。
でも、こんな綺麗な星空の下で出会ったなんて運命的だしなぁ。ロマンあるよなぁ……
いや、でもなぁー。お金ががなー。こいつ、犬全体でみれば小型の部類に入るんだろうけれども、室内犬にするにはちょっとデカいんだよなぁ。
「スン、スンスンスン……」
(めっちゃくちゃカバンの匂い嗅いでるし)
俺はカバンの中から買っておいた〈お菓子〉を取り出し、おもむろにそれを〈犬〉の前に差し出した。
封が開いていたとはいえ、さすが犬。余裕で食べ物の匂いを嗅ぎつけてくる。
周知の事実だが、犬は鼻がきく。一般的に人間の1億倍と言われている。一方視覚は弱く、色彩判別能力が低い。特に赤や緑はその差が正確には区別できず、認識出来ないのだ。
「ほら、俺の好物で非常食の無添加アーモンドだ。少しだけだぞ。太るからな……っコラ」
アーモンドは低GIでナッツの優秀なタンパク質、ビタミン類、適度な脂肪分。アーモンドは最強の携帯食料だ。
これは俺の持論である。
「ハゥ!ハゥハゥハゥ……ゴクリ」
こいつ、一瞬で全部ぺろりと食べやがった。
お前は賢いな。この世知辛く、甘くない世の中をちゃんと生きてゆく術を身につけている。
しかも、初対面の人間様の非常食を奪うとは、いい度胸をしてやがる。
俺の貴重な277円を名も知らぬ畜生に巻き上げられた形だ。
当然、犬を飼うとなると経費がかかる。散歩だとか、世話のために時間もある程度割かねばならない。
他にも匂いだとかさ、毛が落ちるとか色々あるわけよ。お金以外にも障害が。
ぬーん。しかし、こいつ可愛いし懐いてるし、そもそも俺犬好きだし、迷いどころである。
有り体に言うなら、ずっと撫でてたら動物愛が芽生えてきたってところか。
「……引っ越すか」
「ワン!」
「よし! 気に入った! お前はこれから、俺とずっと一緒だ」
この時俺は、今まで人生において迷走していた己の中の何かが変わったような気がした。
きっと、俺は今、何かが変わったのだと。
……ん?
「う? え? まさか、お前ここでするの? トイレ?」
(わさわさわさ……)
「いや、いや、いや、まじか! 公園のど真ん中だぞここ。お前、あっ畜生! っまじかよ……」
目頭を抑え、ため息をつく。
……やっぱり、気のせいかもしれない。