5
2人の進んだ先へ向かうと、地下通路の奥には1基のエレベーターがあった。
「早速行き詰まっているじゃないか」
「ほ、ほっといてください。どこかに階段があるはず……」
「はいはい」
めんどくさそうにエメリーは自らのフィンテリングをエレベーターのパネルに翳す。
すっ、と階数表示が下がってくる。
「ぼくのフィンテリングは万能なんだ。お前に渡したやつもだが、そういう風にしてある」
「……ほんとに、信じられないひとですね。あなたは」
「お前はだんだんと図太くなっていくな。感謝が先に来るんじゃないのか」
水色で透明のエレベーターの扉が開いた。
無言で乗りこみ、到着した先は、館の屋上。ドーム状の空は雲に覆われてどんよりとしていた。灰色の空中列車が徐々にこちらへと向かってきている。
実業家と執事長だけではなく、数人の黒い警備服の私設護衛隊がいる。
「迎えはまだか!」
「特別停車させますので、あと少しだけお待ちください」
苛立ちを隠せない実業家はその場でどすどすと歩き回っている。パパラチアの瞳を抱きかかえて離そうとしない。
(パパラチアさんの瞳……!)
「どうするつもりだ?」
エメリーが小声で問いかけてくる。
(あのひとが列車に乗りこむ前に目的を果たさないと!)
ルゥは大きく深呼吸した。
「待ちなさい!」
すべての視線がルゥに集中した。
「なんだ、貴様? 何故部外者がこんなところにいる?」
実業家の片眉が上がる。
ルゥは仁王立ちになって吠えた。
「わたしは本物のルベウス・コランダム。パパラチアの瞳を返してもらいます!」
「……馬鹿か……」
隣でエメリーが溜息をついた。
「本物のルベウスだと?」
実業家はルゥとエメリーを交互に見てから、嘲弄する。
「そ・う・い・う・こ・と・か!」
観念したようにエメリーが軽く両手を挙げた。
「おっさん、ひさしぶりだな。まぁ、そういうことだ」
「お前が来客を連れてくる、しかも女だと聞いたから何事かと思ったが。今度は幾らで売りつけるつもりだ?」
「わ、わたしは売られに来たんじゃありません!」
改めて実業家と対峙したルゥは、その姿にぞっとする。
両手の中指に輝く指輪のコランダムは大粒で、どう見ても涙ではなくて瞳。浅黒い肌のなかで異様に白い歯をにっと見せてくる。
まるで地下の巨大水槽を人間のかたちにしたような、不気味さと底なしの醜悪さを、ひけらかすのではなく湛えている。涙を扱う店の主人とは醜悪さの種類もレベルも段違いのようだった。
「金で娯楽を買って何が悪い。貴様の瞳も簡単にくりぬけるんだぞ?」
空中列車が屋上に到着した。護衛隊が実業家を取り囲む。完璧に配置され、一分の隙も見せない。
「悪いな。ルベウスの瞳の価格交渉はまた改めてさせてもらうぞ」
「ま、待ちなさいっ」
もちろんルゥの制止など効かない。
実業家は執事長に案内されて、堂々と、小さな階段から空中列車に乗りこもうとする。
――その刹那。
ごろん。
実業家の体がバランスを崩して、地面に落ちた。
誰もが我が目を疑った。
もはや男の体は首から下のみ。ぶしゃぁと噴水のように鮮血が噴き出して列車を真っ赤に染める。
「……え?」
未だに状況を飲みこめていないルゥは、首のない実業家の隣に、ゆっくりと視線を移した。
四つん這いになって、首をばりばりと食べている生き物が、いた。
ひどく痩せ細った裸の少女。だった、もの。
「まずいな」
エメリーの声もいつになく真剣なトーンになっていた。とん、とルゥの背中を叩く。
「意識はあるか? 見ろ。あれが狂ったコランダム、『アイレス』だ」
呼ばれたことを理解したのか、少女がルゥたちを見た。
血まみれの顔はルゥと全く同じ。光の失せたくぼんだ瞳でにやりと笑っていた。
涙を結晶に変える美しさは消え去った。
もはや、瞳を求めて彷徨う、異形――。
護衛隊は『アイレス』を取り囲み、銃口を一斉に向ける。
「撃て!」
ばばばばば。銃声音は大雨のよう。
「撃たれても倒れないだと!」
「そんなの聞いてないぞ!」
護衛隊が叫ぶ。悲鳴をあげて逃げ出す者も出始める。
エメリーは転がってきたガラスケースを手に、溜息とも舌打ちともいえない仕草をした。
「流石にぼくでもあれは対応しきれない。餌がたくさんあるうちに逃げるぞ」
ぺっ。
『アイレス』から吐き出された人間の目玉が無残に地面に落ちた。
黄色く濁った実業家の瞳。『鋼玉鑑定士』の最期としては、もっとも哀れなものだった。
エメリーが立ちつくすルゥの左手を強く握った。
「しっかりしろ! ぼくたちこそ恰好の餌なんだ。ここで殺られるなんて間抜けすぎるだろう」
そのまま無理やりエレベーターに乗りこむ。
ぎゃああああああああああああああ。
そして幻聴か本物か判別のつかない阿鼻叫喚だけが響いてた……。
水槽の前まで戻ってきて、ルゥが最初にしたのは、胃のなかのものをすべて吐き出すことだった。膝をついて、すべてを。
受け容れがたい光景を全身が拒絶していた。
「瞳をくりぬかれたコランダムをそのままにしておくなんて愚かすぎる。しかもそれが片目とはいえ、ルベウスだというのに……。研究所の奴らも自殺行為を」
エメリーは眉ひとつ動かさずにひとりごちた。
胃を空っぽにしたルゥは、座ったまま小刻みに震える。
(あれが)
(末路)
(瞳を喪った、わたしたちの)
(……わたしの)
ルゥは右の脇腹をぐっと押さえた。わずかに熱を持っているようだった。
「お前の妹は、確実にお前を捜し求めて彷徨うだろう。犠牲者もたくさん出るだろうな」
「……せる」
水槽に手をつくとルゥはふらふらと立ち上がる。歯を食いしばって、なんとか立った。
「止めてみせる」
眩暈を起こして、水槽にもたれかかる。呼吸が浅かった。
「無理だ。もう言葉すら通じないぞ。それに、ルベウスがルベウスを殺したらどうなる? この世界にとっては最大の矛盾だ。確実にこの世界は終わるだろうな」
「……やってみなければ、わかりません」
「その自信はどこから湧いてくるのか」
「理由は、言えません」
「やれやれ。反抗期か」
ルゥは答えずに水槽から身を離す。
(信じてもらえないだろうし、わたしが決着をつけなければいけないことなんだ)
そしてゆっくりと、エメリーに向き合った。
裸足で、ぼろぼろのドレスを身に纏った、今や両方に紅の瞳を持つ歌姫のなりそこない。
かたや狼の毛皮を被った、着流し姿の青年。漆黒の瞳の、呪われた鋼玉。
しっかりと向き合ったのは初めてだった。
(ミィさんの瞳は、闇夜みたいだ)




