#012 『トラベラー』
――『犬も歩けば棒に当たる』
有名な慣用句だ。
動けば災難にあったり、また幸運が訪れたりもする。
逆に行動を起こさないと「経験や機会を失いますよ」という戒めを込めて使われたりもする。
――が、あれは嘘だ。
当の〈犬〉にとっては少し事情が違う。
自力で生きている犬で歩かない奴などいない。
〈歩けば〉なんて前提がそもそも間違っているのだ。
本当はこうだ。〈犬は棒に当たる〉
生ある限り、望もうが、そうでなかろうが、災難も幸運もいずれ必ずやって来る。
自然界においては行動を起こさないイコール〈死〉を待つのみである。
本当は人間もそうなんじゃないのか。
気づいていないだけで。
そして今、俺の頭上にはその〈棒〉が剛直に立っていた。
何もない空中に立つ〈黒服の人間〉という、この不自然極まりないこの状態。
あれが災難なのか幸運なのか。
しっかりと見極めて行動しなければ、俺のゆく先はなくなってしまう。
(……来るか!?)
「おーーーーーーい! レイトくーーん!」
(なんだ!? こいつなんで俺の名前を知っているんだ? 誰なんだ?)
黒い紳士はこちらへ向かって、まるで階段でも下りるかのように悠然と闊歩しながら下りてくる。
誰だか知らんが、不気味すぎる。
一瞬逃げようかとも考えたが、どうやらこの男、敵意はなさそうだ。
「いやはや、やっと会えたよ。レイト君」
黒服スーツでパイプをくわえた、どこかで見たことがあるような男性が俺の目の前にゆっくりと降り立った。
見た目どおり、非常に渋くダンディーな低音の声をしている。
「えと……どちら様でしょうか?」
「あああーーいやはや、そうだった、そうだった。レイト君にとっては初対面だったな」
(どういうこと!?)
「いやはや、これは失礼。では、自己紹介からといこうかな」
初対面だが見覚えのある紳士は突然俺の前に現れて、突然語りだした。
「始めまして私は〈ジョージ・デミタス〉と言う。皆はよく〈トラベラー〉と呼ぶがね」
「トラベラー?」
「いやー。端的に言うと私はタイムトラベラーなのだよ」
(……まじかよ)
そんなインチキじみた能力者が空を歩いて移動する世界に、俺は迷い込んでしまったというのか。
「いやはや、すまんすまん。いきなりこんな事言われて驚くのも無理はない。私も自分の力を理解するのに何年もかかったからね」
「どういう事なんだ?」
「いやはや、実は今日はレイト君。きみに謝罪に来たのだよ」
「謝罪?」
これは、ますます意味がわからない。
この男、歳は60前後くらいか?それでいて、体はシッカリと筋が伸びており品がある。
物腰の落ち着きようや、身なりからしてかなりデキる男感が漂っているが、そんな男が俺に謝罪をしたいと言いだした。
しかも、相手はタイムトラベラー。
一方、謝罪される俺は原因不明で異世界に迷い込んだ〈犬〉だ。
当然、何のこっちゃさっぱり分からん。
「そう、謝罪だ。許してくれレイト君。君の運命を変えてしまった事を。私に出来ることは何でもしよう。だから、この通り頭を下げに来た。本当にすまなかった!」
そう言って老齢の男は持っていたパイプを上着の内ポケットにしまい、腰をキッチリ90度に折り曲げ深々と頭を下げたのだった。
「……ちょ、ちょっと待ってくれ。全然意味がわからないから」
相手はこちらを知っている、こっちは相手を知らない。これでは無論、話が噛み合うはずもない。
「いやはや、それは、わかっている。説明はキッチリする! だが、今は謝らせてくれ」
そう言って自らを〈トラベラー〉と称する男は尚も頭を下げ続けた。
★ ★ ★ ★ ★
「ちょっと、いいから。何か知っているなら教えてくれよ」
涙を流し、ひたすら謝罪する老齢の男は、明らかにこの状況になった何かを知っている。
俺の運命がどうの……とか言っていたが、話を聞かないことには進まない。
「いやはや、そうだったな……しかし、どこから話せばよいやら」
トラベラーはそれから俺の知らない、知る由もない事を話しだした。
「まず、私の能力、旅行者で今からだと未来にあたる時間で、私は君に間接的に干渉した」
「未来で干渉? 俺が〈犬〉になったのは昨日だぞ?」
「いやはや、これは難しい話になるのだが、この世界での未来は君の世界、星での時間、〈宇宙時間〉とでも言えばいいかな。とにかく時空の流れにズレがあった。君のいた場所の今は、この世界の未来だったのだ」
「いや、さっぱり分からん」
時間と空間に関する科学にはそこそこ理解のある俺だが、何のことか全然わからない。
もうここで起こる出来事は、俺の知る常識に当てはめない方が良いのかもしれない。
「いやはや、未来のレイト君とも結構話をしたのだがね。君は頭がいい。そのうち分かることもあるだろう」
「んーそれで、俺に何が起こってるんだ?」
「私が君の世界の事象に干渉した時、〈ポラリスの魔女〉が介入したのだ」
「ポラリスの魔女?」
また知らない言葉が出てきたぞ。
タイムトラベラーの爺さん、これ以上謎を増やさないでくれ。頼む。
「いやはや、ポラリスの魔女は〈アポーツ〉という稀少でとても強力な魔法を使う魔女だ」
「アポーツ? 物体を引き寄せるやつ?」
「そうだ。いやはや、話が早くて助かるよ。だが、彼女の〈アポーツ〉は規模が桁外れだ。あらゆる物、空間、事象、願望、運、この世に存在しない物でさえ、物理法則を捻じ曲げて引き寄せたり、またそれらを別の場所へ移動転移させられる。次元を超えてな」
(チートすぎるだろ。その魔法)
「つまり、俺はあんたのせいで、その〈とんでも魔法〉に巻き込まれたと」
「いやはや、そう……なのだ。本当ーにすまない。飛び回って調べたが実は他にも、色々偶然が重なってな。事態は複雑なのだ。そして、その中心にレイト君、キミがいるのだよ」
俺が中心?
それ、おかしくないか?
「チョット待ってくれよ。俺はつい、さっきまで死にかけてたんだぞ。中心どころか、そんな大それた話に全然関係ないだろう? だいたい、あんたタイムトラベラーならさ、もう一回未来に行って何とかしてくれよ!」
「……いやはや、残念ながら、そう簡単ではないのだよ」
「何でだよ」
「いやはや、私はタイムパラドックスの関係で己の能力が完全には制御できない。いわゆる暴走状態にあるのだよ」
タイムパラドックス……あれか、時間的逆説で矛盾が生じて因果関係の不一致が起こるというやつか。
漫画や映画でよくある話だと、矛盾を回避するために平行世界が増える、だとか無理やり補正されて元に戻ろうとする力が働き最終的な結果は変わらないとか、時空が歪んで、何かしら消滅したり不測の事態が起こるとかそんなやつだ。
「タイムパラドクスとやらで何が起こるんだ?」
「いやはや、私にすら、この後どうなるか分からない。確かなのは、私の能力が時間に対して干渉する事にブレーキがかかっている。私は所詮、因果律の外には出きれなかったという事か」
「じゃあ、どうするんだよコレ。俺は元に戻れるのか? 光るしか能のない犬の俺はどうしたらいいんだよ」
「いやはや、未来で見てきたが、レイト君。キミは〈特別〉だ。キミは〈因果律〉の外にいるのだよ」
「……なんだって?」
★ ★ ★ ★ ★
――因果律
それは、「結果と原因の関係」と「何事にも原因があるとする原理」の事である。
先程のタイムトラベルに照らし合わせると、物事の結果は決まっており、それには原因があって起こる。
彼が因果律の範疇の中だとすると、俺の運命に干渉した事もただの原因のひとつで決まっていたこと。
原因も何もない所から結果は生まれない。
そういう話なのである。
トラベラーは俺が因果律の外にいると言う。
それは、俺が「結果と原因の関係」の外に居て、一言で説明するならば、と彼はこう言った――
――俺は未来を変えられる〈特別な犬〉なのだと。
【次回予告】
自らをタイムトラベラーと称する謎の男に遭遇、彼から多くの情報を得る事となる。
そして、その彼から俺が〈特別な存在〉である事を知らされ困惑するのだった。
「次回! ちょうちんわん公がゆく 第13話『兎の正体』 今度も甘くないぜ」




