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「想像くらいついただろう。最果て博物館を爆破したぼくがパパラチアの瞳を持っていくことは。それとも、まだぼくのことを真摯なやつだとでも勘違いしているのか?」
エメリーは姿勢を崩さず口元を歪めた。
「ついでに言うならパパラチアの瞳については、出来レースだ。元々あの男のものになることは決まっていた。そういう契約をしたからな」
舞台上で、男はまだ手を振っている。
「どうした? どんな怒りの言葉もぼくには効かないぞ?」
「……」
ルゥはきつくエメリーを睨み、前に立つ。
そして右手を振り上げてぱしっとエメリーの左頬を打った。
乾いた軽い音が部屋に響く。それはエメリーには予想外の出来事だったようだ。左頬を押さえて、ぽかんと口を開けてルゥを見上げる。
ルゥはそのまま個室から出て行った。
(信じ、られないっ)
かつかつかつかつ。
高いヒールの音を轟かせながらルゥはホワイエを歩く。
悔しさのあまり滲んだ涙がまるで足跡のように結晶となって床に落ちていく。
(ほんとうに、ありえない!)
「あっ!」
バランスを崩して、右のヒールがぽきりと折れてしまった。咄嗟に両手で床をつく。派手に転ぶことすらしなかったが、床に座りこんでしまう。
靴擦れが朱く滲んでいた。
さらにはワンピースもヒールにひっかかって裾が破れてしまった。
「ここ……どこ?」
我に返るとそれはホールの入り口ですらなかった。
どこから歩いてきたのか。ルゥはきょろきょろと見渡すが、後にも先にも廊下が続くのみ。
(ミィさんの、ばか)
しばらく折れたヒールを見つめてから、ルゥはよろよろと拾う。両方とも脱いで裸足になって、ヒール靴は手で持った。立ち上がると膝がすりむけて赤く滲んでいた。
裸足でいるのは久しぶりだった。突然高いヒールを脱いだので、バランスが掴めない。
(どうしよう……)
真っ暗な廊下を行ったり来たりして、ふと、光源に気づく。
「なんだろう……?」
鍵のかかっていない扉から漏れた灯りのようだ。慎重に押し開けてみる。足元の小さな灯りが、下り階段の存在を示していた。
(絶対に来た道ではないけど、出口に繋がってるかもしれない)
ごくりと唾を飲みこむ。ヒールは置いて、吸いこまれるようにルゥは下りていった。
転ばないように右手は壁につけながら、一歩ずつ、一歩ずつ。
階段の先には大きな扉があった。ルゥはおそるおそる、新しくエメリーからもらったフィンテリングを翳してみた。ぴっ。あっけなく認証されて、がちゃりという解錠音がした。
小さく溜息をひとつ。
(……こういうところはあのひとに感謝しなきゃいけないよね)
足を踏み入れると自動的に照明がついた。眩しさに、一瞬目を細める。
(蒼い液体の、大きな水槽?)
ゆっくりと瞳を開けて、室内にあるものを確認する。
巨大な水槽から、細かい泡が絶え間なく湧いていた。
その発生源は、おびただしい数の瞳をくりぬかれた頭――。
(だめ、見てはいけない)
咄嗟に本能が告げてくる。しかし時既に遅し、ルゥの視線は水槽へ釘付けになっていた。
人間のはずはない。ここに積まれている頭部はコランダムのものなのだ。
確信してしまえるのは。
こぽこぽこぽ……。
今まさに落ちてきた、新たな首のせいだった。
(さっきの女のひと!)
黒い髪をした、悲しそうな表情をしていた、バイオレット……。
『つまり今からお前が目にするのは、人間の負の最たる部分ってことだ』
「ここはコランダムの墓場だ」
ルゥのなかで記憶と現実のエメリーの声が重なる。
背後からエメリーの声。茫然自失なルゥの横を通り抜けて、水槽の前に立つ。
両手は袖に隠したまま、じっと天井を見上げた。
「コランダムは、所詮、人造人間。人間にとってはただの道具であり、部品であり、嗜好品でしかないんだよ。だから最初に言っただろう……こんな世界、壊してやると」
エメリーの鈍色の瞳に、数多のコランダムの首が映っている。右手がそっと水槽に触れた。
ルゥはやっとの思いで言葉を振り絞る。
「……ひとでなし……」
「この場合、人間じゃないのはぼくたちさ」
エメリーはルゥを見ることもせず、額を水槽に当てた。瞳を閉じて、なにかを呟こうとする。
「……。誰か来た」
突然、エメリーが水槽の裏に隠れる。ルゥも慌てて後に続いた。
男が2人、大声を出しながら入ってくる。片方は怒り、片方は冷静な声色だ。
(あれは、この館の主?)
入ってきたのは舞台で手を振っていた実業家と、穏やかに挨拶してくれた執事長だった。
さらに、実業家はパパラチアの瞳の入ったケースを抱えている。妖艶に光る瞳は、まさにパパラチアそのものだ。
(パパラチアさんの瞳……!)
飛び出していこうとするルゥの手をさらに勢いよくエメリーが掴んだ。
出て行くな、と瞳で制してくる。その力があまりに強いのでルゥは諦めて影に隠れ直した。
実業家と執事長は、気づかずに喋りつづけている。
「研究所が壊滅しただと? 意味が理解できないな」
「混乱を避けるために情報統制されているようですが、政府筋の情報です。歌姫が暴走して、研究所の人間を次々と襲ったのだとか。かけつけた当局もほぼ全滅ということです……歌姫はそのまま脱走して行方をくらましたということです」
どくん。ルゥの心臓が跳ね上がる。
執事長の説明がぐるぐると渦を巻きはじめる。
(歌姫が……暴走? 研究所が壊滅?)
ルゥは脇腹の辺りを右手で押さえた。
「『アイレス』か。そうなるとここが標的になる、ということか」
「はい。瞳を求めて、おそらくは……。今、私設護衛隊を召集中です。一部、当局にも依頼をしております。ガレンさまは早急にこの館からお離れください。特別列車を用意しております」
「パパラチアの瞳だけは持って行きたいのだが」
「なりません。強力な瞳は、必ず、『アイレス』に見つかります」
「阿呆! 儂が幾らで手に入れて! ここで! 見せびらかしたと思っているんだ! これだけは持っていくぞ。他はどうでもいい。パパラチアだけは……」
二人は部屋の奥の通路へと消えていった。
(歌姫が……暴走……)
片割れの自分がここにいるとしたら、その意味するところは――。
完全に気配がなくなってから、ルゥとエメリーは視線を合わせる。
にやにやと笑みを浮かべるエメリーに、ルゥはもはや呆れるしかできない。
「どうしてそんな楽しそうなんですか」
立ち上がると、実業家たちの去った方を指差す。
「ふたりを追いかけましょう」
「追いかけてどうするつもりだ」
「決まっています。パパラチアさんの瞳を取り戻して、それから、研究所の情報も聞き出します」
「強欲だな」
「こんなところで茶化さないでください。わたしは、行きます」
「面白そうだからついていくさ」
ルゥはウィッグと瞳のフィルムを外した。ドレスの裾はたくしあげ、両肩を上げて勢いよく下げた。




