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扉を開ける。
「っ!」
ぶわぁっ、ごうぅっ!
咄嗟に両腕で顔を隠すも、風に押されて床にしりもちをついた。
熱風ととてつもない圧力がルゥに襲いかかる。
ぱちぱちという音はごうごうという重たいものに変貌をとげていた。その正体は燃えている音。炎。白よりも純度の高い白、透明な色の炎だった。
火の粉は銀色で、踊るように舞っている。
炎は扉が開いたことで空気が得て、猛り、成長していく。
明るさと眩さが視界を邪魔してくる。ゆっくりとルゥは顔をあげた。目を細めながら、部屋のなかでなにが起きているのかを確認しようと試みる。
――それは神聖なものなのか、はたまた邪悪な儀式なのか。
中心にいたのは、中央の柱で磔にされていたのは、首のないパパラチアだった――。
「ひぃっ……!」
ルゥの肌が粟立ち、血の気が一気に引く。目を逸らしたくても体が言うことを聞かない。
胴体は背中から槍でひと突きにされていて、槍の先端はぬらぬらと朱色に染まっている。
円卓に置かれたのは、瞳のない頭。
パパラチア・コランダムだったもの。
額の模様は消えかかっていたが、たしかに面影はある。
あんなに妖艶にルゥに語りかけてきていたのに、虚ろで、表情は消え去って――。
「おや、先ほどはどうも」
傍らに穏やかな表情の男性が立っていた。ルゥに向けて会釈してくる。
(さっきの……男のひと!)
空中列車で花飾りを贈ってくれた紳士だった。
しかしどう見ても異常な光景だった。紳士は、首のないパパラチアと、炎と熱に囲まれて、平然としているのだ。
無反応のルゥに、紳士は黒い花飾りを取り出す。
「おかげでコランダムの結界を破ることができました。ありがとうございます。あなたがパパラチア・コランダムに会いに行こうとしているという情報を得まして、瞳を手に入れるために、手伝っていただきました」
「え……?」
ルゥが振り絞った疑問符を、紳士は掬い舐めるように微笑んだ。
「この館は誰でも入れるようでいて、悪意を持った人間は近づけないようにできていたのです。そこで、この花で、結界に穴を開けさせていただきました。すぐに気づかれてしまったので、ほんの些細な傷しかできませんでしたが……充分でしたね」
紳士の純白な手袋は、血に染まっていた。
燦爛と輝くパパラチアの瞳が載っている。
それはもはや瞳ではなく、完璧な二粒の宝石だった。瞳よりも眩く、まさにふたつしかない至高の宝石――。
(パパラチアさんの瞳を手に入れるために、殺したっていうの……?)
かたかたと歯を震わせて口のきけないルゥを、紳士はまじまじと見つめてくる。それから、合点がいったかのように頷きを繰り返した。
「ん? もしかして、あなた自身も……? 情報屋め、最初からそれを言ってくれれば」
紳士はくすくすと微笑みを浮かべた。両手を大きく広げて感嘆の声をあげる。
「噂には聞いていましたが、私はなんと幸運なんでしょう。一日に二種類のコランダムを手中に収めることができるとは!」
欲望を手に入れようと、一歩ずつ、動けないでいるルゥへ近づいてくる……。
ルゥの脳裏に蘇るのは、エメリーの素っ気ない忠告。
『鋼玉鑑定士には気をつけろ』
(このひとは、『鋼玉鑑定士』だ)
座りこんで歯をかちかちと鳴らすだけのルゥに、血まみれの手が伸びてくる。
(殺される)
パパラチアのように無残に瞳をくり抜かれた自分を想像して、動けない。
そんなルゥを無理やり後ろから誰かが立ち上がらせたのはそのときだった。
「逃げるぞ」
エメリーだった。
右腕を掴まれたルゥはよろめきながらも力を入れ直す。
「ミィさん」
エメリーは振り返ることなく走りだした。ルゥがついていけるぎりぎりの全速力だった。
「ミィさん……! パパラチアさんが。パパラチアさんの瞳がっ」
我に返ったルゥが必死に訴える。
「分かってる。ここを出て鋼玉鑑定士ごと館を爆破するから、まずは出るぞ」
歯を食いしばれ、とエメリーがルゥの手を強く握った。
「あの炎は『コランダム』を燃やす炎だ。巻き込まれたら生きているお前でもひとたまりはない」
無我夢中で走る。ぽろぽろと零れた涙は結晶化して床に落ちていく。
今や館内には熱が充満していた。
「追ってこられないようにこちらからも火をつける」
エメリーが走りながら廊下の灯りを壊していく。
がしゃんっ! ごおっ!
逃げてきた道のりは炎で塞がれていく。廊下に飾られたたくさんの絵画に見送られるようにして走る。そのなかには初代ルベウスだと説明された女性の絵もあった。
黒い瞳の、ルゥとよく似た顔立ちの。
(あんなに丁寧に、触れていたのに)
『どんどん楽しくなってきちゃって』
パパラチアの嬉しそうな声が遠くから聴こえてくるようだった。
現実では、しっかり前を向いて走れ、とエメリーが叫ぶ。
「生きていたいだろう?」
それは、まだ死にたくはないだろう? という問いかけに等しい。
(あんなに死んでもいいと思っていたのに)
情けなさを零しながらルゥは頷いた。
ふたりが転がるように外へ出た途端、間髪入れずに大きな爆発音が轟いた。その音はあまりにも大きすぎて誰の耳にも届かない。
世界は一瞬だけ停止して、そして、……博物館は地面に沈んだ。
地面に膝をついたまま、茫然と、ルゥはそれを見つめた。肩で、なんとか息をする。
ぽろぽろと零れた涙は、落ちた瞬間に紅色の結晶となって煌めいた。
「コランダムの涙は宝石だが、瞳は、宝石として、より珍重される」
エメリーはルゥの隣に立って館の跡を見ていた。
「しかし瞳を失くしたコランダム……『アイレス』は、それを求めて狂う。人間を喰らうようになる。だから、首を切り落としてしまうか、摂氏2000度を超える特殊な炎で、骨も残らないくらい焼かないといけない。そうやって瞳を集めては裏取引する奴ら、それが『鋼玉鑑定士』だ。別の名を、コランダム・ハンターと言う」
瞳のない虚ろなパパラチアの頭部……。忘れようとしても瞼に焼きついてしまった光景。
「わ……わたしがハンターの花飾りを持ちこまなければ」
ルゥは辿々しく後悔を吐き出す。両腕で自らをぎゅっと抱きしめても震えは収まらない。
自責の念に押しつぶされそうになっていた。
だが。
「勘違いするな」




