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年季を感じさせるフレームにひびの入った拡大鏡は手垢で黒ずんでもいた。
丸顔の店主はじっと覗きこんで、持ちこまれた品物を鑑定する。太い指にはぎらぎらと輝く宝石のついた指輪をはめていた。真っ黒の指毛に絡まってどれもがお世辞にも品がいいとは言えない。
「ふん、これは……」
店内は店主と客ひとりだけで身動きがとれなくなりそうなくらいこぢんまりとしている。
朱色の壁に設置された狭い棚には所狭しと宝石が陳列されて金額が示されていた。大小さまざまあれど、すべてがコランダムの涙だ。
「ほぅ、ほぅ」
しばらく睨んでから店主は眉をぴくりと動かす。
「へっ。形見だと言ったな? ふぅん、……たいしたルビーたちだ。しかし粒が小さいから高値はつけらんないぜ」
吐き出す息は煙が混じったように臭い。
テーブル越しの相手はあからさまに顔を歪ませた。右目を眼帯で隠した少年だった。髪の毛は短くばらばらで、それを覆う布は泥で汚れている。
口元はきゅっと固く結ばれて、怒っているような表情は崩さない。
少年が小さく反論する。
「盗品だとでも思っているのか?」
「はんっ、そんなことは言ってないだろうが。ほらよ、これでいいだろう!」
カウンターに金額が表示される。決して低くはないが、高くもなかった。
少年は確認すると頷いてリングを翳した。ぴっ、と音がしてフィンテが支払われる。
受け取ったのを見てから少年は問いかけた。
「……ひとつ訊くが、ここにコランダムの瞳は?」
はっ! と店主は馬鹿にしたように口を開く。黄ばんだ歯と金歯が交互に並んでにやりと笑った。
「ぼっちゃん、よほど世間知らずなのかい。コランダムの瞳なんざ一般に流通する訳ないだろう。あれは闇で取引されて、とんでもない金持ちしかお目にかかることのないような代物さ。おれだって見たことがない」
「では、『鋼玉鑑定士』に会ったことは?」
「ふんっ。質問はひとつだったんじゃないのか。話には聞くが、あんなのただの都市伝説だろ。ほらほら、とっとと出て行きな」
少年は小さく会釈して店を出る。
ふぅ、と息を吐き出して、空を見上げた。
「空が白い。今にも雨が降りそう……」
泣き出しそうになっているのは、空よりも、少年の出で立ちをしたルゥだった。
テルミナ駅まで戻ってきて最初にしたことは、衣服を変えることだった。『鋼玉鑑定士』がどれだけいて、どの程度まで情報が行き渡っているかは分からないが、エメリーはルゥが街にいることを伝えているはずだった。
屋台でいちばん安い服を買って、隅でこっそりと着替えた。
淡いベージュのプルオーバーと黒い袖なしのベスト。腰回りを紐で調整するタイプのゆったりとした紺色のズボンだ。そして大きな布を買って、端で眼帯をつくり、残りは無造作に頭に被った。
(『鋼玉鑑定士』の手がかりを掴めるかもしれないと思ったけれど、そう簡単にはいかないか)
ぐぅ。急に腹の虫が鳴る。
(そういえば、ケーキを食べたのが最後だった)
ちょうど目の前に食堂と掲げられた店があったので、ルゥは迷うことなく扉を開けた。
「いらっしゃいませ。空いてるところにおかけください」
店内は、満席ではないもののほどほどに混んでいた。
会釈してから端っこの席に座る。テーブルには冊子状のメニュー表が置かれていた。手に取って開くと、真っ先に出てきたのは写真つきのチーズケーキだった。看板メニューのようだ。
ルゥは涙が出そうになるのをぐっと堪える。
(パパラチアさんのチーズケーキ、美味しかったなぁ……)
少年のように声を低くして、店員に伝えた。
「ランチセットをください」
他の客たちは美味しそうに食べながら会話を楽しんでいる。
ルゥは、木製の椅子にもたれかかった。少し軋むものの、背中を預けると体だけではなく気持ちも落ち着くようだった。
木造の店舗なのだろう。壁や床は勿論、すべてがくすんだ茶色をしている。奥には一段高いスペースがあって、グランドピアノが置かれていた。
ルゥの視線が注がれる。
(ひさしぶりに見た)
思い出すのは歌を練習させられていた頃。
『お姉さま、聴いてくださる? 先生に教えていただいたの』
妹、歌姫は休憩時間になると、かんたんな曲を演奏していた。
もっともルゥ自身は練習室にいることすら嫌でたまらなかったので、一度もまともに聴いて上げたことはなかった。
(元気かな……)
離れてみると不意に気にかけたくなってしまうなんて現金な奴だ、と自分自身に苦笑いを向ける。




