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「所詮、コランダムに人間社会で生活することなんて不可能なんだ。かつてパパラチアという変わり者のコランダムがいたが、そいつも社会に溶けこめず、人里離れた場所で暮らすようになった。そいつがどうなったか分かるか?」
パパラチア、という名前に、ルゥは反論したい感情を抑えこむ。
「つい先日のことだ。人間の手によって、哀れな末路を辿った……」
パパラチアの姿が脳裏をよぎる。
(なにも知らないくせに……!)
カフェを開きたかったと、絵を描くのが楽しいと嬉しそうに語っていた姿を思い出して、唇を噛んだ。
(パパラチアさんは最期まで人間社会で生活したいと願っていたはず)
そしてそれをめちゃくちゃにした、自分の罪。
所長の態度も許せないが、自分自身のことも許せない。
◆
それはひときわセキュリティの強固な、巨大な扉だった。所長はカードキーを通してから、自らのフィンテリングを翳した。個人認証が行われ、訪問者が研究所の所長であると認識されると、扉がしゅっと開く。
明るい陽射しに包まれた部屋だった。白い天井。壁。床。天蓋つきのベッド。バスタブ。机。すべて、ルゥのものと同じだった。滑らかに光を受けてきらきらと輝いている。
それらが意味するのはひとつしかない。
ルゥは息を呑んだ。
(歌姫の部屋……)
ルゥの部屋と比べると書物の量は少なかった。その代わりに、硝子製の人形やオブジェがずらりと棚に並んでいた。壁には花飾り。世界地図も貼られている。
自らが知ろうとしてこなかった妹の価値観が室内に広がっていた。
「……!」
視線をベッドに向けて、ルゥは咄嗟に駆け寄る。言葉を上手に紡ぐことができないまま、唇をわなわなと震わせた。
「そんな」
……歌姫がたくさんのぬいぐるみに囲まれて静かに横たわっていた。
肌色は青白く、頬はこけて、ぴくりとも動かない。
双眸は虚空を彷徨うように見開かれたまま。まるで泥水のなかに沈んでしまった宝石のように、左の紅色は濁って、光を宿していない……。
(笑いかけてくれたのに。話がしたいって、言ってくれたのに。別人みたい)
ルゥの全身が小刻みに震える。
「う、うそでしょ」
ゆっくりと床に膝をつき妹の顔を覗きこむ。
――やはり、あの地震は、歌姫の命が尽きようとしていることを告げていたのだ。
この世界に。ルゥに向けて。
「ごめんね……」
ルゥの瞳からぽろぽろと雫が零れ落ちる。おそるおそる、妹の手に触れる。
すべすべとした掌。だけど骨ばっていて、ひんやりとしている。壊れやすいものを扱うように丁重に自分の頬に寄せる。
(こんな手を、していたんだね)
わずかに鼓動を感じることができて、ルゥは安堵の溜息を漏らした。
(よかった……)
胸をなでおろすルゥに、背後から所長が語りかける。
「元々、この歌姫は心の臓が虚弱だった。ここ近年拍車がかかってきて、歌うたびに倒れるようになっていったのだが、結果としてこのザマだ。歴代のルベウスとしては最短の寿命だろう」
振り返ってルゥは所長を睨む。
「まだ死んではいません! どうすれば、この子は元に戻るんですか?」
くっくっ、と所長が口元に手を当てる。
何がおかしいのだとルゥが反論しようとしたときだった。
「簡単な話だ、本来の計画を実行に移せばいいだけのこと」
ぷしゅ。歌姫の姉、つまりルゥの首の後ろに注射器の細い針が刺さる。
「え」
一瞬にしてルゥは全身の力が抜けて床に倒れた。
「戻ってきたからには瞳を頂こう。貴様だってそうなると理解して戻ってきたのだろう?」
ルゥは唇を動かそうとするが、震えもしない。もう自らの意志で瞬きすることすらできない。体の自由が利かなくなっていた。
「歌姫の体は限界だが新たなルベウスが誕生するにはまだ遠い。今のルベウスを一から構築し直す必要がある。安心しろ、記憶は取りはらってやる。コランダムなどただの部品にすぎない。いくらでも取り替えがきくんだ」
所長は狂気にも似た笑い声をあげた。
「これで国家も安泰だ! ははははは!」
その笑い声を最後まで聞くことなく、ルゥの意識は真っ白に塗り潰されていく……。
(わたしは……だれ?)
もしも記憶が固体だとすれば、それを崩していけば、記憶は壊れてしまうのだろう。
街での出来事。
優しくしてくれた同胞。新しい世界を見せてくれた一方で、傷つけようとしてきた同胞。
ずっと孤独だった日々。
妹を拒絶した自分。
(だめ……忘れないで、行かないで……)
なにもかもが朧気になっていく。
◆◆◆
(……だれ?)
『すばらしい研究ですね』
『そう言ってくれたのはあなたが初めてです。宝石から人間を造るだなんてファンタジーにも度が過ぎると、周りはばかにしてくるんです』
水素。酸素。炭素。窒素。……約30の元素で、人間はできている。宝石だって、否、この世界のなにもかもが元素からできている。すべては実にシンプルなのだ、と男が熱弁をふるう。
『応援していますよ。願えば、どんなことだって叶うんですから』
微笑まれて、男は顔を赤らめた。
◆◆◆
その真紅は、何の色?
『……を、しましょう』
流れていったものは、元には戻らない。
(……)
◆◆
◆
研究所の一室は薄暗く、張り詰めた空気に包まれていた。
碧い液体で満たされた縦長の水槽のなか。
大小様々な花と、無数の管に繋がれた裸の少女が浮いている。
美術館に飾られていても違和感のない美しさを湛えている。
ゆっくりと少女の瞳が開く。
ぱちぱち。
瞬きを繰り返すたびに長い睫毛が揺れて小さな泡が立つ。
双眸は共に深い紅色。液体のなかにあっても、輝きが妨げられることはない。
「歌姫さま」
「歌姫さま、ご気分はいかがですか?」
白衣姿のサファイアたちは水槽を見上げて、口々に歌姫を気遣う。所長が水槽に表示された数値を確認しながら電子記録をつける。ちっ、とわずかに舌打ちした。
「まだ覚醒しきっていないか。お前たち、もう少しこのまま様子を見ておいてくれ」
「はい、かしこまりました」
「もう少しお休みしましょうね、歌姫さま」
サファイアたちを残して所長は部屋から出ていく。
「歌姫さま、おめでとうございます」
「おめでとうございます」
「今日が新たな誕生日ですね」
少女は応えない。
虚ろな紅色は、なにも映さない……。




