#018 『幻想の海』
地球で一番深いマリアナ海溝の底まで10,911mあると言う。
静かな海に沈みゆく中で、この世界の海はどれくらい深いんだろうとか呑気な事を考えていた。
俺はこの状況で変に落ち着いている自分自身に驚いていた。
これがあの、死んでしまった後の状態と言われる無我の境地というやつだろうか。
俺はもう海の藻屑となり、既に死んでしまったんだろうか。
海の藻屑で思い出した。
海の話で好きなSF小説がある。
有名なジュール・ヴェルヌの小説『海底二万里』
このまま沈んでゆけば、あの潜水艦ノーチラス号のように俺は海底を漂い旅するのだろう。
途中でさっきのサメとかクラーケンに食べられるかもしれない。
潜水艦じゃなくて海に漂う犬だしな。
……なにそれウケる。
海を2万マイルも旅できないかもしれない。
よくよく考えたら俺は海底に沈んだ『アトランティス大陸』発見なんて目じゃない体験をしている。
どうやらここは地球とは違う惑星。
別世界『ルビアレス』その海を悠然と漂っているのだから。
別に苦しくはない。
既に死んでるなら当然か。
いや、違うわ。
俺、なぜか水中で呼吸できてたわ。
サメとの戦いの時も。
じゃあ何か?
俺は光る犬として、『チョウチンアンコウ』ならぬ、『ちょうちんわん公』として海底を漂うことになるのか?
――そんな事を考えていた。
意識を失いかけて、半分夢でも見ているような状態だったのだろう。
はっ、として正気を取り戻すと、俺の眼前には上から日の光が差し込んで煌めく星の海が見えた。
ちょっと前、トラベラーから聞いた。
この海は『星海』と呼ばれていると。
日本の海とはまるで違う、透き通った海の中の景色が広がっていた。
眼下には生きた海藻が伸びて、その底には珊瑚礁も見える。
あと、ヒトデかと思ったが変なのが居る。
浜辺に転がっていた星型の貝殻。
あれの生きている奴が殻の隙間から軟体を出し、ゆっくりと海底を動いている。
遠くを泳ぐ小さな魚もいるのがわかる。
それくらいここの海水は透き通っていた。
上から差し込む光を浴びていたら、ちょっとだけ元気になってきた気がする。
(海ってこんなだっけ?)
少なくとも俺の知っている海とは違う。
よく見ると小魚もみんな地球のと違って赤や黄色と発色も良く、鮮やかだ。
地球でも熱帯魚とかは、こういうカラフルなやつ多いよな……
色味の主張が強すぎて、美味しそうには見えないが。
珊瑚は光合成で気泡に包まれ、その周りには浜辺から居なくなった沢山のカニも戯れている。
海の底から上がってくる大小の丸い気体の塊も、上から差し込む光を反射して煌めいていた。
たぶん、日本の沖縄のサンゴ礁をスキューバーダイビングしても見れないであろう幻想的で理想郷のような世界が広がっていた。
ちょうちんわん公はそんな幻想のような海を泳いでゆく。
(すげー!)
それしか感想が出なかった。
俺の語彙力不足か、いや、この景色を一言で表す言葉は無いと思われる。
自分にエラとかは付いていないけど、もうずっと普通に水中で活動できている。
結構、海の深いところまで沈んだけど、水圧の影響もない。
きっと、あの(チョウチンアンコウの化け物)と融合したことで水中に適応する能力があるんだろう。
ノーチラス号ではなくとも、潜水艦ばりに自由に海を動けている。
(サメに襲われた時は、こんなに周りの景色を見る余裕無かったからなぁ)
犬かきで手をわしゃわしゃ掻いて泳いで、時には海底を歩いて。
(……どこまでゆけるんだろう)
この景色を、世界を、どこまでもゆっくりと。
思えば、俺は数日前まで仕事ばっかりの日々だった。
たまの休日も仕事のための準備だったり、情報収集だったり、余裕がなかったよな。
旅行とか行って息抜きできれば、あんなにストレスをためて生きていかなくても良かったのかもしれない。
俺に足りなかったのはコレだ。
どこへもいける、どこまでもゆける。
(自由だ! 今の俺は自由なんだ!)
素晴らしい海底の景色に心も洗われて、そんな風に思っていました。
この時、幾つかの重大な問題も忘れてしまっていて、すっかりと旅行気分に浸っていた――
★ ★ ★ ★ ★
人間の頭は案外、便利に出来ている。
『正常性バイアス』
自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう特性がある。
人間の脳があみ出した心が疲弊してしまわないように生きるためのシステムなのだ。
俺がこの犬の状態に陥っても、異常な事態に直面してもパニックを起こして動けなくならないのは、きっとコレのせいであろう。
とんでもない問題が山積みでも、前向きに生きられる正常性バイアス。
これが俺の脳にも発動していたんだ。
「アポーツ! はわ! アポーーーツ! あ!」
(今度なんだ? どうした!?)
俺はまた、いきなり浜辺に打ち上げられていた。
どうやら〈ティピカ〉とかいうあの〈ポラリスの魔女〉に海底から魔法で呼び戻されたようだ。
「はわーーー。やっと上手くいったでしょうよー」
(やっと、ってどういう事だ?)
そう思ったが、周りを見てある程度事態は察した。
すぐ隣に全長20~30mはあろうかという巨大なイカ?みたいなやつが鎮座している。
(海の中にこんな化け物いるのかよ……)
きっとこの巨大イカも、こいつのアポーツとかいう転送魔法の被害者だろう。
「はわー。さっきはうまくいって、ユウレイもしゅぱーっと飛ばせたのになぁ。今日は調子が悪いでしょうよー」
(調子とかそんなんで転送の内容適当になるのか? あの魔法。危なすぎるだろ)
他にも、さっきまで無かった樽とか大きな鐘?とか色々ガラクタが浜辺に転がっている。
ひどい有様だ。
それしてもこのイカ。死んでるのか?全然動いてない。
いや、動き回られても困るのだが。
その時、目がギョロっと見開いてコッチを見られた。
(うひーー! まただよ。こんなんばっかりだよ)
一難去ってまた一難。
これほど今の状態がしっくり来る言葉がある事に驚きを禁じえない。
ついさっきまで俺は自由だとか思っちゃってたが、あれは壮大なる勘違いとまやかしであった。
星海の幻想に惑わされ、今は動乱の真っ只中なのをすっかり忘れていただけだったのだ――
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