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できそこないの歌姫  作者: shinobu | 偲 凪生
第5話 欲望の集まるところ
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2

「今から向かうのは、空中列車をこの国に造った男が、限られた人間しか招かない特別な館だ」

 エメリーが空を見上げた。

 透明な『玻璃宮』の下に蜘蛛の巣のように広がる透明な線路と、時々走っていく空中列車。

「元々は研究所の人間だったが、コランダムのエネルギーを列車というシステムに利用することを思いつき、事業を興した男だ。表向きは国一番の実業家だが、実際は多くの『鋼玉鑑定士』を抱えた裏社会の権力者でもある」

「裏社会の、権力者」

「つまり今からお前が目にするのは、人間の負の最たる部分ってことだ」

 にやり。エメリーの瞳が妖しく光を放つ。

(そんな脅しに屈したりしないんだから)

 涙目でルゥは睨み返した。


 道の途中で艶々と黒光りするリムジンが迎えにきて、あっという間にふたりは門をくぐり、ポーチに到着する。鼠色の屋敷は緩やかな丘の上にあった。

 テルミナ駅よりも、最果て博物館よりも、研究所よりも、大きな屋敷だった。

 見上げただけでは全容を把握できない大きさにルゥは口をぽかんと開ける。



 エメリーが、メイドのサファイアたちの制止も聞かずにずかずかと踏みこんでいったのは、とてつもなく広い客間。傍若無人ぶりを遺憾なく発揮して、革張りのソファの中央にどかっと腰かけた。

 ルゥは少し離れて縮こまって座る。両手は揃えた膝の上に置いた。

 部屋の中央には大理石のローテーブル。鮮やかで大きな花が活けられている。壁際には窮屈そうに大きな絵画が何枚も飾られていた。

(堂々としろって言ったって……)

 口を一切開こうとしないエメリーに、ルゥは反論もできない。

(いや、ここで怯んじゃだめだ。がんばれわたし)

 それでも両手で頬を軽く叩いて、気合いを入れた。背筋をぴんと伸ばすだけで気持ちまで正されるようだった。


 やがて、こんこん、と穏やかに扉がノックされた。

「ミィさま、お待ちしておりました」

 現れたのは穏やかな表情の、白髪の紳士だ。黒いスーツがよく似合う。白い手袋をはめた両手は体の前に。

 彼は恭しくエメリーに頭を下げた。

「品評会に出席していただけるのが久方ぶりとあって喜んでおりましたよ」

「ぼくだって忙しいんだ。あんたの主人と同じで、な」

 素っ気なさは最上級。旧知の仲を窺わせるような物言いだった。

「今回は同行者もお連れということで、主が宴のあと挨拶に伺いたいとのことです」

「興味本位な挨拶なんて要らないと伝えておけ」

 それでも紳士はルゥに向かって微笑みかけてきた。

 突然話を振られて、慌ててルゥは会釈を返す。

「ど、どうも」

(優しそうな、おじいさん)

「お美しいお嬢さんではないですか」

「あ、あの……」

 ちっ、と舌打ちして、エメリーは紳士に向かってくいっと顎を向ける。

「執事長だ。なんかあったらこいつに言えばなんとかなる。ただ絶対に信用はするな」

 乱暴な物言いにも、執事長は穏やかな態度を崩さない。

(……ミィさんに信用するなって言われても信憑性がないんだけど)

 この場でどちらの言葉を聞くか問われたら、執事長の方を選びたい。むろん口に出せば怒られることは確かなのでルゥは黙っていた。

 そこへサファイアが現れて、お茶菓子を用意しはじめる。

「最高級の花茶を用意いたしましたので、しばしご歓談くださいませ」

「ふん。分かったからとっとと持ち場へ戻れ」

 エメリーの暴言をさらりと受け流して、執事長は一礼すると退室した。

 華奢な持ち手のついた乳白色のティーカップに注がれた紅色の液体。サファイアが白い蕾を水面に浮かべると、蕾は真紅の花となって咲いた。

(パパラチアさんに淹れてもらったのと同じだ……)


『歌姫の瞳の色をしているから、最上級のおもてなしをするときに淹れるお茶なの』


 最果て博物館でのもてなしを思い出しながら、ルゥはカップを手に取る。

 軽やかな香りが鼻孔をくすぐった。ひとくち飲むと、華やかな風味が口のなかに広がる。

「ごゆっくりどうぞ」

 給仕の終わったサファイアも退室して、再びふたりだけとなってしまう。

(ごゆっくり、と言われても……)

 ルゥはちらりとエメリーを横目で見遣った。相変わらず無表情で、ずずずと花茶を啜っている。会話をする気はなさそうだった。

 沈黙をごまかすために、ルゥは花茶に添えられた焼き菓子をほおばる。

(香ばしくて美味しいけど、口のなかがもそもそする)

 ひとつ食べ終わり、ふたつめに手を伸ばそうとしたときだった。

「ずいぶんとあのじじいを気に入っていたようだが。リップサービスにのぼせあがったのか?」

 花茶をずずずと啜りながらエメリーがルゥを睨んできた。

(その言い方に問題があるんじゃ……)

 無言を反論と受け取ったようだった。

「人間なんてろくなもんじゃない」

「優しいひとだっています!」

 思わずルゥは反論してしまっていた。

(ロージ、元気かな。きっともう会うことはないけれど、幸せでいてほしいな)

 脳裏に浮かんだのは、街で出会った、くるくる金髪の青年だ。

(わたしに関わりすぎたら、不幸になってしまうだろうから……)

 エメリーの眉がぴくりと動いた。

「宿屋の息子のことを考えているのか?」

「なっ、なんで」

「まったく、お前はほんとに甘い奴だな。その甘さに足元を掬われるぞ」

「……そうなってほしいって言ってくるくせに」

「なにか言ったか?」

「なんでもありません」

 そして迎えが来るまで、会話を交わすことはなかった。



「普段はここにオーケストラを招いて演奏会をしたりする。要は金持ちの道楽のための場所だな。ぼくにとっては眠くなるイベントでしかない」

 そして今もそうであるかのように、エメリーは大きくあくびをした。

 歌姫の誕生聖祭が開かれていたのと同じくらい大きなホールだった。豪奢なシャンデリア。天井からは歌姫像が微笑みを投げおろす。舞台にはまだ紅色の緞帳が下りたままだ。

 ふたりが案内されたのは、1階席と2階席の中間にあるガラス張りの個室。下手側で、舞台と1階席がよく見えた。

 1階席はタキシードやドレスを纏った人間たちでびっしりと埋めつくされている。ガラス越しにも熱気が伝わってきている。

「この国で指折りの金持ちたちだよ。指折りの、腐った、な。どいつも自分がコランダムを身につけるのに相応しいとうぬぼれた奴らばかりだ」

 エメリーは吐き捨てるように零した。

 ぶどうジュースを飲みながら、サンドイッチをほおばる。

「ぼくたちは高みの見物といこうか。ほら、はじまったぞ」

 ブザーが鳴り、客席が暗転する。……ゆっくりと幕が上がる。

 ルゥは唾を飲みこんで舞台を凝視した。一瞬たりとも見逃さないようにしたかった。

 スポットライトを浴びて、テンションの高い司会者が、甲高く叫んだ。


『大変お待たせいたしました! ただいまより、今月度の鋼玉品評会を開催いたしまーす!』


 タキシードがびっくりするほど似合っていない、貧相な、目の吊り上がった男だ。マイクを持つ右手の小指はぴんと立ち上がっている。その両脇にはにこにこと微笑む、露出度の高い衣装を纏った女性がひとりずつ。アシスタントだと紹介されて、笑顔で手を振る。

『さて、毎回恒例となっておりますがご説明させていただきます! 皆さまのフィンテリングには特殊なプログラムを送らせていただいております。落札を希望される場合は、フィンテリングにてお申し出、宜しくお願いいたしまーす!』

 はっとルゥが横を見遣ると、エメリーのフィンテリングから、水色の文字が空中に浮き出ていた。


『落札希望額 ××××』


「お前のやつは登録してないからな。所持金額が圧倒的に足りない」

「……え?」

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