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できそこないの歌姫  作者: shinobu | 偲 凪生
第6話 玻璃の国
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1

 何もなかった。

 研究所が建っていた場所は、瓦礫の山と化していた。

 塀や柵さえも崩れていて、そこにはたくさんの人間がいた。立ち入り禁止のロープを張った奥で救出作業に当たる作業員。運び出される負傷者。彼らの安否を確認しに駆けつけた家族たち。運ばれていく人間が身内だと分かると駆け寄り、何度も何度も名前を呼ぶ。門番のふたりも例外ではなく、頭から血を流して応急処置を受けていた。

「ひどい……」

 ルゥは近寄ることもできないまま、胸の前でぎゅっと鋼玉刀を握りしめる。頬を雫が滑り落ちて、結晶となって地面に落ちた。

(ロージも、お姉さんが亡くなったときに泣いたんだろうか)

 そして、記憶が壊れてしまった、彼の母親のことも思い出す。

 愛を歌い、悲しみに沈んでいた。歌姫の加護を願うと穏やかに微笑んでくれた。


(欲望のままにコランダムをお金で集めるのと、家族の安否が心配でたまらないのと、どうしてどちらも人間なんだろうか)


 ルゥには理解できなかった。それは、あまりにも極端すぎるのだ。

(でも、わたしとミィさんだって、同じコランダムなのに考え方は違う。パパラチアさんも。妹とだって、違う……)


『人間とアタシたちの違いは何だと思う?』


 パパラチアの言葉が脳裏をよぎった。

「……わかりません。パパラチアさん、わたしには、その問いかけにふさわしい答えを見つけることができません」

 ルゥは空を見上げる。

 徐々に、空を黒くて分厚い雲が覆っていく。世界がゆっくりと明度と彩度を落としはじめる。空気も、湿度を含み重たくなっていく。ぽつ、ぽつと雨が乾いた世界を濡らし、洗い流そうとする。

「これは……雨?」

 雫はどんどん降ってきて、ルゥを濡らしていく。書物でしか見たことのない自然現象だった。

(世界も……泣いている……?)

 顔を空に向けたまま雨を浴びる。


 この世界はルベウスのためにある。

 人間がそれを裏切った罰がこの惨状だとしたら――。


「だとしたらわたしは、この世界を救いたい。ひどい人間もたしかにたくさんいるけれど、優しい人間だっている。大切なひとを喪ったら、誰だって哀しみに暮れる。そんな哀しみのなかにいるひとたちに、わたしは手を差し伸べたい!」


 ルゥは天に向かって宣言する。

 呼応するかのように、鋼玉刀の鞘から光が零れだした。紅色の泡のように、きらきらととめどなく溢れてくる。

『……さま』

 鋼玉刀がまるでルゥに鞘を抜けと促しているようだった。

『お姉さま』

(これは、妹の声……?)

 ためらうことなく鞘から刀を抜く。純度の高い真紅が辺り一帯を照らす。

 刀身にルゥの顔が映ったときに、唇だけが勝手に動いた。

『歌ってください。お姉さま』

 ルゥの音であっても、声ではなかった。

(妹……? わたしのなかでまだ生きている……!)

 ふわぁっ。刀が、光のなかに雨を集めていく。

 人間の輪郭を、ぼやけながらもなぞっていく。

 やがてルゥと同じ顔をした髪の長い少女が、半透明のまま、浮いていた。


 わたしにはうたえないわ、と、ルゥはかつて棘を放った。

 それは自らの半身に向けてだったけれど、自分自身にもずっと刺さったまま。心から、血を流しつづけているのだ。


 おそるおそる、震えながらルゥは問いかけた。

「わたしを……許してくれるの?」

『許すも許さないも。わたくしはずっとお姉さまと共に在りたかったのです』

 ルゥは雨に濡れながらも、ぐすん、と鼻をすすった。

 ようやく、妹の言葉を素直に受け止めることができた。そうすると自分自身の棘も、ゆっくりと融けていくようだった。

 言葉を慎重に選んで、音に乗せる。

「今まで、ごめんなさい」

 ……向かい合うことができた。

(まだ、こわいけれど。あなたが受け容れてくれるのなら)

「一緒に世界を救ってくれる?」

『ええ、もちろんですとも。わたくしはお姉さまを、この世界を、愛していますから』

 歌姫が微笑む。


 ――歌姫は孤独で。

 ――それでも人間を、世界を愛したかった。

 ――歌わずにはいられなかった。


(ひとつだけ、解った)

 ルゥは瞳を閉じた。深呼吸をひとつ。

「コランダムが『愛』を持たないんじゃない。わたしが得ようとしてこなかっただけなんだ。歌姫のなりそこないであることが辛くて、歌うことから目を背けてきたのと同じで。だけど今は違う」

 パパラチアは、あなたが知らないもの、と言っていた。

「……全身が求めている……歌うことを……この世界を!」

 愛。今は、知りたいもの、になった。

『お姉さま、共に歌いましょう』

 その決意を、歌姫が抱きしめる。

 歌姫がひとつになる瞬間。

 すっ。ルゥは瞳を見開くと、雨に濡れながら、鋼玉刀を両手で掲げた。


〈わたしのはじめての歌を〉

〈あなたのはじめての歌を〉

〈世界へ〉


 ルゥの体から、ふたつの旋律が溢れだす。

 美しい音色。それは、種が発芽し、育ち、蕾を花へとい咲かせるようなエネルギーに満ちていた。水であり、光であり、命あるすべてが必要とする養分そのものだった。咲いた花は色彩豊かに世界に溢れていく。

 そこには怒りや哀しみも含まれているかもしれないけれど、喜びや楽しみのほうが、質量としては遙かに勝るのだ。

 歌は花。愛。希望。世界を、自らを救う、かたちのないもの。

 やがてそれは『玻璃宮』の隅まで満ちていく――。

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