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狙撃銃は女神の懐  作者: 荒井 文法
プロローグ
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プロローグ

 靴先が何度も同じ軌跡をなぞっている。

 イリカは公園のブランコに座って、小さな振幅で揺れている。

 揺れに従ってイリカの靴先が地面を擦る。さっきまであった軌跡がなくなり、新しい軌跡が作られる。同じように見えるが、全く違う軌跡が地面に刻まれる。その軌跡も一秒後には消えてしまう。


 何時間こうして靴先だけを見ているだろう。


 時折聞こえていた人の声や足音はすっかり息を潜め、木や草を揺らす風の音が大手を振って歩く。ブランコの鎖の甲高い音だけがささやかに抵抗している。

 太陽が昇るまで、あとどのくらい時間がかかるだろうか。イリカの周りにあるのは暗闇だけである。ブランコのそばにある真っ白い常夜灯がひとつだけイリカを照らしている。

 寒い。雪が降るくらいの寒さだって誰かが言ってたっけ、マフラーを持ってくればよかった、とイリカは思う。これから自殺するのに。

 マフラーがある自宅には誰もいない。イリカの育ての親は三週間前に死んでしまった。とても素敵な人たちだったのに、イリカに泣く時間すら与えず、交通事故で死んでしまった。


 イリカの親が死んだ次の日、弁護士がやってきた。

 弁護士は無表情で、事務的に、遺産の相続権がイリカに無いことを淡々と告げた。告げられた言葉の重大さを理解できず、イリカが『分からない』という表情をしていると、弁護士はロボットみたいに口だけを動かしながら言った。

 「今月中に、この家から退去していただきます」

 去っていく姿もロボットみたいだった。


 弁護士の話が信じられず、誰かに相談したかったが、イリカが頼れる知り合いは皆無だった。

 ロボット弁護士の話で分かったことだが、育ての親に親族は一人もいなかった。生みの親は、十年以上前にイリカと別れて以来、どこで何をしているのか分からない。親戚もいない。友人もいない。小学校でイジメを受けてから、ずっと学校へ行っていないからだ。

 役所へ行けば助けてくれるかもしれない、と考えた。

 役所を利用するのは初めてだったが、窓口を渡り歩き、たらい回しにされながらも、なんとか自分が置かれている状況を把握した。

 発行された紙切れを見つめるイリカ。

 自分の体温が頭の先から奪われていく感覚。

 ロボット弁護士の話は本当だった。


 イリカの戸籍上の両親は、見ず知らずの男女だった。


 ブランコの上で思い出した三週間前の出来事が、夜の空気で冷たくなったイリカの体を更に冷やす。心臓が一度だけ大きく脈打ち、少しだけ息苦しくなる。

 おかしい、絶対に間違いがあると、泣きながら役所の職員に訴えた。職員は訝しがりながらも、戸籍の訂正を裁判所に訴えることができると教えてくれた。

 裁判に必要な書類を裁判所に提出し、その審理結果が今日届いた。

 却下、という文字がイリカの網膜を痛めつけ、涙が溢れた。

 他にも小さな文字がたくさん書き込まれていたが、読む気力はひとかけらも残っていなかった。涙に溶けて流れ出てしまったのかもしれない。

 裁判所に却下されたということは、明後日には、この家から退去しなければならない。しかし、お金がない。アパートを借りることができない。アルバイトしてお金が貯まるまで野宿だろうか。いや、その前に、住所不定で身元不明のイリカを雇う所などあるのだろうか。助けてくれる人は誰もいない。誰もいない。誰もいない。誰も――


 気付くと、真夜中の公園のブランコに座り、靴先を見ていた。

 自分は死ぬのだろうな、と思った。


 ブランコに座っているイリカに、周りの暗闇がおいでおいでと手招きをする。限界まで膨張していた孤独感が、音もなく破裂して消えていく。同時に、すべての感情が停止した。

 どうやって死のうかな、あまり人に迷惑を掛けたくないな、あ、でも、空を飛んでみたいな、できるだけ高い場所から飛んで、できるだけ長く飛んでいたいな――

 空を見上げるイリカ。

 星は見えなかった。

 何もない暗闇の地上に目線を戻す。

 暗闇から笑い声が聞こえる。


 暗闇には女神がいた。

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