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できそこないの歌姫  作者: shinobu | 偲 凪生
第6話 玻璃の国
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2

 ……歌声は雨を止ませ、雲を消した。空に、緩やかに光が射してくる。

 きらきら。露が光る。

 空にはグラデーションの美しい、幅広の逆さ虹がかかっている。

 世界のすべてが輝いて眩しい。まるで二人の歌姫を祝福しているかのようだった。

「はぁっ、はぁっ、……」

 そんな逆さ虹の真下にルゥは立っていた。頬は紅く染まっている。肩で息をして、鋼玉刀を杖代わりに膝をついた。

「歌えた」

 声に出すことで、ルゥのなかに実感が湧いてくる。

「歌えたっ、歌えた!」

 ばくばくと全身が波打って、熱を帯びている。頭のてっぺんから足の指先まで興奮に包まれて心身ともに昂ぶっていた。魂は絶頂に達しそうだった。

 快哉を叫ぼうとして――射貫くような視線に気づく。

「……」

 一気に喜びは消え去る。

 ルゥは真顔で立ち上がり、鋼玉刀を両手で構える。ははは、と乾いた笑いが零れた。


「歌声で居場所を見つけたっていうこと?」


 ふしゅー。ふしゅー。荒い息遣いがルゥの耳に届く。

 前方には『アイレス』が四つん這いでルゥを狙っていた。コランダムの瞳のみを求める存在。

 涎を垂らして、目の前のご馳走を狙っている。

(探す手間が省けただけありがたいと思わなくちゃ。その分、犠牲者を出さなくて済む)

 唾を飲みこみ、『アイレス』と対峙する。間合いを詰めようとはしない。

 武器を持つことすらはじめてなのだ。

 ただ、視線は逸らさない。

「どちらを選んでも不幸になるって、こういうことか」

 逸らしたらその瞬間に襲いかかってくるだろう。

 ――ただただ、ルゥはコランダムの成れの果てを見据えた。


「わたしは、人間になれると思いますか?」


 勿論言語による返答はなかった。痺れを切らした『アイレス』は咆吼をあげるやいなや、真っ直ぐに突進してくる。襲いかかってくる。

「くっ!」

 『アイレス』の爪先は凶器のように細く伸びていた。間髪入れず左右から腕を振りかぶってくる。

 刀を握ったことのないルゥには闘うことなど不可能に近かった。とにかく、思いきり振りかぶって薙ぎ払うのみ。

(首を切り落とせって、かんたんに言うけれど……)

「あっ!」

 両手で突き飛ばされ、押し倒されたルゥは仰向けに地面に倒れた。鋼玉刀も地面に落ちる。

 すかさず『アイレス』が馬乗りになってくる。

「……!」

 瞳がくり抜かれて、光を喪った、人造人間。ルゥと同じ顔の、だけど感情を喪った化け物。

(しまった!)

 恐怖が、意志を圧倒する。金縛りに遭ったかのように動けなくなる。

 容赦なく『アイレス』が左肩に噛みついてくる。肉に刺さる音が全身を走る。

「あぁっ!」

 ルゥは痛みに悲鳴を上げる。反射的に目を閉じてしまう。ぐりぐりと容赦なく、尖った歯がくいこんでくる。

(鋼玉刀! どこ!)

 必至に右手で鋼玉刀を探した。手が柄に触れる。掴む。しっかりと握る。

(歌姫、力を……貸して!)

 瞳をしっかりと見開き、視界は決してよくはないが、振りあげて同じ顔の化け物の首を狙う。

 刃が首に当たる。

(ここだ!)

 直感。ルゥはありったけの力をこめた。どばっと最初に溢れたのはルゥ自身の涙。決壊したかのように滂沱として止まない。

「ごめんなさい!」

 鋼玉刀は導かれるかのように、吸いこまれるようにして『アイレス』の首に入っていく。硬さと柔らかさ、なんともいえない感触が柄を通してルゥに伝わり、その度に涙と言葉が零れる。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……! ごめんなさい……!」

 そして――。


 鋼玉刀は虚空へ。

 ごろん、と、『アイレス』の首は地面へ。

 ……体は重力に従ってルゥの上に落ちた。


 その体温は、いつから失われていたのか。


「……あぁ……」

 ルゥの、空になった両腕が弱々しく震える。迷うように、おそるおそる『アイレス』の背中に手をまわす。

 首のない体をしっかりと抱きしめ、しばらくの間、そのまま動かずにいた。

「わたしの、体……」

 ルゥはそっと横に胴体を置く。よろよろと起きあがり頭を拾うと、頬をそっと撫でた。瞼を閉じると、胴体の近くに。

 それから、意を決したように胴体の腹部を見た。

 ――掠り傷こそあるものの、痣はなくきれいだった。

 ルゥは自らの体の同じ場所を確認する。そこには花のような、波紋のような痣があった。


「その体は、妹のものなのか」


 振り返るとエメリーが立っていた。

 怒っても悲しんでもいないようだったが、泣きだしそうになっている、ように見えた。

 ルゥは黙って頷いた。


 ほろほろ。さらさら。


 風に流されて、『アイレス』は粉々になって消えていく。頭も、胴体も。そして何も残らない。あっけない最期だった。

 ゆっくりと見届けてから、ルゥは自らの腹部をエメリーへと見せた。自分にはない筈の、大きな痣。

「手術の前後の記憶がないので分かりませんが、この痣が証拠です」

 かつてルゥが歌姫を侮蔑するときには『痣持ち』と呼んでいた。痣は歌姫にあって、ルゥにないものだったのだ。

 まさかそれが体を識別する証になるなんて、なんという皮肉。

「知っていて自分自身だった化け物の首を?」

 言葉は継がずに、刎ねたのかと、問うてきた。

「後悔はしていません。選択肢はありませんでした」

 もう、涙も出ない。

 ルゥ自身に課せられた、償いであるとも思った。痣に気づいたときに決めていたのだ。

「だとしたら、捻れた結果、歌姫は自害したことになるな」

 エメリーは地面に落ちたままの鋼玉刀を拾って、真紅の刀身に触れた。

「結局、それによって玻璃王は砕け散るだろうな。『玻璃宮』は緩やかに綻びはじめているぞ。ぼくが言った通りに、な」

 ルゥは虚を突かれたようにエメリーを見た。

「お前を見ていると愚かすぎて吐き気をもよおす。一体、いつになったら、歌姫であることに絶望してくれるんだろうと思っていた」

 両手を広げて哄笑するエメリー。

 世界の絶望を一身に背負って呪いつづけてきたコランダムは高らかに勝利を宣言する。

「しかし、傑作だな。世界を守ったつもりかもしれないが、お前の選んだ道によって世界は壊れるんだ! ははははは!」

「そ、そんな」

 唐突にルゥは気づく。自らを中心として、世界の輪郭がぼやけはじめていることに。

 それはエメリーも例外ではない。今や、彼の体は半透明になっていた。

 しかし矜持は保ったまま。

 鋼玉刀を帯に戻し差すと、ルゥを指差した。

「お前こそが、世界の穴だ。さぁどうする? このままぼくの望みを叶えてくれるのか?」

「ま、待ってください」

「それを決めるのはお前だ。世界そのものがなくなればこの穴自体も存在していないことになる。ドーナツの穴だけを残しておくことができないように」

 声さえもぼやけていく。

「あるいは穴そのものが世界となるのかもしれない。それこそが世界の終焉と、新たな始まり」


 ――愛すら、その逆の感情がなければ、認識することができない。


(誰かが……言っていた、気がする)

 エメリーの姿が徐々に空気へと融けていく。

(違う。ミィさんじゃ……ない。だとしたら……)


 ルゥは、世界の穴は、瞳を閉じた。

 世界が、収束、する。

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