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できそこないの歌姫  作者: shinobu | 偲 凪生
第3話 はじめての祈り
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2

「週末の夜はあそこがステージになるんですよ。歌姫さまの誕生聖祭の前夜祭も行う予定でいます」

 じっと見ていたからか店員が教えてくれた。ついでに木のお盆に載せられて、木の器に入った食事が運ばれてくる。

「お待たせしました。白身魚のフライセットです。ごゆっくりどうぞ」

「さかなの、ふらい」

 小判型で黄金色に染まった衣からはほかほかと湯気が上がっている。フォークで身をさくっと切ると、中からも美味しい香りが立ち昇ってきた。

「いただきます」

 かりっ。ふわっ。外は軽く、中は柔らかく瑞々しい。淡泊だけど濃い。添えられた山盛り千切り野菜との境目にはしゃきしゃき食感のタルタルソース。フライにも野菜にも合う。掌にすっぽり収まる小さな白いパンと黒パン、黒いほうはかたいのでちぎりながら食べる。ミネストローネは、具材がしっかりと煮込まれてスープになっていて、スプーンですくうとどろりとしていた。野菜は原型を留めておらず、細かい皮だけがわずかに残っている。

 ルゥはそれらを無言でがつがつとほおばった。

 食べれば食べるほどお腹が空いてくるようだった。途中で店員が籠いっぱいにパンを持ってきたので、白いほうだけ3回もお代わりした。

「食べっぷりのいい坊やだね。これもお食べ」

 途中で厨房から恰幅のいい女主人が出てきて、白身魚のフライをおまけしてくれた。

 すべてきれいに食べ終わって手を合わせる。

(美味しかったけれど、どこか物足りなかったのはどうしてだろう)

 不意に思い浮かべたのはパパラチアとエメリーだった。

 独りで、座って食事をとるのはこれが初めてだったのだ。

(だめだ。泣いちゃだめ)

 ルゥは両頬をぺちぺちとたたいた。涙が結晶化したら大騒ぎになってしまう。


(疎まれて、嫌われて、邪魔にされてきたことしかなかったし、それが普通だったんでしょう?)


 ――だから何も望まずにいたのに。


『お前は人間になることもできるんだ』


 甘美な誘惑だった。それなのに。


『喜び。怒り。悲しみ。楽しさ。希望。絶望。そして、愛。愛というのが人間にとって最も辛く、暗く、重く、そして明るくて美しい』


 穏やかなパパラチアの表情と共に思い出すのは、無残にも、瞳を失った最期の姿なのだ。

(かんたんに騙されて、わたしは、なんて愚かなんだろう)

 フォークを持ったまま、ぐっと拳を強く握る。

(とにかくエメリーさんに会って、どうしてあんなことをしたのか訊かなきゃ)


 フォークをテーブルに置いて、立ちあがろうとしたときだった。

 ぐらりと地面が揺れる。思わずよろけてしまったが、転ばずにしゃがみこむことができた。揺れは続き、床だけでなく天井や壁も大きく動いているようだった。

 女主人が叫ぶ。

「テーブルの下に隠れてっ! 物が落ちてきたら危ないっ!」

 ルゥも周りにならってテーブルの下に隠れる。同じテーブルの下では親子が抱き合って震えていた。

(なに……これ……)

 揺れは止まない。まるで空間そのものが波打っているようだ。

 ごごごご。遙か遠くで地鳴りが起きているような音がする。

 かしゃんっ。テーブルから木の器たちが床へ転がり落ちる。

 ばりーん。厨房の棚にあった瓶が落ちて割れる。

 だいじょうぶ。だいじょうぶだから。母親が子どもの背中をさすりながらあやしていた。

 動悸を感じて、ルゥは両膝を抱えこむ。


 ……。


 ……。


 ……やがて揺れは収まったが、テーブルから這い上がって床に立っても、まだ揺られているような感覚が残った。

 他の客たちも安全だと判断してぞろぞろと出てくる。こわかったね、と口々に言い合っていた。そして床に落ちたものを拾う。女店主を手伝うひともいた。

 かなり長い時間揺れていたのに、元に戻るのは早い。

(どうしてだろう……こわい。気持ち悪い)

 しかし言葉には表せない感覚が、ルゥの背中を通りすぎていった。

 なにかたいせつなものがごっそりと抜け落ちてしまったような。それがなにかはまったくわからないのだけど、確かに、消えた――。

 ルゥだけが狼狽えているようで、それがまた、眩暈を引き起こすようだった。

(どうして皆、ふつうにできるの? わたしが人間じゃないから?)


「歌姫さまのお祈りの時間だよ!」

 誰かが声をあげる。すると一気に店内が明るくなった。照明が強くなったのではなく、雰囲気がぱっと明るくなったのだ。

 ルゥは気づいていなかったが、店内にも歌姫像が設けられていた。等身大の像の顔部分は、国の中心にあるものと同じく、液晶画面になっている。

 そこに歌姫の姿が映し出された。

 いつもと同じように、歌をうたう。

「あぁ、歌姫さま。歌姫さま。怖いことが起きませんように」

「地震が起きませんように」

「うたひめさま、おねがいします!」

 皆、目を閉じて、両手を合わせて拝んでいた。


 ――それはルゥが初めて目にする光景だった。


 地震が恐ろしいものだとしても、歌姫の加護があれば、こわくはないのだ。

(そうか……皆、信じているんだ。歌姫が助けてくれると)

 この国に根ざす歌姫信仰。ルベウス・コランダムの歌によって世界は保持されている。


 世界が、歌姫のためにあるからこそ。歌姫は世界のために。

 ひどく違和感のある光景だった。


 少し前のルゥなら、睨んで、暴言のひとつも吐き捨てたことだろう。歌姫なんて傀儡にすぎないと罵ったかもしれない。

 しかし今は違う。


〈愛はやわらかにあなたを包むでしょう

 どうか傷つかないで

 あなたの罪はあなたしか赦してあげられないのだから〉


 ルゥは立ちつくしたまま、歌姫を拠り所とする人々の姿をじっと見つめていた。

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