#001 『犬も飛べるはず』
星屑の降る夜、俺は〈犬〉になった――
西暦2029年11月5日
俺が〈犬〉になってから一日が経った。
その日、不思議な少女は言った「星の輝きには、その全てに願いが込められている」のだと。
もしそれが本当なら、この宇宙に星々が無限に存在するのも、輝きを失い願い叶わぬ星があるのも、願いを叶えその役目を果たして消えゆく星も、新たに星が生まれてくることも、全部納得がゆく。
ただひとつだけ納得がいかないのは……
――俺の頭上に輝くその星は『願いを誤解』していた――
★ ★ ★ ★ ★
白と灰色が入り交じる毛並みと、体型から見て、おそらく今の俺は柴犬だ。
……鏡も無いし己の全身は確認できないが、既視感があった。
だが、それはこの際、些末な事である。
一体何があったのか?
それは、俺が一番知りたい。
〈犬〉になった事に気づいた当初はかなり錯乱したが、今は少し落ち着いた。
なので、状況を整理しようと思う。
〈犬〉となり、どこか未知の場所へ来てしてしまった俺は、その後も数奇な運命に翻弄され続けた。
そこは地球のような近代的雰囲気を漂わせながらも……ふぅー……んーなんだ?
どう表現したらよいか……。
……そうだな。
俺の分析結果で分かる範囲だと、こうだ。
ここはどこか、バグっているゲームのような感じで、兎に角、普通ではなかった。
もちろん、出来ることは色々試したよ。
指で頬を抓ろうとしたが、そこに指はなく爪と肉球しか無かったんだ。
出鼻は挫かれ、鼻は視界にハッキリ見えるほど出ていた。
あー、と声を発してみようとしたら、まず、あ行がちゃんと言えない。
由々しき事態だ。
声帯的な問題なのか〈う〉とか〈お〉は濁音付きだが、比較的出しやすい。
今はどういう訳か言葉が喋れるが、昨日の時点では喋れなかった。
タイミング的にみて、もしかしたら頭のちょうちんと関係があるのかもしれない。
謎だ。
どうやらこれは夢ではないし、単に幻を見ているという訳でもなさそうだ。
犬の体のせいなのか、この世界の物理法則の違いか分からないが、地球より重力が少ない気がする。
仕事で疲れすぎて脳みその方がバグってる説も考えたが、ただでさえ〈変人〉なのに上位職の〈廃人〉にランクアップしたんじゃあないと信じたい所だ。
ここへ来た時、何があったのか具体的に見たままを話すと、その辺に白い軍服のようなものを着た怖い人が徘徊する、殺伐かつ異様、何故か籠の中の鳥が喋ったりしている。
それはある種、童話で読んだようなメルヘンな世界だった。
そんな世界で俺はこの世界の凶悪な化け物〈魔獣〉を人間と合成して生物兵器とする悪魔のような人体実験に巻き込まれてしまい【造られし禁断の魔獣】の一体にされてしまう。
これは全部、昨日出会った籠の中にいた偉そうな鳥から聞いた話だ。
にわかには信じがたい。
俺がその時の事ではっきり覚えているのは、全面が灰色タイル張りの殺風景な部屋で、あの化け物はゆうに二十メートルはあろうかと思う……。
……思い出すだけで、色々キツイ――。
あの時の事ではっきり覚えているのは、気持ち悪い〈巨大な深海魚みたいな化け物〉とご対面した事だけだ。
で、そいつがこの世界では忌み嫌われる〈魔獣〉で、俺と融合し【造られし禁断の魔獣】が完成したのだと、梟と覚しき鳥の彼は言う。
しかも、その人体実験は想定外らしく、俺は製造予定に無かった13番目の〈魔獣〉らしい。
実験だとか何番目だとか、個人的にはソコらへんはどうでもいい話だ。
とにかく元に戻してほしい。
これはいくら何でも、不幸にも程があるだろう。
前々から人生は甘くないとは思っていたけれども、俺の人生がここまで残念無念だとは思わなかった。
クローン技術でさえ、俺の世界の感覚では倫理的によろしくない筈だが、この世界ではそれ以上にありえないことが平然と行われている。
自分の身に起こった事実を知り、それはもう憤慨するしかなかった。
どうせ出られないであろう狭い部屋の中で、慣れない犬の体で暴れつくした。
3数時間くらい経ったか――それくらいずっと暴れ、疲れた後、ここまでの己の人生を振り返って物思いに耽ってみた。
辛い思いをする事を『苦汁を舐める』なんて言葉で表現するけれど、例えるなら、もはや濃縮苦汁100%ジュースをガブ飲みだ。
このままでは精神的ストレスで死んでしまう。
おれの人生は無意味だったのか。
それは嫌すぎる。
何の名誉も誇りもない無意味な死を〈犬死に〉と言う。
これでは文字通り〈犬死に〉だ。
死ぬ間際に見れるという走馬灯が、生きたまま俺の頭を巡る。
そこそこ勉強して良い大学を出たよ。万年ボッチだったけど。
史上最強の就職氷河期とか言われながら、それでもなんとか会社に就職して、毎日、毎日、残業して働いてさ。
今年は特に物理的にも、懐も、心も、全て寒くて凍え死ぬかと思ったよ。
少ない給料で奨学金を返したり、切り詰めてゲーム買って、睡眠時間を削って遊んだりもしたけど、歳を重ねるにつれて、なんか純粋に楽しめなくなってきて……。
このままじゃ駄目な気がして、また勉強しなおしてかなり頑張った。
資格も取ったし、筋トレもした。
それでも、社会では全然評価されないし、今年で27歳、5年間給料もミジンコ程も増えない。
かといって、リスクを取って独立するほどの度胸も、ないときた。
まさか、俺の不足しているコミュニケーション能力が、社会に出てここまで足を引っ張るとは。
何が悪かったのか、自己分析してみて解決方法を探る日々。
さぁ、ここからどうするか!? って時にさ。
気がつけば〈犬〉だよ。
唯一の救いは、客観的には可愛いわんこである事だけ。
つまり、昨日不本意にも俺は、頭に輝くちょうちんの付いた〈光る犬〉となったんだ――
★ ★ ★ ★ ★
――それでだ。
問題は、今現在の状況だ。
〈犬〉になった時点で、既にどん底だと思われたあの状態から、今はもっと悪化している。
「ピエーーーーーーーン!!」
俺は今、全力で疾走する変な鳴き声の兎を追いかけている。それは鳴き声と額に赤い宝石が埋まっている事以外はいたって普通のウサギに見える。
そして、同時に後ろから追ってくる白い服の軍人らしい強そうな兄ちゃん達に追われ、それらから逃げるため全力で四肢で走っているのである。
場所は巨大な飛行船の中、目指しているのはどこか外へ繋がる出口である。
「ウム。もっと急げ、わん公!」
真後ろでそう言って、急かすのは〈喋る梟〉のバウムだ。
正確には〈みみずく〉らしいが、俺にとってはどっちでも同じだ。相手は俺を〈わん公〉と呼ぶのでコッチも〈鳥〉でいい気もする。
俺たちに共通点はなく、全然違う種に思えるが、彼もまた造られた〈魔獣〉で、そういう意味では同類という事になる。前の変な鳴き声の兎もそうだ、どう見てもとても人間に害をなすようには思えないが、〈魔獣〉なのだそうだ。
要するに俺たち3匹は、人体実験後の軍の施設から命を賭けた脱走中なのだ。
捕まったらどうなるかは、考えたくもない。
いつの間にか足に翡翠色の腕輪ようなもの、後ろ足に付いているから脚輪(足枷?)か。とにかく何か付いているが、今気にしている場合ではない。
「ピエ、ピエ、ピエ、ピエーーーーーーン!!」
「ウム。さっきから煩いぞ、ウサギよ。黙って走れ。そもそも高位の魔獣なら飛べるだろう。あとわん公もちんたら走ってないで早く飛ぶのだ。ほら、アソコから上へ行けるぞ」
バウムはそう言って、あれこれ指示を出し、俺には今やっと見えた昇り階段の方を、少し前から進むべき道を知っていたかのように見つめていた。
だいたい、バウムは梟だ。そりゃ飛べるだろうさ。
「無茶言うなよバウム。お前には立派な翼があるだろう、不公平だ。俺には、ちょうちんしか無い」
「ウム。じゃあ、ちょうちんを使って飛べば良いではないか」
(あ……こいつ多分話していると議論にならず、疲れるタイプだ)
この御仁、きっと歳上なんだろうが、俺が何も知らないのを良い事にさっきから無理難題を言う。俺も基本、大概冷静で常に最適解を探すタイプだが、この鳥はそれ以上に冷徹で、常識的な答えを裏切り、破壊してくる。
しかし、この梟が現在一番情報を持っており、そこにおいては彼に頼るしか無い、歯がゆい存在なのである。
(よし、適当に話は流して、とりあえずここは逃げに専念しよう)
ただ、逃げる上で助かっているのは、俺たち〈魔獣〉は人間時と比べてかなり素早く、強靭だった。この飛行船という限りある空間でどれ程のアドバンテージがあるか不明だが、現状、おかげでなんとか逃げ仰せている。
見えた階段を昇ると、通路は二手に分かれていた。
ひたすら突っ走っていた兎も流石に一旦止まって、その場で跳ねて戸惑っている。
「出口はどっちだ。どうする? バウム」
「ウム。いいか、よく聞けわん公よ」
「なんだよ」
梟はその大きな目を見開き、神妙な面持ちでこちらを見つめ、語りだした。
「ウム、まぁ聞け。私の願いは己の研究結果が人々の役に立つ事だ。それをこの目で見るまでは死ねないのだ。こんな姿になってしまったが、一研究者としてこの願いは最後まで諦めない!」
(……研究結果? 研究者? 元々は科学者なのか)俺はこの時、色々疑問が浮かんだが、その気迫を前に水を差すのも無粋なので、あえて口は挟まなかった。
「ウム! 見えた……決めたぞ。わん公、お前とウサギは右で、私は左へ行く。理由は聞くな。悠長に説明している時間はない」
俺にはそれが、一体どういう事か分からなかったが、何か知っていて策があるのだろう。
そういう自信のある言葉だった。
こんな誰を信用して良いのかも分からない世界だが、彼の純粋な願いが嘘だとは思えなかった事もあり、素直に頷いて言うとおりにしたのだった。
「わかったバウム。……死ぬなよ」
「ウム、お前もな。わん公。ウサギもな」
「ピエーン」
そうして、俺たちは左右二手に分かれた。
道なりに進むと、出口の先に青々とした空が見え、バウムが何か知っていたであろう事は確信に変わった。
「外だ!」
「ピエ!」
右の道はそのまま、飛行船頂上の甲板部分に出ることが出来た。
何日か前に見たはずの空が、久しぶりに見たように感じる。
死ぬかもしれないこんなに切迫した状況だというのに、強く当たる風も心地よく、なぜか、あれ程に鬱積した心も晴れやかになった。
だが、感傷に浸っている場合ではない。次の手を何か考えなくては。
(この飛行船、てっきり気球型だと思ってたけど、違うのか。浮力源は? どういう科学力してんだよ。)
ここが最上部という事は、大量の軽い気体で浮かせているのでは無いと言う事である。
こんな金属ばかりの高密度物体が飛べるなんて、地球の科学力では考えにくい。
何なんだこの世界は。
そして飛行船は予想以上に大きく甲板も広い。
(もし、パラシュート的な物、それかグライダーでもあれば……)
「ウサギ! お前も何か無いか探すんだ」
「ピエェー」
……すぐ追いつくはずの追手が来ない。きっとあの梟、バウムの方へ行ったんだ。
甲板の端まで走り、恐る恐る下を見ようとしたがよく見えない。
しかし、まわりに広がる密度の薄い雲の感じと、風の強さから分析して下は海か。
「畜生! 何もないぞ!」
必死で走り回り探したが、脱出できるような道具や機械類は何も見当たらなかった。
もっとも、何かあったとして犬の体でまともに扱えるかも怪しいが。
「おい! 見つけたぞ! 光る犬め、観念しろ!」
頭の常に鈍く光るちょうちんは、逃げるために必要な隠密性を著しく阻害する。
やばい、時間をかけすぎたか。
見覚えのあるごついガタイの軍人がついにここまで来てしまった。
「うさぎー! コッチへ来いー!」
「ピ、ピエーン!」
俺はこの段階である程度取るべき手段が固まっていて、とっさに兎を呼びつけた。
雲が近いって事はそこまで高度も無いはずだ――
――のはずだが、出来るならば取りたくない手段だった。
しかし、もう後がない。
いつか映画で見た知識だけだが、やるしかないようだ。
憧れはしたが、まさか自分でやる日が来るとは思わなかったよ。
映画とアニメ以外、理論的に助かる確率は皆無のあの脱出を。
「おい、おい、おい、おい逃げるな、おい! 撃つぞ!」
白服の軍人が何かを構えて警告してくる。
(マジかよ!? 銃的なやつがあるのか!? 今まで使ってこなかったじゃねーかよ!)
ピンチだ。飛び降りられそうな縁まで少し距離がある。
走って追ってくる分には間に合うが、飛び道具はまずい。
ウサギは自分で泣いて出た多量の涙で滑って転んでいる。もうだめだ。
その時、鈍い爆発音と船体を揺らす大きな衝撃が走った。
よく見ると既に何やら、下の至る所から黒い煙も上がってきている。
「ビトーーーーー!」
その時、下で怪我をしたのか、血まみれのバウムが白服の軍人の顔に覆いかぶさるように飛びかかった。大きく広げた鳥の翼が完全に軍人の視界を奪い、もみ合っている。
それにより、銃らしき物が床に落ちて、デッキを濡らすウサギの涙が潤滑油となり、回転しながら離れていく。
「ぐっ!? アルバート博士っ! おい、くそっ! まだ動けたのか」
「ウム。ビトー! お前の思い通りにはさせんよ」
「ちぃっ! おいおい、参ったな。往生際が悪い! 博士っ! そんなお姿になってまで、今更何をやろうというのかっ!」
「ウム、ウムッ! ビトー、命の価値が分からぬお前に、それを知る権利はないのだっ!」
何やら話し合い、揉めているが、危機的状況に変わりはない。
そうこうしている内に、稲妻のような轟音とともにバウムが床に叩きつけられ、デッキに鳥の体躯から見たこともない量の赤い血しぶきが舞い散る。
間違いなく軍人は次にこっちを標的に来るだろう。
俺たち〈魔獣〉か何か知らないが、あのビトーとかいう奴、正直あんな服の上からでも分かるムキムキマッチョと戦っても、とても勝てる気がしない。
「わん公ーーーーーーー! ゆけぇーーーーーーーーーー!」
まるで断末魔の叫びのような、バウムの声と共にビトーはこちらへ走ってくる。
(……トクン……トクン)
自分の心音を感じる。
体感時間がゆっくりとなる、あれだ、まるでスローモーションだ。
いつか見たアニメのような、あの現象を体感できた。
さらに段々と胸が高なり、ドキドキが止まらない。
甲板上の風の音さえ凌駕する、小さくも強い心臓の鼓動が聞こえてくるようだ。
常に安パイを望み、臆病で公営ギャンブルさえやらない俺が、人生初の賭けに出ようとしている。
沈みゆく船、迫る死の恐怖、無意味に光るちょうちん。
冷静な判断を欠くには十分な要素が揃っていた。
(バウム。高位の魔獣は飛べるんだったな……信じるぞ!!)
「立てるか、うさぎ。飛び下りるぞ、覚悟を決めろ!」
「ピ!? ピエ、ピエェェ!?」
転んだウサギの首元を咥えて、甲板ガード下の隙間を抜け、雲の見える方角へ無心で走る。
「ピエーーーーーーーーーーン!!」
俺達は、黒煙を吐き出し激しく燃えゆく飛行船から、先があるやも分からぬ〈未知の世界〉へ飛び出した――
少しでも拙作が『面白い』『続きが気になる』と思われましたなら、
⇩のブックマーク【☆☆☆☆☆】を選んで応援頂けると執筆の励みとなります。