#010 『泣き虫ウサギの力』
「畜生! 畜生! くそっ! やってみろよ! そんなにこのちょうちんが珍しいかよ! 見てないでかかって来いよ! このサメ野郎が!」
イキがって声を出してみるも、内心ビビリまくっている俺がいた。
傑作映画の〈ジョーズ〉を見たことがあるが、恐怖の度合いがあんなものではない。
仮に実際に海に浮かんでVRゴーグル付けて見たとしても、この恐怖は再現できないだろう。
例えるなら、チビって体の水分全部抜けて海の水の量が増える勢いだ。
気を失えるのならその方が楽かもしれない。
一瞬とはいえ、意識のないウサギが羨ましくなった。
我ながら情けないメンタルだ。
(……もう一回光ってみるか!?)
頭のちょうちんに力を込めたが、あの時のようにはいかない。
(……駄目だ)
あれは案外体力を使うのか、精神的にもキツイが体の疲労も凄まじい。
ふたたび太陽の如く光る作戦は泡と消えた。
絶望の底かと思われた矢先それは起きた。
「ピエ!?」
(ウサギ! このタイミングで意識が戻ったのか、今は最悪だぞ)
本当に最悪のタイミングだ。
無事で意識が戻ったのは良かったが、今はまずい。比喩としてはこれから安楽死の為に麻酔で寝ていたのに、執行直前に意識が戻ったようなもんだ。
これ以上に最悪の寝覚めはないと思われる。
「ピエ、ピエエ、ピエエエーーーーーーーーーーン!!」
うさぎは辺りを見るやいなや、この異様な状況を察したのか案の定、例のごとく泣きわめいた。
(ああ、いわんこっちゃない)
さらなる勢いでウサギは鳴き声をあげ、絶望の海が泣き虫ウサギのさざめきで覆われる。
――その時だった。
「ピエーーーーーーーーーーーーー!!」
突如、ウサギの額に埋まっている赤い宝石が輝き出し、空にに一筋の赤い光が放たれる。
そしてウサギの鳴き声と共にその小さな体からは想像もつかない凄まじい衝撃波を放ち、押し寄せる波を放射状に広げ押し退けたのだ。
(……!? これは!? もしや、超音波!?)
俺の予想が正しければウサギはその〈魔獣〉本来の力を発揮し、謎の鳴き声と超音波を尚も発し続けた。
その内なる悲しみを解き放つような耳をつんざく高音と衝撃波は、サメの接近を強烈に拒み、俺たちを餌として寄ってきていたはずの食欲を喪失させた。
サメは実は音にも敏感である。
以前、海でサメに襲われた際の対策として、水中で大声を出して威嚇し、追い払ったという事例がある。
人が発する音で威嚇できるのなら、あの高音域の音波をモロに受けては、サメとて〈ひとたまり〉もないだろう。
俺の鼓膜も破れるかと思ったぞ。
(サメが全部退いていく……)
(助かった……のか?)
そして、鳴り止まなぬ恐怖と絶望の海に静寂が戻った。
「ピエーーーーン! ピエーーーーーーン!」
いや、違うな。静けさは戻ってはいなかった。
「もういいウサギ! サメは全部行ったよ、大丈夫、もう大丈夫だ」
そう言い聞かせると、少ししてウサギも落ち着きを取り戻し、泣き止んだのだった――
★ ★ ★ ★ ★
「呼吸できるか?、つーか、泳げるのか?お前」
「……ピエ」
どうやら、ウサギは泳ぐというより、体型に恵まれ、なんとか海にぷかりと浮いているといった感じだった。
恐怖と絶望の海に本当の静寂が戻り、やっと一息つける。
ひとまず、弱肉強食の敗者として今すぐ海の藻屑となる事は避けられたのだった。
こんな異常な世界まで来て、食物連鎖の下層に組み込まれたくはない。
元来人間だった俺には、何か生き物を食べ、自分もまた食べられる可能性のある食物連鎖の意識は薄い。
仮に人間の姿であったとしても、海でより大きな肉食獣に襲われて餌となり食べられる事は、現代の地球でもそこは同じであろう。
自然界では常にまわりは敵だらけであり、死の危険と隣り合わせという〈常識〉を忘れていた、俺の認識が甘かったのだ。
よくよく考えれば、他種族に襲われる確率が低く〈基本的に安全〉なんて環境に居るのは人間くらいのものである。
しかも、それは現代の日本において限定の話だし、動物たち畜生や他の虫も花もすべて常にサバイバル生活が当たり前なのだ。
そして俺たちは今、まぎれもなく、その畜生側の立場に立たされていた。
(ぐずぐずしてると、何に襲われるかわかったもんじゃねぇな)
何か驚異になりそうな匂いはしないが、海中は他にも〈何か〉が蠢いている。
この海には地球と同じく様々な生物がいるのだろう。
見たことのない黄色い凶暴なサメがいる以上、それ以外に何がいてもおかしくはない。
もしかしたら、もっと凶悪な化け物がいるかもしれない。
〈魔獣〉という特殊な力を持つ俺達の存在が、既にそれを証明しているのだから。
ウサギは「ばしゃばしゃ」と後ろ足をバタつかせ、何かを目指すように方角を決めて進み始めたが、その進みは非常に遅かった。
「ウサギ、そっちに行きたいのか?」
「ピエ!」
(…いや、無理だろその泳ぎでは)
その様子をしばらく背後で見ていたが、全然進んでいない。
ウサギ型バタ足泳法とでも言えばいいのか、その緩やかな進み方では、陸に辿り着くまでに時間がかかりすぎる。
波に流されてしまい、このまま真っ直ぐ進めるかすらも怪しい。
こいつも俺もお互いかなりの力を使い疲弊していた。これではいつまでもつか……
「よし、ウサギ背中に乗れ。どうやら泳ぎは俺のほうが得意だ」
「ピエン……」
「あっちに行きたいんだな? じゃあ、あっちに向かって泳ぐからな。しっかり捕まってろよ」
「ピエ!」
このウサギは何か理由があって動き出したのだと思った。
なぜなら、飛行船で逃げるときも、こいつが先頭をひた走っていたが、概ね進むべき道は正しかったからだ。
俺は小さなウサギを背中に乗せしっかりと捕まらせた。
だが、俺の泳ぎでも、いまひとつスピードが乗らない。
……犬だからな。まぁ無理だよな。当然だが、早くは泳げない。
「ピエエ!」
「なんだ?」
「ピエピエ!」
この小動物、相変わらず何が言いたいのか、さっぱり分からない。
泣いている時は涙を激しく撒き散らしているから分かるが、それ以外となると全然意味不明だ。
こっちの言葉は正確に理解しているようだが、他にこのウサギとコミニュケーションを取る方法は無いのか。
そう思っている内にウサギは俺の首元を先程よりと強くはさみこみ力を入れてくる。
(……なんだ? 様子がおかしいぞ)
「ピエーー!」
「うわぁーーーーーーーーーーーー!!」
ウサギはさっきの超音波のようなものを背後に向かって放出し、俺の体はまるで、水上バイクのように海の上を滑走しはじめた。
(……腹が痛ぇ! でもすげぇぞコレ! めちゃくちゃ速い)
超音波振動はただの音波の伝達に留まらず現代でも既に様々な技術に使われている。
水中ではソナーと呼ばれる、音波のを利用した探知機はかなり昔からある。
自然界でもコウモリは反響音を利用して物体との距離を正確に測り飛ぶと言われているし、その精度も凄まじく小さな虫の位置も把握して捕まえるという。
他にも例えば車のワイパーとしてガラス面の雨を弾いたり、小さなものなら超音波で浮かせて自在に動かせるところまで既に可能だ。
ドローンはもう風切羽ではなく、人間の聞こえない音域の超音波を利用して無音で飛んでいたりする。
2029年の現代ではホバーボードも実現しており、一般に普及こそしていないが、昔見た映画のような人が乗って自在に移動できるボードが話題になっていた。
(超音波に指向性を持たせられるのかこのウサギ、音波を完全にコントロールしている)
特にうるさいという事もなく、その推力はウサギの鳴き声とは別の超音波だった。
おそらく犬にも聞こえないとんでもないレベルの高域音波を強烈に発している。
ウサギにこんな力があるとは、うれしい誤算だ。
(もしかしてこいつ、光るだけの俺よりよっぽど〈魔獣〉として優秀なんじゃねぇの?)
「すげぇぞウサギ! やるじゃん! これならすぐに陸までいけそうだ」
「ピエピエ!」
――それから、潮風を後方に巻き上げならが進む俺達。
この強く顔に当たる向かい風も今はとても気持ちがいい。
「イャッホーーーーーーーゥ!! こりゃあ、いいぜ!」
「ピエー!」
どこかへ向かって海面を爆走する〈ウサギを背負った犬〉という意味不明な構図で、俺たちは大海原を進んでいった――
【ハザードシャーク】
レイト達が海で襲われたサメ。
獲物に対してフェイントをかける等、魚類にしては知能が高い。
黄色と黒の警告色で海中を高速移動できる。背ビレは黒い。
高音が苦手らしくウサギの超音波で逃げた。
【次回予告】
サメに囲まれ絶体絶命かと思われた俺たちの窮地を救ったのは、意外にもウサギの能力だった。
一匹の犬が今、ウサギを背負い星海をゆく。
「次回! ちょうちんわん公がゆく 第11話『束の間の休息』 今度も甘くないぜ」




