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できそこないの歌姫  作者: shinobu | 偲 凪生
第6話 玻璃の国
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4

 ぴし、ぴしぴし。

 卵の殻が割れるように空がぽろぽろと落ちてくる。雨のように澄んでいた。宝石のように輝いていた。

 それは涙のように静かに、ふたりに降り積もって、融けていく。

 やがて『玻璃王』の体が小刻みに震えだす。

「君のいない世界でなんか、生きていたくない」

 泣きそうになるのを堪えているようだった。

 ルゥのなかに、やわらかな衝動が生まれる。彼の目の前に立つと、そっと両腕を伸ばし――抱きしめる。

「あ、あぁ……」

 その両腕がルゥの背中におそるおそる回される。

 顔が、ルゥの肩に埋まった。震えていた。

(きっと、泣いている)

 ルゥは、彼の髪の毛に触れた。ふわぁっ、と撫でる。

 そして身のうちからあふれ出た言葉を、音に乗せた……。


〈あなたの さいわいが あなたを ゆるしますように〉


 空から降り注ぐ欠片は、いつの間にか融けずにふたりの上に柔らかく積もっていく。

「……ごめんなさい。わたしにはあなたからの愛を受けとれない」

 ルゥが思い浮かべるのは、エメリーの悲しそうな、何かが足りないと渇望しているような表情。漆黒の瞳。

 近づきたいと願った。


 ――それは、始まりが同じだったから?


 強すぎるルビーの光は鈍色となった、ただそれだけのこと?

(きっと、ちがう)

 ふたりの姿は欠片に埋もれていく。

(会いたい……な)

 そして、完全に見えなくなる。


◆◆

◆◆◆

◆◆


 目覚めると視界一面に広がる純白。ふかふかの質感。

 少女は天蓋つきのベッドのなかにいた。

 右手をすっと高く挙げて、手を開いたり、握ったりする。掌と手の甲を何度も何度も確かめる。

 ベッドから抜けだすと羽毛が軽やかに宙に舞う。

 少女は天使が降り立つように、全身鏡の前に立った。薄いヴェールのようなネグリジェを着ていた。髪の毛についた羽毛を取る。胸の位置まで伸びた、鴉の濡れ羽色をした美しい髪の毛。

 そっと、鏡のなかの自分に触れた。

 闇夜の色をした、両の瞳に。

「ちがう」


 だいじなことがあったはずなのに、おもいだせない。

 わすれてはいけないことと、あいたいひとのかお。



 アンコールの一曲を歌い上げて歌姫は深く礼をする。

 そのまま控え室へ向かうと、結い上げた髪の毛を少しずつ丁寧に解いていく。同じ年頃の少女が、手渡された髪飾りを拭いて装飾のついた箱にしまう。

「今日も満員御礼! ほんとうに素晴らしいコンサートでした。皆、涙を流しながら聴いていましたよ」

「ありがとうございます」

 歌姫ははにかみながら、宝石つきの睫毛を優しく外していく。しかし、鏡越しに紅色の薔薇の花束に気づき、手が止まった。

 それに気づいた手伝いの少女は、歌姫の分まで毒づくように大声をあげた。

「私から言いましょうか? 迷惑だって! ジュイエさまはあんただけのものじゃないんだから、って!」

 困ったように歌姫は首を横に振った。

「でも、ジュイエさまがデビューする前から応援しているからって偉そうにふるまって、いちいち鼻につくんですよ」

「そんなこと言ってはいけません。わたしにとっては、どんな方でも、大切なファンですから」

「ジュイエさまはお優しすぎます! そのうち攫われて殺されちゃいますよ。今時流行らないですよ? まるで、古典文学みたい」

 ふぅ、と歌姫は小さく溜息をついた。

「××さんは怪人ではありませんよ」

「怪人ですよ。鋼玉研究所、でしたっけ? 宝石の原石の一種から、さまざまなエネルギーを取り出そうとする国家事業。表向きは。……裏では、人造人間の研究をしているって噂じゃないですか。うさんくさいことこの上ないです」

「……興味深いと思うんですけどね」

 しかしいくら歌姫が宥めても、少女の憤りは収まらない。

「そんなこと言ってると、ジュイエさまが宝石にされちゃいますよ!」

 歌姫は流石に苦笑するしかなかった。

 毎回届けられる紅色の薔薇の花束が、コンサートごとに本数を増やしていくのは事実だ。そこには『宝石のように美しい歌姫へ』とメッセージが添えられている。

 いつのことだっただろうか。花束の主と、最初に会話したときだったかもしれない。


『素晴らしい研究ですね。応援していますよ』


 すると彼の瞳は大きく見開かれて、揺れながら歌姫の姿を映していた。

 願えばどんなことだって叶うと思っていたし、彼にもそう伝えた。

(たしかに、それが少し曲解して受け取られてしまったところはあるかもしれない)

 歌姫は立ちあがって花束に触れた。

 カードの裏側に、誰にも気づかれないように言葉がしたためられている。

『来週、お休みの日にお迎えにあがります』

 そっと懐にしまった横顔には、陰が差しているようだった。



 その数日後。

「ジュイエさま、お迎えにあがりました!」

 大声が響き渡っていた。

 屋敷で読書を楽しんでいた歌姫はぱたりと本を閉じて、部屋の窓を開けた。

 門の前に、花束を抱えた青年が立っていた。彼は歌姫の視線に気づくと頬を紅潮させて薔薇の花束を振る。乱暴だからか、ひらひらと花びらが風に舞っていた。

「××です! 約束させていただきましたよね! 今日は数ヶ月ぶりのお休みですよね? せっかくなので研究所を見学しませんか?」

「あ……」

 歌姫は花束に添えられていたメッセージを思い出す。仕事が立て込んですっかり存在を忘れていたのだ。

 ぱたぱたとメイドが部屋に駆けこんでくる。心配そうに主の顔を伺ってきた。

「ジュイエさまは体調が優れないとでも言ってまいりましょうか? あのような輩には誠意を持って対応する必要なんてありませんよ」

(とはいえ……拒否すればどうなるかも分からない、し)

 努めて平静を装う。

「宝石はきらいではありません。国家単位のものなら興味がない訳ではないし、少し出かけてきます。念のために護衛をふたりお願いしていいですか? それから護身用の短刀を一本」

 メイドを心配させたくないという想いと、自分自身を鼓舞したいという気持ちと。

 微笑みを浮かべるとメイドは安心したようだった。

「かしこまりました」

 護衛を頼みに行ったメイドを見送り、歌姫は溜息をついた。青年が自宅まで押しかけてきたのは初めてのことだった。

(とりあえず失礼のない程度には身支度をしよう)

 全身鏡で確認すると、眉毛が下がっていた。ぱん、と軽く両頬を叩く。笑顔をつくる。

「えっ?」

 ところが鏡のなかの自分は笑っていないのだ。

 どこか切羽詰まったような真剣な表情。さらに違和感を湧きあがらせるのは短く切り揃えられた髪の毛。

 瞳の色。真紅。血よりも濃い、紅色。

「瞳が、紅い……何……なんなの……」

 眩暈を起こして倒れそうになるのをなんとか堪えてみせた。

 鏡のなかの自分ではない何者かは、鏡を叩いて訴えてきた。しかし声は、こちら側には届かない。

(こわい……!)

 咄嗟に椅子を両手に持つ。躊躇いなく鏡に向かって勢いよく振り下ろした。

 ばりーん!

 大きな音が炸裂して、鏡が粉々に割れる。

 その欠片ひとつひとつに、なにかを訴えている、真紅の瞳をした少女が映っていた……。

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